婚活下手な俺の恋愛について

3/4
117人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
 店はフレンチだったが、志水さんはまたも和服だった。どことなく着崩した感じは変わらなかった。 「志水さんのお宅は、純和風なんですか?」  質問に、志水さんはわずかに片眉をあげた。 「ええ、怪我をしてマンション暮らしは難しくなったので。祖父の家を譲り受けました。介護用に改装してあったので、便利だったんです」 「着物が多いのも、そちらがラクだからですか」 「ええ。身長あるでしょう。リハビリ中、介護用のちょうど良い服が探しても見つからなかったんです。子どもの着物みたいに、浴衣に紐をつけたほうがラクだってお手伝いさんが」 「今も?」 「支障ないですけれど、楽な方に流れる癖はついてしまいましたね」  個人的なことを訊こうとしても、積極的になれずに会話が弾まないのが自分でも分かった。志水さんが距離を測っているのが分かる。気を遣わせて、さすがにこれで終わりかもしれない。   「私は、八年前の事故で、今まで築いてきたものが木っ端微塵になりまして。再構築もままならないし、今後もどう後遺症が出るか分からなかったので、将来に対していい画を描けなかったんですね。子どもを必要としないのもそのためでした。それで、身内が案じまして相談所に登録を」  改めて自分のことを語り始めた志水さんに、俺は無意識に緊張した。それが伝わったのか、志水さんが慌てて手を振る。   「いえ、そういう理由で、少しも気乗りしなかったんですよ。相談所のコーディネーターさんもカウンセラーさんも、早急すぎるじゃないですか。会う相手も、ぽんぽん条件だけで事を進めたがるし。内心、うんざりしていたんです。けどあなたは、非常に時間が穏やかで」  志水さんはグラスを置き、目を伏せた。 「会うのが楽でした。それであなたに興味を持って、気がついてしまいましたけれどね。あなたは本当は、結婚する気はないのだろうと」  緊張で酒が一気に回るのが分かる。志水さんの声が、気を遣いすぎるほどに優しいのがかえって申し訳なかった。 「私も同じでしたから、それは良いんです。誰でも良いのなら、自分でも良いのではとも思いましたが……」  そこで志水さんは、穏やかに微笑んだ。 「惹かれると、誰でも良いというわけにはいきませんよね」  俺は、志水さんの顔を見ていられなかった。まだきちんと並べられたままのナイフやフォークを見つめる。 「好きな方が、いらっしゃるんでしょう」  こんな齢にもなって、俯くことしかできない自分の情けなさに、俺は消えたくなった。 「その方とは、結婚できないんですか」  志水さんの口調は、どこまでも穏やかだった。その優しさに、俺は思わず告げてしまった。 「……ベータなんです。もうすぐ、同じ会社の女性と結婚します」  沈黙が落ちる。  俺は、相当酷いことを言っている。時間も金も無駄にさせたようなものだ。目の前のワイングラスが歪んでいた。 「……すみません、ちょっと……失礼します」  会話に気を遣いすぎて、飲み過ぎてしまったのかもしれない。俺はレストランから出て、フロアのトイレに向かった。  心臓が次第に上へ、上へと向かっていくようだった。脳に近づくにつれてドクドクと血流が暴れ出す。  呼吸が乱れる。体温が上昇する。トイレに辿り着く頃には、俺は分かっていた。これは、酒が回ったからではない。 「狭山さん。大丈夫ですか」  トイレの中にまで追いかけてきた志水さんの声に、俺は身体が跳ね上がりそうになった。 「気分が悪い? 吐きますか」  駄目だ。駄目だ。駄目だ。この人を近づけてはいけない。 「駄目です、俺に、近寄らないで……」  途端にあふれ出した熱に、視界が歪むのが分かった。志水さんの顔がぼやける。  突き上げてくる発情。だがそれは、いつもの比ではなかった。腰が、立っていられないほどに痺れてくる。感覚の全てが一気にそこに集まったかのように、ペニスが、アナルが、ビクビクと震える。  目の前に、アルファがいる。本能が、狂ったように騒ぎ始める。アルファがいる。この発情を、この性欲を、受けとめてくれるアルファの存在が、そこにいる。 「はっ、あっ、あっ、し、しみず、さん……」  求めてなどいない。なのに、声も、息も、懇願するように震えるのはなぜなのか。  違う。欲してなどいない。なけなしの理性が騒ぐのに、それを掻き消してしまうほどの、アルファを求める本能が踊り出す。  細胞の一つ一つを刺激してくるようなアルファのフェロモン。俺は今、どんな顔をしているのか。あの冷静沈着な志水さんが、俺の顎に手をかけて、いきなり舌を入れてくる。荒々しい舌の動きに、避けるどころかしがみついてしまう俺の身体は、どんな卑猥さを、彼に露呈しているのか。  志水さんの手が、ベルトを掴む。ベルトが緩くなったと思ったら、すぐに中に手が侵入してきた。右手が前を、左手が後ろを彷徨う。俺の下着はもうべとべとになっていた。ぬるりと指先が、前と後を這っただけで、俺は達しそうになった。  後に回された左手の中指がずぷずぷと穴に埋まり、右手の長い指先がペニスを包み擦り上げる。引っ張られるように快感がつき上がる。思わず顎を上に向けた俺は、志水さんの口が、首筋を這うのに気がついた。  鎖骨へ、喉仏へ、唇と舌が、動く。  うなじへ辿り着いた時、舌が、硬い歯に変わるのを、俺はわずかに残った理性で捉えた。 「……うなじを、噛まないでくれ!」  殆ど無意識に、俺は叫んだ。 「成田、じゃなきゃ、嫌だ……!」  意識して出た言葉ではなかった。  欲情と直結した本能に、勝ったものはなんだったのだろう。  数年間、心の奥底にひそめていた恋情か。  俺の訴えが、どんな程度だったのか分からない。  アルファの本能を、押さえ込むほどの力で叫んだとは思えない。  だが志水さんは、俺から離れるとトイレの個室から飛び出して、殴りつけるように非常ベルのボタンを叩いた。    思えば、発情抑制薬が効かなくなったのは、成田に結婚を考えている彼女がいると知った頃からだった。  成田がアルファだったら、と猛烈に望んだ。  アルファだったら、後先も考えずに求愛しただろうか。  頼むから俺を番にしてくれと、懇願しただろうか。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!