邂逅

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邂逅

 月明りに照らされた薄暗い夜の廃墟。聞こえるのは今にもこと切れそうなか弱い呼吸。首から肩にかけて血まみれになり仰向けに倒れている青年がいた。 人生というものはこんなにも突然に、あっけなく終わりを告げるものなのか。徐々に薄れていく意識の中、篠宮晃人(しのみやあきと)はそう考えていた。  シャランシャランという金物の鳴る音と足音が晃人に近づく。少しずつ暗くなる視界。ああ、仏か何かが迎えに来たのか。ちょうど月明りが差し、その姿が薄っすらと浮かび上がる。さらりとした黒髪が艶やかに反射した。最後に瞳に映ったのは、黒い和装姿の少年だった。  時は2時間前に遡る。 「ねぇ本当に行くの?」 「何だよ今更。怖ぇのかよ?」 「だってここ何か変な感じするんだもん…」 「はぁ?なんだそれ。ビビってるだけだろ、な、晃人。」 「えっ!?あ~ははは…だな!だ、大丈夫だろただの噂なんだしさ!」 「そんなに怖いならお前ここで待っとくか?」 「それも嫌だ~!」  夏の風物詩を堪能するにははまだ少し早い初夏の夜。晃人は大学の友人たちと幽霊が出ると噂されている廃墟に来ていた。本当は幽霊や怪奇現象といった類はかなり苦手で、こんな不気味な場所行きたいなどと微塵も思っていなかった。しかし友人たちの前ではつい見栄を張ってしまい、結果、廃墟探索に同行する羽目になってしまったのだ。内心帰りたくて仕方がない。夜の廃墟だなんて何が楽しいのか。晃人は激しく後悔していた。  廃墟の中を進む晃人たち。時折冗談を交えつつ怖さを紛らわす。しかしその背後に怪しげな影がついて来ていることに誰も気付いてはいなかった。  順々に見て回り、特に何も起こることもなく全員が気を緩めたその時だった。 「うわあああああ!」  急に友人の一人が叫び走り出した。その声に驚き、全員があとを追いかけ走りだす。 「何だよいきなり!」 「いた!何かいた!!こっち見てた!あれマジでヤバいやつだって!!」 「うしろ追って来てる!?」 「分かんねぇ!けどとにかく外に逃げろ!」 無我夢中で外へ逃げた友人たち。そして気が付く。 「あれ?晃人は…?」 「やっべぇはぐれたぁぁッ!」  顔面蒼白で涙目状態。晃人は一人はぐれて未だ廃墟の中にいた。  この廃墟こんなに広かったか?階段が全然見付からねぇんだけど!設計したヤツ絶対ミスってるだろ!  怖さを紛らわすように廃墟の構造に文句をぶつける晃人。 「おぉーい、正一、のり、真木、居たら返事してくれよぉ。」  恐る恐る声を出して呼んでみるが辺りは静かなままだ。すると小さな声で「おーい」と呼ぶ声が聞こえた。それは友人の声だった。 「何だいたのかよぉ!お前らこういうのマジでやめろって…」  そう言いながら角を曲がると、そこには首があらぬ方向へ曲がり地べたを這いつくばっている髪の長い何かがいた。そいつの口から聞こえるのは確かに友人の声。しかし、どう見ても友人の姿ではない。  腰が抜け、その場に尻もちをつく晃人。次の瞬間、異形は晃人に襲い掛かった。必死に抵抗するも成す術はなく、異形は晃人の首に嚙みついた。  異形が再び晃人に嚙みつこうとしたその瞬間、一枚の御札が直撃した。すると異形は雄叫びを上げ、身をひるがえすと闇の中に消えていった。  横たわる青年のか弱い呼吸、流れ続ける大量の鮮血。和装姿の少年は、彼がもう助からないことを悟る。  少年は御札を一枚取り出した。廃墟から一瞬仄かな光が差すと、光は瞬く間に消え再び月夜に照らされた廃墟だけが佇んでいた。  ハッと目を覚ました晃人。カーテンから日が差している。そこは見慣れた自分の部屋だった。思わず自分の首元をおさえたが、何ともない。 「…夢?妙にリアルだったな…。」 夢だったことに安堵し、身支度を済ませると晃人は大学へ向かった。 「晃人!」 友人の一人が晃人の姿を見付けるや否や安堵した表情で話しかけてきた。 「え、何、どうしたんだよ。」 晃人がそう返すと友人はポカンと口を開けた。 「何って、昨日のことだよ!」 「昨日?」 「そうだよ、俺とのりと真木とお前とで、昨日廃墟に行っただろ?」 「!?」 「お前とはぐれた後、みんな外でお前のこと待ってたんだぜ。連絡しても全然繋がらないしすっげぇ心配したんだぞ!?」  友人の口ぶりはとても嘘をついているようには聞こえなかった。昨日、晃人は廃墟に行っていた。きっとそれは事実で、晃人自身も記憶がある。ならば、そのあとの出来事はどこまでが現実で、どこからが夢なのか。夢でないならば、自分は今ここに居られるわけがない。  だって俺はあの時…。 「な、なぁ正一。俺、足あるよな?体あるよな?ちゃんと見えてるよな!?」 友人はじっと晃人を見つめた。顔、体、手、足、順番に視線を落としていく。晃人はごくりと喉を鳴らす。 すると友人は晃人の股間に蹴りを一発入れた。 「――――ッッッ!?」  へっぴり腰になり、股間をおさえたまま地面に膝をつく晃人。大事な部分から痛みが迸る。 「うん、大丈夫だ!大事な部分もちゃんとあるぞ!」 「お前のせいで俺の大事な部分今消えたわ…。」  しかしながら、晃人は昨日の出来事が夢でなかったことに困惑していた。  昨日、あの廃墟で俺は死んだ…はずだ。仮にあの後病院に運ばれたとしても、あの傷はたった一日で治るものじゃない。そもそも俺は今朝、自分のベッドの上で目を覚ました。一体何がどうなっているんだ?意味が分からない…。  その日はずっと昨夜のことばかり考えていた。しかし考えても埒が明かない。ならいっそ考えることをやめようと、晃人は早々にベッドに入った。だが、中々眠れない。異形に襲われた時の生々しい光景が脳裏に焼き付いて離れない。恐ろしくて肩をすくめていると、何処からか声が聞こえてきた。  今度は何なんだ!?咄嗟に耳を塞ぐが、声は止むことはなかった。むしろさっきよりはっきり聞こえる。  これは…俺の頭の中から聞こえている!? 『おい、聞こえてんだろ』 「…誰だ…?」 『あ、やっと繋がった。じゃ、今から魂魄飛ばすから』 「は?何、こんぱく?」  声の主は晃人が言い終わるのを待たず御札を構えると術を発動させた。  一瞬、宙に浮いた感覚がした。いや、浮いていたに違いない。でなければ尻もちをつくはずがない。 「いててて…何なんだ?」  目を開けると、そこは見覚えのある寂れた場所。昨夜襲われた廃墟の中だった。 「よう、昨日ぶりだな。」  顔を上げると高校生くらいの少年が背中を向けて立っていた。こちらを振り返る素振りもなく背中越しに言葉をかけられた。  誰だ?昨日?こんな不躾な態度の学ラン男子なんて知らないぞ。 「早速だが働いてもらうぞ。」 「は?何言って…」  高校生と思われる少年はじっと一点を見つめていた。その先に目をやると、そこにはうごめく何かがいた。ずるずると這いつくばって近づいてくる音。月夜に照らされ姿かたちが浮かび上がる。それは紛れもなく、昨日嚙み付かれた異形の化け物だった。異形の体にはボロボロになった御札の切れ端が張り付いていた。 「チッ。さすがにあれじゃ威力が足りないか。」 「な、何なんだよあれ…昨日の…化け物…?」 「詳しい説明はあとだ。とにかく今は――」  そう言うと少年は晃人の襟元をつかみ、異形めがけておもむろに放り投げた。 「戦ってこい。」 「はぁ!?ええええええええ!?」  放り投げられた体はちょうど異形の頭上まで届き、異形は今にも嚙み付こうと口を開けて構えていた。  食われる!咄嗟に目をつむりもうダメだと思った時だった。体が触れた瞬間、異形は勢いよく弾け飛んだ。その反動で晃人も吹き飛び二転三転と転げ、少年の傍まで舞い戻る。 「へぇ、中々の威力だな。」 「お前いきなり何すんだ!つーか今の何!?あいつも俺もいきなり吹っ飛んだんだけど!」 「それはあんたの…」 言いかけると奥から様々な異形が姿を現した。 「ヒッ!?」 「ゆっくり話をしている時間はないみたいだから、先にこいつら片づけるよ。ほら、あんたも早く立ってもう一回やって来てよ。」 「は!?」 「あいつらに触れるだけでいいから。」 「無理無理無理!あんなグロいやつ触りたくねぇっつの!」 「んなこと言っても…」 少年が指をさした方向に目をやる。 「来てるぞ。」  勢いよく二人の元へ駆け寄って来る異形たち。晃人は雄叫びを上げながら手を突き出し顔を背けた。すると再び晃人に触れた異形が吹き飛び、周りにいた異形を巻き込み飛んでいった。 「よく飛んでくな。あんたも。」 再び吹き飛び少年の後ろでうつ伏せに倒れている晃人。 「ま、初めてならこんなもんじゃね。ここからは俺がやるから見ときなよ。」 「は?何を…」  そう言うと少年は御札を一枚取り出し詠唱を唱えた。たちまち錫杖が出現し、手に取るとそのまま異形に突っ込んで行った。みるみるうちに異形は気化するように消えていき、遂に最後の一体が消え失せた。  戻って来る少年の姿に月明りが差す。シャランと鳴る錫杖の音、艶やかに光る黒髪、無感情な表情。ぼんやりとしていた記憶が蘇る。 「お前、昨日の…!」 「ああ、思い出した?」 「でも、昨日は和服着てなかったか?」 「あれは正装。普段はあんなの着ないよ、面倒くさい。こっちのが動きやすいしラク。」 「そうだ!あいつら一体何なんだ!?俺、昨日あの化け物に襲われて…多分、死んだはずじゃ…」 「あれは悪霊になり果てた地縛霊だ。俺たちはそいつらを退治している、祓い屋だよ。んで、あんたは昨日の夜、悪霊に襲われてここで死んだ。間違いないよ。」 「そっか…やっぱり俺、死んだのか…。」 はた、と止まる。  いや、おかしいだろう。何で死んだのに普通に飯食って大学行って友人と会話できているんだ!? 「あのぉ~えーと…」 「あぁ、名前か。柳。榎本柳(えのもとやなぎ)。」 「そっかぁ柳くんね、俺は篠宮晃人。よろしくね~…じゃなくて!俺死んだはずだよな!?なのに普通に生活出来ちゃってるってどういうこと!?」  混乱する晃人を尻目に柳は錫杖を札の中に納めながら言った。 「あんたは確かに死んだよ。けど俺が生き返らせた。式神転生術を使って。」 「しき…、は?転生?」 晃人の頭の中は更に混乱していた。 「式神転生術は死んだ人間に使う術。魂魄が冥界へ飛んでいく前に式神として転生させる術だよ。それをあんたに発動させた。」 「式神って…確か陰陽師が出てくる漫画で登場してた…使い魔みたいなやつだよな!?」 「まぁ、解釈的には間違ってない。俺らは祓い屋だから基本的に悪霊退治の時に式神を呼び出して戦わせる。更にそれ以外の雑用なんかに使役することも可能だ。一度契約したら式神は術者の言うことには絶対服従。つまり、あんたは今、俺と主従関係を結んでいるってことだ。」 「なっ!?何だよそれ!」 「今説明しただろ。あんたは俺の式神になったんだ。これからは俺の言うことには全てYESと答えて働いてもらう。」 「ふざけんなよ!いきなりそんなこと言われて納得すると思ってるのか!?」 柳は据わった目で晃人を見つめて言った。 「じゃあ、あんたはあのまま死んでた方が良かったか?」 「っ!そういうわけじゃねぇ…けど!人が死んだら勝手に生き返らせて式神だの主従関係だの絶対服従だの!受け入れられるわけないだろ!そもそもあの時お前近くにいたんだろ!?だったら何で俺が襲われる前に助けなかったんだよ!人の命何だと思って――」 言いかけた途端、晃人は激しい息苦しさに襲われた。  何だコレ!?過呼吸か?息がうまく出来ない…! 体勢を崩した晃人を見降ろす柳。その表情はただただ無感情。下僕一人どうなろうと構わない、そんな風に見て取れた。 「生きたいか?」  柳のその言葉に、苦しさと悔しさを交えた表情で見上げ、答える晃人。 「…ったり…まえ、っだ…!」  柳は目を細めた。体を屈ませて晃人の体を抱き起こすと、柳は晃人の唇に顔を近付けた。乱暴に重なり合う唇。晃人はもはや何が起きているのか思考が追い付いていない。何度も交じり合う舌と舌。 「んん…っ、んう…」 口の端からだらしなく垂れていく唾液。晃人の喉がごくりと鳴る。 「ん…はぁ…はぁ…」  唇が離れると晃人の呼吸は徐々に正常に戻っていき、顔色もみるみる良くなっていった。それどころか、ふわふわと心地が良い。そんな不思議な感覚に陥った。 「ん…あれ?今、何がどうなったんだ?」 「俺のDNAを送り込んだ。さっき苦しくなっただろ。あんたの魂魄は本体と離れていくらか時間が経っている。尚且つ奴らに力を使った。その時間が長くなればなるほど魂魄は消耗し、いずれ消滅する。つまり死ぬってことだ。そうならないように、術者が式神にDNAを与えて魂魄の生命維持をさせる。とりあえず、さっきは手っ取り早く俺の唾液を送り込んだ。それでしばらくは問題ないだろ。」  唾液を送り込んだ…?呼吸するのに必死で何が起こったのか分からなかったが、次第に冴えてきた頭で先程の行動を振り返る。蘇ったのは唇の感触とその光景。 「っ!お前、さっき俺にキっキス…!!」 「あんなの人工呼吸みたいなもんだろ。何、あんたキスすんの初めてなの?」 「うっうるせぇ!キスの一つや二つあるに決まってんだろ!」  彼女がいたこともあるしキスだってしたことある。だが男とのキスは初めてだ。  キスの一つくらい手練れてます、みたいな涼しい顔をしやがってムカつく!晃人はこれ見よがしにごしごしと口を拭った。 「これで分かっただろ。拒否したところであんたは俺のDNAがなければ死ぬ。嫌でも何でも関係ない。死にたくないなら俺に従え。あんたの選択肢はそれだけだ。」  ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!!上から物言いやがって!  身をもって知った現状に悔しさが沸き起こる。ならば!そう思い顔を上げてタンカを切った。 「選択肢はそれだけだ?ふざけんな!選択肢が無いってんなら作ってやるよ!俺は元の人間の体に戻ってやる!そんでいつかお前に目に物見せてやる!それが俺の選択肢だ!」 「…出来るものならやってみなよ。」 目を細め、澄ました顔で返す柳。  見てろよ!絶対元の体に戻ってぎゃふんと言わせてやる…!晃人はそう心に固く誓った。  こうして、最悪の出会いを果たした二人のでこぼこ主従関係が始まったのだった。
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