「さ」/ 娘とマイクロノベルな日々 まとめ1

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
娘がどうしても見たい、というから黄昏の街を路面電車に乗って星の生まれるところを見に行った。それは算盤塾の入る古い小さなビルの二階にある女性だけの工房で、石から星を削り出している。彼女たちの手による星も見えるかと思ったら、窓硝子には少し緊張した娘の顔が映っていた。(2020.11.08) 娘との思い出に一つ、分からないものがある。町の近くにない路面電車で夜の街をいく記憶だ。家族の姿はなく何故か二人きり。流れる街の光も車体の揺れも確かに覚えているのに行き先は思い出せない。一度娘に聞くと、そんな夢なら時々見るという。だったら幸せな記憶、でいいだろうか。(2020.11.08) 暗闇を覗き込みながら、ここにいたんだけどなぁ、と首を捻る。そういえば久しく暗闇に暮らす、あの生き物たちの声を耳にしない。何処かへ行ったのか、隠れているのか、こう暗くては確かめようもない。娘に聞かせたかったんだけど、暗闇はここにあるんだし、また帰ってくるだろう。(2020.11.09) 朝食を終えた娘はそのまま、昨夜出したばかりの炬燵に潜り込み眠ってしまった。テレビは終末時計の針が二年ぶりに一分進んだと伝える。きっと何処かの偉い人が毎日計算してるんだろうな、と十二時二分を差す時計を眺める。空は秋晴れ、洗濯日和か。僕らは終末からも遠ざかっていく。(2020.11.10) 訳あって娘と学校へ行くことになったのだが、この家と家の間の隙間のような路地が通学路というのは本当だろうか。日向ぼっこする猫に挨拶をして猫の額ほどの田んぼの畦道を行く。川に出たところで娘がカーブミラーを指差し、今日は船がないね、というから河口に向かって並んで歩く。(2020.11.18) 授業が始まると娘はこっそり教室を抜け出し人気のない廊下を歩き回っているそうだ。そんなことが出来るのも娘が半分透明だからなのだが、それは特別悲しいことではないそうだ。時々、似た具合の友達が出来たりするが、一度抜け出した教室には戻れないから一緒にトイレに行くという。(2020.11.20) 訳もなく娘と学校まで歩く。嫌かと思ったら支度の遅い僕を外で待っていた。寒い寒いと日向を選ぶから時おり学校から遠ざかる。田んぼと川の間の細道はずっと日向が続く。遠くでチャイムが鳴る。授業始まったな、というと、あれは小学校、と笑う。並ぶ僕らの影が寂しい田んぼに落ちる。(2020.12.02) 買ったイヤリングを娘が見せてくれた。アニメか何かの登場人物が別のキャラクターと一つずつ左右の耳にお揃いでしているのにとてもよく似ているらしい。そのキャラが大好きな親友に片方をプレゼントして片方は自分が持つという。なんだか秘密めいていて僕が知ってよかったのか戸惑う。(2020.12.07) 娘が黙るから僕と度々の登校は嫌かと思ったら、あの謎の構造物をじっと見ている。学校近くの砕石置場に突如現れたのは世間を騒がすモノリス風だが、もっと巨大で煙を吐く。まるで煙突だ。地下が、町が工場化されたのだろうか。僕らは工場の部品、歯車かも。それでギクシャクするのか。(2020.12.08) 今年一番冷たい風の吹く川縁を僕と娘は無口に歩く。流れには置き物みたいな白鷺が一列に並び、時おり青鷺がまじる。その並びに法則性を発見したところで学校への曲がり角に出た。次は青鷺の筈だが空席だ。娘が青みがかった灰色の上着を指差すから川に降り、そこで娘を待つことにする。(2020.12.15) 最近できたばかりの空き地の奥まった一画に架空地があるのをゆうべ見つけた。そこだけぬかるんで、寒風に身を縮めるロゼット葉のような小さな銀河が、浮き草みたいに幾つも泥の中で渦を巻いていた。少し遠回りにはなるが娘と見に行こうと思う。今朝は学校を休むというから、明日。(2020.12.16) 寒い寒い、という娘を引っ張り出した三日目、空き地に銀河はなかった。代わりに古びた街灯が一つ、ぬかるみに立つ。通学路に戻る僕らを街灯は照らすでもなく照らし付いてくる。道は果てなくのびて校舎は見えてこない。着かないね、と娘。今日は制服じゃないし、そのうち着けばいいよ。(2020.12.18) どーなつ星が見える。駐車場の屋根の上、時間も季節もなく夜はそこで輝く。他の星より大きく穴がある。どーなつ星と呼んだ幼い日の娘の背丈からだけ見える。電線の器具が街灯に反射するだけなのだが娘はもう忘れたかな。屈めた体を戻す。でも電線が地中化した今もあるのは何故だろう。(2020.12.20) 不意の眩暈に体が強張る。足元が崩れ何か抱え転がる感覚。大丈夫?と娘。息をつく。いつもの通学路だ。無意識に組んだ腕をほどく。ねぇ赤ん坊の私を抱いて高波にのまれたことあったね。その話した?ううん、今も海の底だから、離せば助かるよ。僕は笑う。離さないよ。空は青く冷たい。(2020.12.22) キリンがいない、と娘がいう。いつもなら草の茂る川の浅瀬に佇むキリンが確かにいない。捨てられたのかな、と娘が呟く。つい最近も床屋の隣で傾いていた自由の女神が断捨離と称して捨てられたばかりだ。自分から出ていったんだよ、次は海のサバンナかな、と僕。二人して流れをみやる。(2020.12.23) 新型ウイルス感染予防のため洗濯しやすい体操服で登校していた娘が珍しく制服を着ている。終業式だからだ。式は校内放送で娘は小さな会議室でそれを聞くだろう。彼女風にいえば、いつもより「すんっ」とした顔をした娘が隣を歩く。冬休みが来る。明日からは僕一人の登校、いや出勤だ。(2020.12.24)
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!