婚活下手な俺の恋愛について

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「狭山さんは子どもが欲しいとか思っていないんですか」  目の前の人は今年で四十一歳ということだった。俺より十三歳年上。俺以上に気乗りしなそうにコーヒーの前に座っていた。  珍しいことに和服である。あまり持ち物にこだわりなどなさそうだが、和服だった。どこぞの大店の主人が囲碁でも打ちに来たといった気楽さをまとわりつかせている。  俺も紹介された相手に会う時には必ずスーツ姿なので、傍から見れば仕事の打ち合わせぐらいにしか見えないだろう。 「私の第一条件『子どもを持たない』でしょう。アルファ側としては珍しいだろうから。じゃあなぜオメガと結婚を? と聞かれますよね」  確かにそうだと俺は思った。アルファ側がオメガを求めるのは、アルファの子を産めるのはオメガしかいないからである。  彼は長い前髪の向こうからちらりと視線を向けてきたが、特にそれ以上言葉は続けなかった。俺も、訊ねようとしなかった。  彼……志水(しみず)さんは、碓井さんの言うとおりガツガツしていなかった。ガツガツしないどころか全く俺に興味がなさそうだった。これは、イヤイヤながら結婚相談所に登録させられているのかもしれない。志水さんの経歴を見ると、そんな予測がついた。  志水さんは以前新聞記者だったが、八年前に山で取材中滑落事故に遭い、軽く高次機能障害が残った。和服を着ているのは、わずかに足を引きずるからだろう。服の脱ぎ着が和服の方が楽なのかもしれない。  日常生活には支障がないらしいが、昔の記憶が断片的でリハビリにも時間がかかったため社会復帰が難しく、今は昔の知り合いからコラムなどを頼まれる以外はほぼ無職とのことだった。  家が相当資産家なため生活には困らないが、面倒を見てくれる人がいたらいい。おそらく家族が登録した理由はそんなところではなかったか。  齢はいってますけどかなりイケメンだし物腰も優しいのに、障害持ちのニートだから人気ないんですよね、と碓井さんは評していた。  碓井さんにかかると、自分も相手になんて言われているか分かったものではない。 「頭でっかちでプライド高いように見えますけど、臆病者だからオラオラ行かないでくださいって言われたかな」  三回目に会った時に志水さんの口から明らかになった俺の碓井評は、酷いものだった。 「私の担当も焦っていました。あの人、面白いですね」 「今度会ったら文句言ってやります」  志水さんは軽く笑いを飛ばした後、静かに言った。 「三回目なのに、狭山さんは私の障害について何も聞きませんね」  登録上、収入や家族構成を明らかにする必要がある。高次機能障害があることは聞いているが、現状については全く分からない。そうした個人情報は各自マッチングで明らかにする。 「興味ないのか、断るつもりだからか、どちらかなのかなと思ったんですが。普通、すぐに聞きますからね」  これだから俺は碓井さんから指導を受ける。婚活なんですから、手の内はさっさと晒して、それで駄目だと思ったら次、なんです。恋愛やってるわけじゃないんですから。頭の中の有能コーディネーターが喚いている。 「狭山さんは、合う抑制薬が見つからない状態で、いつヒートを起こすか分からないため、マナーとして会う時には必ずアルファ側の発情抑制薬を飲むようにと指示がありました。あなたが結婚したい理由は、発情を抑えたいからですか」 「はい」 「相手は誰でもいい?」 「はい」  じゃあなぜ今までの相手では駄目だったんですか、とは、志水さんは訊いてこなかった。 ◇◇◇  三回目のデートが気まずく終わったため、もうこれで志水さんから連絡が来ることはないのかと思っていたが、食事の誘いが来た。  だが、俺の方は気分が乗らなかった。断って、そのまま結婚相談所に報告しようかとスマホの画面を見つめる。碓井さんにどう言い訳しようかということまで思考が及んだ。 「狭山、出てきていたのか」  声をかけられて俺は驚いて顔を上げた。こんな人通りの少ない休憩室で、忙しくしている同期に会うとは思わなかった。 「ああ、ちょっと、総務に呼ばれて。そうだ成田、俺……」 「ああ、欠席の返事届いたよ。残念だけど仕方ないよ。まだ、身体に合う抑制薬見つからないんだろ」  気にするな、と言うように成田は微笑んだ。 「それより狭山、仕事は大丈夫か。お前の上司、デリカシーないので有名だから。俺の彼女から聞いたけど、あの一件は人事にも伝わったらしいぞ」 「……あの一件?」 「抑制薬が合わなくなったお前に、番ってしまえばいいだろうなんて、取引先のアルファの社長、紹介しようとしたんだろ。セクハラどころじゃねえよな、ホントに」  自販機でコーヒーを買う成田の背中を、俺は見つめた。一緒に仕事をしていた時と同じコーヒーが、目の前に差し出される。湯気とともに、香りが成田と俺の間に漂う。  もしも俺が今、発情してフェロモンを放ったとしても、このコーヒーの香りにすら及ぶまい。 「お前は、番の関係になんて頼らなくても大丈夫だよ。今は思うように動けないかもしれないけど、会社の狭山への評価は変わらないって。狭山なら、アルファなんかに依存しなくたって生きていけるって、皆思ってるから」  俺はコーヒーの湯気を見つめた後、成田に訊いた。 「成田」 「ん?」 「……結婚の祝い、何がいい? 欲しいもの、あるか」  笑う成田の返事を聞きながら、俺はスマホに残っていた志水さんへのメッセージを返した。
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