【52】最後の泣き言

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【52】最後の泣き言

  「まず最初に言っておきたいのは、これしか方法はなかったということ。  私は負けた。  負けて、どうすればいいのかをひとりで考えなくちゃいけなかった。  何を選び、何を手放すのかを考えた時、私にはこうするしかなかったんだ。  文乃や、三神さんや、バンビだってきっと同じことをすると思う。  新開はきっと納得できないと言って怒るだろうけど、これは私の選んだ、私の意志だ。  私は、自ら死を選ぶ。  きっと皆がびっくりするくらい、私は長い時間を生きたから。  私のこの命と引き換えに、新開や、希璃や、成留の命、そしてなによりめいの命が救われるなら安いもんなんだ。  もちろん、理不尽だという思いも、悔しいという思いもある。  私は負けたんだ。  だけど私は負けて、命を守るんだ。  これを読んでいるということは、もうすでに相手が皆瀬九坊であることは理解していると思う。  もしまたバンビが狙われ、新開が狙われ、三神さんや、幻子が立ち向かわねばならないのかと想像すると、それだけで胸が苦しいよ。考えただけで涙が出る。  私はもうあんたたちの側にはいないけど、どうか、最後まで諦めないでほしい。  そして九坊の呪縛から逃げきってほしい。  可能ならばあの男を止めてほしい。  私の願いは、皆が幸せになること。  いつの日かこの決断が、誰かにとっての幸福につながればそれでいい。  たとえ今は分かってもらえなくても、大きな愛情が紡がれて、子や、孫や、もっともっとずっと先までその愛情が繋がっていけば、いつかはきっと、ありがとうって、言ってもらえる日がくると思うんだ。  私はそれでいい。  私のことは早く忘れてほしい。  間違っても、あの世から私を連れ戻そうなんて考えないでね。    三神さんへ  ありがとう。やけっぱちだった若い日の私が道を踏み外さずにやってこれたのは、三神さんに出会えたからです。天正堂、やめちゃったこと今でも怒ってる? この戦いを無事生き延びることができたら、もうゆっくりしなよ。あとの事は新開に任せて、身体に気を付けて、長生きしてください。  新開へ  年の離れた弟か、もはや息子のようにも見えていたあんたが、まさか天正堂を背負って立つ日がくるとは思わなかった。驚いてる。根暗でネガティブでぎゃーぎゃー喚いてたあんたがいつの間にか、私にとっても皆にとっても、無くてはならない頼れる存在になっていたね。後のことは、全部あんたに任せる。絶対に諦めるな。  めいへ  めいにはやっぱり、いつか、お姉ちゃんを許してほしいかな。そして、仕方のないことだったんだと自分の中で折り合いをつけて、真っすぐに前を向いて歩いて行ってほしい。私は、めいには、誰よりも幸せになってほしいって、ずっとそう思いながらあなたを見て来ました。だけど、周りを見てごらん。気付けるはずだよ。もうめいは、十分幸せなんだってことに。だからもう大丈夫。今までありがとう。私をお姉ちゃんと呼んでくれて、本当にありがとう。  文乃、まぼ、希璃、成留、ツァイくん、柊木さん、土井さん、二神さん、青葉さん、私の長い長い人生に登場してくれた、たくさんの友人たちへ。心からありがとう。本当にありがとう。さようなら。そしてこれを、私の最後の泣き言にします。  バンビへ。  本当にごめん。  愛してる。                                 秋月六花(あきづきろっか)。本名、(べに) (すみれ) 」    坂東さんの右手が見えた。  包帯の巻かれた彼の手が、虚空を掴むように持ち上がっていた。坂東さんは、顔面はもちろん全身のほとんどを包帯で巻かれ、今や自由に動かせるのはその右腕のみだった。僕は立ち上がって彼の手を握り、名を呼んだ。 「新開か」 「ば……」  はっきりと聞こえた。  坂東さんが確かに僕の名を呼んだのだ。霊声ではなく、肉声である。掠れてやや聞き取りづらさはあるものの、6年ぶりに聞く坂東さんの懐かしい声だった。 「新開」 「坂東さん?」 「俺は本当はずっと、喋ることが出来たんだ」 「ば、え……そうなんですか?」 「だが、どうしても喋れなかった。新開、俺は……」 「……」 「死んだ二神(ふたがみ)の爺さんからとんでもない置き土産を貰っていたんだ」 「二神さんから?」  6年前に『九坊事件』で命を落とした、前『天正堂』代表・二神七権(ふたがみしちけん)である。坂東さんが首を傷めて話す事が出来なくった時期とも一致する。 「俺は……死んだ人間を生き返らせることが出来る」 「……は?」 「呪言(じゅごん)」  坂東さんはそう言った。「術の構築を必要とせず霊力を込めるだけで思考が飛ぶ。お前も覚えてると思うが、二神の爺さんはかつて生まれ持った両の目を合わせて合計7つの目を持っていた」  知っている。由来がはっきりと書かれた文献が残されているわけではないが、二神七権の所持していた7つの目は、そのうち5つがかつての『天正堂』代表の目だと言われている。いずれ劣らぬ大霊能力者だった者たちが死後、代々受け継がれていく階位・第二の座に立つ有資格者の肉体に顕現し、二神七権の代になって7つとなったそうだ。  その後、まだ20代だった坂東さんが職務中に亡くなった際、二神さんはその内のひとつを坂東さんに分け与えて命を救っている。それは後に幽眼と呼ばれ、今も坂東さんの額に収まっている。 「あの日、二神の爺さんが死んだ時のことを覚えてるか」 「忘れるわけがありません。『九坊事件』の被害者、由宇忍(ゆうしのぶ)が生んだ赤子の命を救って、二神さんは旅立たれました」 「俺はあの時爺さんから、もうひとつ、目をもらった」 「幽眼を? じゃあ」 「今、俺は2つの目を持っている。だが、その目は恐ろしい目だった。爺さん曰くその目は、この世の(ことわり)を覆す力を持っている……」 「それが、人を生き返らせる力?」 「天正堂開祖、大神鹿目(おおがみなかめ)の力だそうだ」  大霊能力家系、黒井一族の始祖である西荻文乃と黒井七永の姉妹に、死なずの呪いをかけたとされる人物である。『天正堂』を創設した霊能者であり、三神三歳のご先祖様である。 「で、でも坂東さん。二神さんは7つも目を持っていたんですよ。ご自身の目を除いても5つ。坂東さんに与えた目を除いてもまだ4つあった。なら、その呪言を打つ目かどうかはどうやって見分けるんですか? それぞれが違う力を秘めているとしたら、坂東さんの額みたいに熱線を打つような……」  僕の反論を聞き終わる前に、坂東さんは右手で自分の口に触れた。  ぞっとする戦慄が僕の背を這いあがった。「まさか……」 「あの事件の直後、入院中の病室でこれを見た時、俺はもう2度と口を開かないと決めた。こいつは、新開、この世にあっちゃいけない目なんだ」  坂東さんはそう言って、口を開くと、自分の舌先を摘まんで引き伸ばした。 「そんな」  ――― 目だ。  坂東さんの舌の真ん中に、瞼を閉じたひとつ目が浮き上がっているのだ。 「ここに出来る目はだと、生前爺さん本人に聞いたから間違いない。だが、死んだ人間の魂を引っ掴んで無理やり呼び戻すなんて芸当をやれたのは、それが二神七権だったからだ。誰でも出来るわけじゃないし、やっていいことじゃない。もし俺がこの力を使えばそれこそ、自分の命を引き換えに差し出す羽目になるかもしれない。だから俺は誰にも言わず、気付かれないよう、口を開くのをやめた」  そこまで聞いた時、僕の胸に生まれた希望という名の小さな蝋燭の火が、それ以上大きくなることを拒むように、暗闇の中で揺れているのが分かった。  言えなかった。  ならば、今すぐに六花さんを生き返らせてください。ツァイくんを生き返らせてください。土井代表を生き返らせてください。  言えなかった。  それは同時に、坂東美千流という男の死を願うことと同義であるからだ。やってみなくちゃわからない、と無関係な立場ならそう言うかもしれない。だが命の重みを知っているからこそ、それは決して言えない言葉だったのだ。 「誰にも相談できなかった。……新開」 「坂東さん……」 「この話はまだ誰にも言うな。お前にだから言えることなんだ」  はっとなった。  今この病室には、僕の妻と、隣のベッドにはめいちゃんがいる。2人は眠って静かに寝息を立てている。だが顔面を包帯で巻かれた坂東さんには、それが分からないのだ。 「ば……」  教えるべきだったかもしれない。だが、という思いもあった。妻はまだしも、隣に眠っているめいちゃんはすでに起きていて、寝たふりをしてくれているのかもしれなかった。もしそうなら、例えどんなに小さな声で話をしようと、彼女の耳には筒抜けも同然である。  もうすでに『目』についての話はしてしまっている。今更隣にめいちゃんが眠っていることを話したとしても、後の祭りなのではないだろうか。 「俺は」  と坂東さんは言った。「自分が死ぬことなんか怖くないんだ。今更どうでもいいんだ、そんなことは」 「坂東さん、それは」 「もし、いやおそらく、多分きっと、この爺さんからもらった舌の眼は、たったひとりを蘇らせた時点で消え失せるだろう。俺の命と引き換えに、たったひとり……」  坂東さんの右手が自身の両目を覆った。  坂東さんは、泣いていた。 「俺の言葉は呪いだ、新開。呪われた力だ。誰かひとりを救うということは、他の誰かを殺すということだ。俺はこの呪われた力で誰を助ければいい?」  言われ、僕の胸は貫かれたような痛みを感じた。  坂東さんは、本気なのだ。  本気で自分の命などどうでもいいと思っている。彼が迷っているのは、自分の生と死ではなかったのだ。 「俺は誰を助けりゃいいんだ、新開。俺には選べねえ」 「坂東さん」 「六花姉さんを生き返らせてえ。……会いてえ。姉さんに会いてえ」  それは、坂東さんが僕の前で口にした、最初で最後の泣き言だった。 「だが選べないんだ」  と、坂東さんは言った。「そんなことしたってきっと姉さんは喜ばねえ。幻子との結婚が決まって、嬉しそうに笑ってたツァイに申し訳がたたねえ。泣きはらした顔でお前と2人収まってる写真を見て、俺はあいつになんて謝ればいい? 今も、俺がこうしてる間も気丈に振る舞い、ぼろぼろの心でそれでも職務を全うするヤコに俺は……何て言えばいいんだ。新開すまない。俺には選べない。俺には誰も助けることが出来ないんだ……ッ」
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