【55】鳴動する穢れ(2)

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【55】鳴動する穢れ(2)

 聞いた話だ。  阿頼耶識一休が南関東の山にある『六文銭』本拠地・『暗鬼廊』を訪れた時、彼女は以前と同じく鉄製の巨大な門扉を跳躍力で突破した。ご丁寧にブザーを押して迎えの車を待つ、という無駄を嫌った為だ。  そして3メートルはあるその扉を上から飛びこえて向こう側に降り立った時、山道右脇に設置されたベンチに風変わりな衣装を身にまとった男が座っているのを見て、 「またお前か!」  と叫んだそうだ。男は立ち上がってタキシードの前を正すと、右足を後ろへ下げて目を見開いた。 「ややっ! 紳士淑女諸君! ここで会ったが100年目! 呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん! ウェルカム腕噛むどこ噛むねーん! 俺様は偉大なる道化師にして稀代の大奇術師、あ、滝万代でーあーるっ!」  ばさばさ、と2羽の鳩が滝さんの帽子から羽ばたいたらしいが、一休女史は既に山道を登り始めて見ていなかった。  それは巨大な闇を思わせた。漆黒の三重塔が放つ異次元の重みを頭上に感じながら、自動ドアの前にふたりは並び立った。 「開かないね」  右足をちょんちょんと前の地面に突き出しきながら滝さんが言うと、 「開くさ」  一休女史が硝子製の自動ドアを蹴破った。耳をつんざく強烈な破壊音と共に防犯ベルが轟く。麓の門扉を正しい手順で通っていないせいだろう、出迎えもなく、玄関扉は施錠されたままだったのだ。ジリリリリ、と耳障りな警報ベルが鳴り響くも、奥から人が出て来る気配はなかった。 「こう、ぶわーっと。柱という柱のエレベーターが開いてこう、ぶわーっと、うじゃうじゃーっと家来が襲い掛かって来るのかと思ったけどね」  滝さんが言うと、 「お前はお前で何とかしろよ」  と一休女史は冷たく突き放した。「私をあてにするなよ」  滝さんは眉をハの字に下げて一休女史を見上げた。 「なんだ」 「一休ちゃん、そりゃないよ。こっちは争いごとが苦手なんだからかさあ」 「鳩爺、お前なんでここへ来たんだ?」 「そりゃあ、新開くんに頼まれたからだよ。ふざけた催眠術師を叩きのめしてほしいってね!」  滝さんが透明な相手をぶん殴る動きをして見せると、争いごとが嫌いなんだろう、と一休女史は冷静な声で言った。 「催眠術な。ふふ、そんな物が本当に効くとは思えんが、まあ勝手にするさ。私の足を引っ張りさえしなければ、気が向いたら助けてやらんこともないぞ。これでも一応、年長者は敬うようにと躾けられたからな」 「是非気が向いてほしいねえ。しかし今時偉い親御さんだ、しっかり教育が行き届いている。素晴らしい」 「ほう、気分がいいな、もっと言えよ!」  2人は話しながら玄関ホールを進み、廊下とこちら側を隔てる観音扉の前に立った。鍵が掛かっていたが、今度は滝さんがトランプのカードを使ってあっという間に開けて見せた。一休女史が扉を押し開き、廊下に進むと同時に背後でドーンと重たい音をたてて扉が閉まった。その途端、噓のように警報ベルの音が聞こえなくなったそうだ。 「もう2度とここへは来たくなかったよ」  と滝さんは言った。 「恨むなら新開を恨め、他力本願な甘ったれをな」 「何を言うかい。私は嬉しいんだ。あの男は基本、誰にも頼ろうとなんかしない。そのせいでいつも傷ついて、多くを失ってきたんだ。彼も、彼の家族も、そして友人たちも」 「生きてればそれが普通だ。あいつらだけじゃない」 「あははは、手厳しいなあ一休ちゃんは。まあ、君も新開くんも、似ているんだろうね。優しさが自分を傷つけてるんだ」 「一緒にするな、殺したくなる」 「だけど本当に苦しい時、彼は私なんかを頼ってくれた。よっぽどのことだよ。これまではサーカス団の座長とお客さん、それ以上の距離には決して踏み込んでこなかったからねえ。彼は、自分の生きる世界がどれほど過酷なのかをちゃーんと分かってる」 「奴め、都合の悪い時だけ頭を下げて来たってわけだな」 「それでいいじゃないか。適材適所って奴さ」 「人がいいな鳩爺。人生損するぞ」 「どうせ老い先短いもの。私はこれまでさんざんいい夢を見て来たよ、損するくらいが丁度いいさ」 「ふざけたちょび髭のくせして良いこと言うじゃないか」 「一休ちゃんも、たまには人に頼りなさいよ。そうしないと疲れちゃうよ」 「っは。この私より頼りになる人間がこの世のどこかにいるならな!」 「わはははは!こりゃいっぽん取られたね!」  廊下の奥から近付いて来る気配があることを、2人は既に感じ取っていた。物音は聞こえてこない。2人は廊下の端に立ったまま1歩も動いてはおらず、センサー制御の照明がたてる耳障りな音が邪魔をする、といったこともなかった。  滝さんは、目が悪い代わりにとても耳がいいそうだ。その彼が言うには、突き当りにある離れの戸が開き、中から人が出て来るような音も聞こえては来なかった。つまり今2人に向かって近付いて来る気配は、人間のものである。 「何だろうね」  と滝さんは言った。「この間来た時には、感じなかった気配だね」 「ああ。初めて会う奴だ」 「ん」  風切り音と共に何かが飛んで来た。  滝さんはそれを眼前でキャッチしたが、暗闇の中である、それが何かまでは分からなかったそうだ。一休女史は投げつけられた何かを滝さんが微動だにせず受け止めた事に感心し、 「鳩爺」  と言った。「お前ただの道化じゃないな?」 「年季の入ったただの道化だよ。でもこれ、何かな?」 「名刺だ。見えないくせに掴んだのかお前」 「たまたまさ。こんなに暗いのによく見えるね、字、読めたりする?」 「ああ、もちろんだ。あー……テラ、カワ?」  ――― 初めましておふたりさん。  声が聞こえ、2人は身構えた。  声は2人の僅か5メートル程前方から聞こえたという。いつの間に接近を許したのか。いや、センサー制御の照明を付けずにどうやって近付いて来れたというのか。  んんんん、と一休女史は不満そうな唸り声を上げた。所が滝さんは平然としていた。 「電気くらいつけてほしいねえ。こうも暗いと、私がとびっきりの自己紹介をした所で何も見えないね」  一休女史に向かってそう優しく呟きかけ、 「見えなくて結構」  言い返す一休女史に肩を揺らして笑った。 「大層、余裕がおありですなぁ」  と前方の声が言った。張りと色気のある男性の声だった。が、若くはない。「人間は皆、暗闇の中では満足な思考も働かないというのに、おふたりの落ち着きようったらどういうわけでしょうな……何ですかそれ」  言われ、一休女史はピタリと動くのをやめた。上着の懐から棒状のナイフを抜き取ろうとした動きを感知されたのだ。あるいは、見えているのか。 「人がまだ話している途中だというのに、そんな物騒なもの投げないでくださいよ」  一休女史は滝さんの手元の名刺を見やり、 「寺川……ふ」 「ブヨウ」  と男は言った。「寺川歩庸と申します。六文銭の術師でございます。以後お見知りおきを」  寺川が言い終わらぬうちに一休女史は棒状のナイフを投げた。彼女が当てるつもりで投げたナイフを、寺川は身体を左に避けてかわした。……暗闇の中で。  一休女史曰く、投げナイフは投擲の瞬間を見られたら終わりなのだそうだ。威嚇ではなく攻撃として使うのであれば、別の手札と織り交ぜて使うか、完全に相手の意表を突くか、見えない場所から投げるかせねば手段として成立しないという。だがこの場は完全な暗闇である。先程上着の懐から抜き取る動作を感知した寺川の方法が目視なのか、気配を読んだのか、一休女史にはそれを知る必要があった。  結論、一休女史が出した答えは、 「こいつ、見えてるぞ」  だった。 「だろうね。一休ちゃんそれよりも怖いことが起きた。今一休ちゃんが投げたナイフ、どこにも当たっていないんじゃない? 壁や廊下に当たった音がしないよ」 「ああ」  滝さんの問いに頷き、一休女史が低く腰を落とした。「寺川の背後、30メートル程向こうにもうひとりいるぞ。……日隠だ」 「ふう」  と寺川がため息をついた。「間一髪でした。私はおふたりをお迎えに上がったまでで、出来れば少し話などもしたかったのですが、どうやらそちらにその気はないようだ」 「いや、私は話がしたいんだけどね」  滝さんがそう言うと、 「嘘はいけない」  と寺川が切り返す。 「だけど」  と滝さんは続けた。「あんたらはちょっとやり過ぎたんだよ」  寺川が黙った。 「話し合いで済む地点はとうに過ぎ去ったよ。死んでいった者たちは何も望んだりしないだろうけど、生きてる人間がそれを望んでしまうんだ。悲しいね。悲しいよ」 「あなた方は、今更何を望んでるんです?」  寺川の問いに、滝さんは静かに答えた。 「逝きて還らぬ泡沫の夢さ……外道」 「はは、ロマンチックは嫌いじゃない」  鼻で笑う寺川の顎に膝蹴りを掠め、一休女史は日隠に向かって猛然と走り出した。  僕が麓の門扉に辿り着いた時、呼び出しブザーを何度押しても返事はなかった。扉の横幅は山道よりも広く、両脇は鬱蒼とした木々が天然の壁となって視界を覆っている。かと言って、門扉の高さは僕なんかが自力で飛び越えられるようなものでもない。ここは面倒だが一旦獣道をかき分け迂回せねば、向こう側へは進めそうになかった。  しかし、ものは試しという言葉もある。  僕は鞄の中からスタンガンを取り出し、スイッチを入れてみた。バチバチと電極部が音を立てる。以前僕が娘の護身用に買ったものだが、今時そんな危ないものは使わない、と妻に笑われ押し入れで眠ったままになっていた。僕は暴力的な手段を用いるのが好きではないが、綺麗事を言っていられる程穏やかな心境でもない。  電子制御ロックの扉ならば、余計な負荷を掛ければ破損してくれるかもしれないという、安直な文系的発想だった。しかし驚いた事に、ほんの数秒扉の開閉部に押し当てただけで、反対側にある金属の閂がガシャンと外れてくれた。  ――― 使えるじゃないか。やはり成留に持たせよう。  僕はスタンガンを鞄にしまい、門をくぐって山道を登り始めた。  
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