162人が本棚に入れています
本棚に追加
「シーグラス?」
「この間晃人さんにも見せただろ」
「ああ、あれか」
ふと、この間のアルバム写真が脳裏に蘇った。満面の笑みでカメラに向かってシーグラスを向けている幼い頃の柳の姿だ。
「もっと大層なものかと思ったか?」
晃人は優しく微笑んだ。
「どれだけ大切な物なのか、それは他人が推し量れるものじゃないだろ。そのシーグラスが柳にとって大切な物だって言うなら、俺はそいつを全力で探すまでだ」
ニカっと歯を見せて笑顔を向ける晃人。柳はその笑顔を受けると、ふいっと顔を背けて手元の工具を弄った。
「それにしても、何で嘘つく必要があったんだよ。正直に探し物してるって言えばいいだけじゃねーか」
柳は少しばつの悪い顔を見せると言った。
「まぁ、一応テスト期間だし。それに……」
その続きを中々言わない柳に晃人が促した。
「それに、何だよ?」
「何でもない」
「何だよ、そこまで言ったら言えよ」
「何でもない」
「気になるだろ。言えよー!」
晃人はふざけて柳の脇腹をくすぐりにかかった。しかし、すかさず「しつこい!」と頭をチョップされ、頭部を押さえてその場にうずくまる。そっぽ向く柳の後ろ姿に晃人は声をかけた。
「シーグラス探してること、鈴江さんに知られたら何かマズいのか?別に失くしたからって咎められはしないだろ。むしろ必死こいて探してるなんて知ったら、鈴江さん嬉しがりそうだけどな」
目を見開いて柳は振り向いた。
「昔旅行先で鈴江さんから貰った物なんだろ?」
「何でそのこと……」
「この間鈴江さんがアルバムの写真見せてくれてさ、シーグラス持って笑ってるお前の写真を見つけたんだよ。柳の部屋で見たシーグラスと似てるなーって言ったら鈴江さん、懐かしそうに笑ってたぞ」
柳は手で顔を覆い、大きな溜め息を吐いた。
「……女々しいだろ、こんなの。ガキの頃に親から貰った物をいつまでも持っているなんて」
覆っていた手を離すと柳は天井を仰いだ。
「シーグラスを失くした日、ちょうど祓い屋の依頼があった日だった。制服に入れたままどこかに落としたんだ。探すにしてもあんな小さいガラスだ、見つかるわけがない。なくなったのなら仕方がない、そう思って最初は探すつもりもなかった」
失くしたあの日、机の一段目の引き出しを開けるとシーグラスを仕舞っていた小さな巾着袋が目に入った。空になった巾着袋は驚くほど軽く、そこにあったはずの丸みを帯びた優しい手触りはもう感じることは出来なかった。
「けど、あのシーグラスが手元に無いんだと次第に実感が湧いてきたら、気付いた時には俺は走り出してた。何の変哲もないただのガラスなのに、何でここまでしてあのシーグラスを探しているのか、本当は自分でもよく分かってないんだ」
俯いているその横顔はよく見えない。しかし、発せられるその声色からは困惑の色が伺えた。
「そんなの、ただのシーグラスじゃないからだろ」
柳はゆっくりと顔を上げ、晃人に顔を向けた。
「確かに見た目はどこにでもあるような、何の変哲もないガラスだ。でも、今柳が探しているのはシーグラスだけじゃないだろ」
「え?」
「あのシーグラスには、鈴江さんとの思い出も詰まってるんだろ」
青い空。どこまでも続く広い海。打ち寄せる波が、太陽の光に反射してきらめきを放つ。
手のひらには淡い艶をまとったシーグラスが転がっている。元はただのガラス片。年月が経ち、移り変わったその姿はただのガラスだなんて思えないほど滑らかで、丸い形のそれは手のひらに優しく馴染んだ。
海水につけると表面は艶やかな水色へと変化する。空にかざして眺めると、その輝きはまるで宝石のようだった。思わず胸が躍ってシーグラスに夢中になっていた。
「柳、もう一つ良いことを教えてあげる」
「良いこと?」
「そう。シーグラスには願い事を叶えてくれる力があるそうよ」
「えっ本当に!?」
「でも、一度願いをかけただけじゃダメよ。叶える為には、常にその願いを心に留めて行動すること。そして、そのシーグラスは大切に持っておくこと。それが必要不可欠なの」
「うーん、そうなのか。簡単に叶えてくれるわけじゃないんだ」
「ねぇ柳。柳はどんなことをお願いする?」
「オレは……うーん」
首を傾げ、困った表情で考え込む。中々答えが出せず柳は鈴江に聞き返した。
「お母さんは?」
「え?」
「お母さんだったら何てお願いをする?」
「そうね、お母さんは……柳と樹、それにお父さん、家族みんながこの先もずっと笑顔で暮らせますように、かな」
穏やかに微笑む鈴江の姿。手にしていたシーグラスを柳はじっと見つめた。すると、遠くから宗一郎の声が届いた。手を振って呼ぶ宗一郎と樹の姿が見える。柳はその姿を見るとニッと口元を上げて言った。
「決めた!オレはお母さんの願い事を叶える!」
「え?」
「お母さんもお父さんも兄ちゃんも、オレがみんなを笑顔にさせてあげる!」
鈴江は目を見開くと満面の笑みを見せた。
「じゃあ私からもお願いするわ」
シーグラスを持つ柳の手を、鈴江は包み込むように掬い上げ、そして顔を近付けると祈るように言った。
「私の願いと柳の願いが叶って、うんと素敵な笑顔が見れますように」
鈴江と交わした約束。そして願い。いつしか忘れてしまったあの日の記憶。どうして忘れてしまったのだろうか。いや、忘れたのではない。きっと、罪を犯したあの日に記憶を押し込んでしまったのだ。お前にその資格はないのだと。
それが、今になってなぜ呼び起こされたのだろうか。
「頭で考えて分かんなくてもさ、こっちがちゃんと覚えてるんだよ」
そう言って晃人は柳の左胸を軽く叩いた。
「大切な思い出なんだろ」
左胸にそっと手を添えると、心臓の鼓動とじんわりと温かな熱を感じた。まるで胸の奥に小さな明かりが灯っているかのようだ。温かくて、でも切なくて、触れたら消えてしまうんじゃなかと思うくらい、淡い小さな明かり。手を伸ばしたら、その光はどうなるのだろうか。
「柳、こっち探してみようぜ」
晃人は奥を指さして促した。その声に顔を上げると、柳は足を踏み出し晃人の背中を追った。
最初のコメントを投稿しよう!