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【54】鳴動する穢れ(1)
思ってもみない情報が飛び込んで来た。
明朝、9時15分。
阿頼耶識一休からの誘いを受け、『六文銭』本拠地である『暗鬼廊』へ再び乗り込むと決めた日の朝、自分の車に乗り込んだ僕の携帯電話に着信が入った。見ると相手は、涼白カルさんだった。
「新開さん、すみません、朝早くに」
「いえ」
変だな、と思った。
彼女とは曽我部与一・青南兄妹の行方についてやり取りをかわしていたが、兄妹をあんな形で発見した手前、見つけましたとも言い出せずに半ば放置状態だった。だが言い換えれば、涼白さんには決して見つけられない場所に2人はいるわけで、兄妹と涼白さんが連絡を取り合うことは出来ないはずなのだ。今更彼女の方から僕に電話をかけてくるとは、他にどんな用件があるのだろう?
「おはようございます。何か、ありましたか?」
「あの……急におかしなことを言うようなんですが」
「……はい?」
「私、見たんです。偶然、町で」
「町で。何をです?」
誰を、かもしれない。しかし曽我部兄妹でないことは間違いない。現在、兄与一は『暗鬼廊』、妹青南は警察の留置所である。
笑わないでくださいね、と涼白さんは言った。
「テラカワっていう、あの時亡くなったはずの、霊媒師の男性です」
「テラカワ? ……寺川歩庸ですか!?」
『六文銭』の術師を名乗る男だ。『曽我部家事件』に巻き込まれて死んだとされ、与一と青南は彼の死を手札にした壇滅魔の言いなりとなっているのだ。
「生きていたのか……!」
「わ、分かりませんよ!? よく似た人を昨日町で見かけて。私思わず、テラカワさん、って呼びかけちゃったんです。でも急に怖くなって路地裏に逃げ込んだので直接話はしていません。だけど」
髪の毛を綺麗に後ろへ撫でつけた、五十代後半くらいの、只ならぬ気配を漂わせたスーツ姿の男……。
「その時その人、私の声に反応して振り返ったんです」
「涼白さん、ありがとうございます!御手柄です!」
「そ、それであの」
「それであのう、涼白さん。どちらでその男を見かけたんですか?」
「あ、えっと……B町です」
来た、と思った。
ぎゅっと瞼を閉ると、ぶるる、と全身が震えた。
僕がずっと土井代表だと思い込んでいた、三因洞ビルを買い上げたという『ご新規さん』は、ひょっとすると死んだはずの寺川歩庸だったのかもしれない。
「B町ですか」
「はい、私、あの街に行きつけの珈琲ショップがあって」
「洞口珈琲店ですね」
「え、どうしてそれを!?」
「ここ数日はずっと閉店していませんか?」
「ああ、ええ、でももう移転は完了していて、DMが送られてきてたんで……え、新開さんもファンなんですか?」
「ええ、まあ。だけどうちにはDM来てないですね。もし良かったら住所、教えてもらえませんか。前の店と近いというのは知ってるんですけど」
「構いませんよ、それであのう」
「その時、寺川はひとりでしたか?」
「……いえ、若い男性と女性が一緒だったように思います」
「僕ぐらいの年齢の男と、和服姿の?」
「和服? いえ、以前から洞口さんとこで働いてる、キヨミさんと仰る店員さんですよ。普通に洋服姿でした。偶然彼女を見かけたもので、私の方から彼らに近付いてったんです。そしたら亡くなったはずの寺川さんが見えて」
「なるほど」
確定だ。やはり寺川歩庸は生きている。生きて刑部扇雀、日隠と会っている。あのB町で何かを企んでいるのだ。曽我外与一と青南はいわれのない罪を盾に服従を強いられ、望まぬ殺人を犯してしまったのだ。
「それで……よっちゃんたちは、どうなりましたか?」
涼白さんに問われ、僕は自分がその質問から逃げようとしていたことを恥じた。言えることと言えないことがある。しかしこちらから協力を申し出た立場である以上、彼女にもきちんと説明する義務があった。
「ひとつ、気になることがあるんです」
と僕は答えた。
「気になる、こと? よっちゃんたちについてですか?」
「というより、あなたですよ。涼白さん」
「私」
「与一くんや青南さんについて、あなたにお話ししなければいけない事が、僕にはあります。だけどは今すぐには話せないんです。話してしまったらあなたにまで危害が及ぶ可能性が高い。もうひょっとしたら、涼白さんも奴らに見つかっているのかもしれない」
「見つかる? や、奴らって?」
「与一くんたちを曽我部の家から連れ出した連中です。今は詳しいことは話せませんが、落ち着いたら必ず僕なりの責任を果たします。だからそれまで、大人しく身を潜めていてください」
「……分かりました」
分からないと思う。いきなり身を潜めろと言われて納得など出来るわけがないと知っていながら、僕はそれでも押し通すしかなかったのだ。
「申し訳ありません、涼白さん」
「いえ。九里先生から色々聞いて、私、新開さんのことは信じられる気がします」
「……」
「どうか、よっちゃんとせいちゃんをよろしくお願いします」
「最善を尽くします」
涼白さんとの通話を終えた僕は、そのまま一休女史へと電話をかけた。今から例の山へ向かうつもりだったが、少し遅れる旨を伝えた。
臆したか、とからかい半分に言われて黙っていると、
「私は私の仕事をするだけだ」
と一休女史は言った。僕を責める口調ではなかった。
「相手はとんでもない奇術を使って来ます」
僕はそう告げた。「何の対策もないまま相対すれば、あなたと言えど無事ではすまないかもしれません。もし可能なら、僕の到着を麓で待っていてもらうという手も」
「私がお前をあてにすると本気で思うのか?」
言われ、鼻から溜息を逃がした。自分で言いながら、受け入れてもらえるわけがないよな、と思っていた。
「……いいえ」
「私は直政の仕事を見届け、可能ならば死地より連れて帰る。この世で唯一の絶対は、私が仕事を落とさないこと、ただそれだけだ」
僕はすぐさまB町へと車を走らせ、涼白さんから聞いた『洞口珈琲店』の新店舗へと向かった。そこは僕たちが三因洞ビルと呼ぶ建物から、歩いて10分程にある雑居ビルの1階だった。外観はほとんど変わっておらず、違うとすれば店内から漂う新鮮な珈琲豆の香りと、明るい雰囲気だけだろう。だが見た目には表れないそれらの要因が、以前の店舗にはなかった人気店本来の魅力と輝きを放っていた。今にして思えば、三因洞ビル1階にあった同店舗にはこの輝きがなかった。だがそれも当然のことである、どうしたってあの建物は呪われているのだから。それはもう、手の施しようがないほどに。
ほとんど開店時間と同時に到着したが、店内はすでに得意客でごった返していた。僕が店の入り口に立って中を覗き込んでいると、
「そんな気がしました」
と低い声で話しかけられた。振り返ると僕の背後には、髪の毛をお団子に結わえた愛想の良い笑顔の持ち主が立っていた。僕が一度は『六文銭』と疑ったこの店のオーナー、小谷さんだった。
小谷さんはやや緊張気味の笑顔で僕を見上げ、
「そろそろお見えになる頃かと」
と言って、彼女が来ていたエプロンの前ポケットから何かを取り出して、僕に見せた。それは以前も見せてもらったアクリル製のめめちゃんキーホルダーだった。しかし、
「これ」
そのめめちゃんキーホルダーは、デフォルメ化されたアニメ調のめめちゃんの顔が、黒く溶けたように歪んで、酷く傷ついていた。
僕と小谷さんは店舗から少し離れた場所に立って、新しいお店の外観を眺めた。
「大繁盛じゃないですか」
と言うと、小谷さんは俯いたのか頭を下げたのか分からない態度で、
「まあ、おかげさまで」
と答えた。「……あのお店、どうなりました?」
「どう……って?」
「私、結局あの後、前のお店には行ってないんです。もう、生理的に受け付けなくて」
あの後というのは、僕と小谷さんが事務所で防犯カメラの映像を確認して以降、と思われる。ミョンヨンを探していた僕は、三因洞ビルに立ち寄ったかもしれない彼女の足跡を辿るべく、小谷さんに防犯カメラの映像を見せてもらった。そこに映っていたのはいるはずのないペク・ミョンヨンの姿と、稼働していないエレベーターに潜む、謎の白い腕だった。小谷さんは思わぬ事態にショックを受け、僕が呼んだチョウジの職員の介添なしでは自力で歩けない程に混乱していた。
「別の店の子に無理言って移転作業変わってもらって、それからは、なんとかこちらに専念出来てます」
「良かったじゃないですか。別にもう無理に関わる必要もないんですから。忘れた方がいいですよ」
「……やっぱり」
と小谷さんは言った。彼女はその手に、見る影もないめめちゃんキーホルダーを握ったままである。「この御守りが守ってくれたのかしら」
「めめちゃん……」
世間的にはまだ、村瀬甘利の死は公表されていない。この日本にどれだけの数、彼女の公式グッズであるめめちゃんキーホルダーが出回っているのかは分からない。だが少なくとも村瀬甘利の死と、小谷さんの持つキーホルダーが変形してしまった事に因果関係がないと思えなかった。守った、かどうかは何とも言えない。しかし村瀬甘利は小谷さん所有のキーホルダーを通して、あの店での僕たちの動向を見ていたのだ。最終的には村瀬甘利を敵視した壇滅魔の攻撃が、このキーホルダーを通過したと考えても何らおかしくはなかった。
「変な声が聞こえるって噂、あったじゃないですか」
と小谷さんは言う。「あれがもしも、その、オカルトなんかじゃなくて、キヨミちゃんが見ちゃったような飛び降りに関係してたりとか、あるいはひょっとして殺人事件なのかもって考えた時に、防犯カメラで見た映像がくっきりと思い出されて、今でも怖くなるんですよ。ゾッとしちゃって」
「ええ。驚きますよ、あれは誰だって」
「結局警察の人にビデオ押収されちゃったんで、今だに何だったのか分かりませんし、余計と……。だけど私は無事、おそろしいものから逃げ切ったんだって、そう思うようにしてます。めめちゃんが助けてくれたんだって」
「おそろしいもの……?」
「だって、めめちゃん、ずっとテレビでそれを予言してたから」
「ああ。ええ、そうでしたね。それで、今日は例の、キヨミちゃんはご出勤されてるんですか? 体調を崩されたと聞いていましが」
「辞めました」
即答だった。
僕は驚いた表情を作り、店の外観を眺めていた視線を小谷さんに向けた。
「やはり、駄目でしたか」
問うと、
「ああ、いえ、見た目には元気そうだったんですけどね」
と、小谷さんはやや不満そうな顔で答えた。「仕事の出来る子で、面白い子だったんですけどね。人の心のことなんで本当の所は分かりません。空元気だったのかもしれませんけど、最後はなんだか、もういいや、みたいな感じで辞めてったので、それが何だか」
「もう、いいや?」
「大分と怖い思いをさせちゃったんで、仕方ないとは思いましたけどね。だけど、結構明るい感じで辞めてっちゃったんで、何だよって」
「へー。まあでも、気持ちが病んだままどこかへ行ってしまうよりはましじゃないですか? 分かりませんけども」
「まあ、そうですけど。……それより! お客さん、今日もたくさん買ってってくれるんですよね!?」
「あはは、ええ、もちろん」
涼白カルが昨日、キヨミちゃんこと刑部扇雀をこの町で見たという話を聞かせたら、やはり小谷さんは怒るのだろうか。僕にとっては、やはりな、と腑に落ちる話だった。要するに刑部にとって洞口珈琲店は、もう用済みということなのだ。だがしかし、奴はまだ日隠と死んだ筈の寺川歩庸を伴いこの町に出没している。
何かあるのだ、まだ、この街には僕の知らない何かが……。
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