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贈る言葉
スマホから規則的な音が鳴り続ける。布団から手を伸ばし、画面のボタンをスライドさせ音を止めると、眠気眼で時間を確認した。朝の4時半。布団の心地良さが再び眠気を誘ってくる。あと5分。いつもならそう言って二度寝をしてしまう。しかし今日はそういうわけにはいかないのだ。手足をめいっぱい伸ばすと、晃人はベッドから起き上がって、まだ眠たい目をこすりながらのそのそと支度をした。
「おはよーさん」
「本当に来たんだ」
駅のベンチに腰かけていた晃人は、柳の姿を見付けると手を振って声をかけた。電車を待つ人の姿はまばらで、駅構内も鳥のさえずりが聞こえるほど静かだった。
「俺も一緒に探すっつったろ」
「いや、そうじゃなくて」
柳は鞄から参考書を取り出し開きながら言った。
「わざわざ途中下車して俺を待たなくても現地集合でいいじゃん」
「いやぁ、俺あんまり道覚えてなくてさぁ」
目を泳がせながら頭をかいて言う晃人だが、柳はそんな素振りに目を向けることなく、参考書を見ながら「ふうん」と生返事をした。
朝とはいえ、一人きりであの廃工場に行く度胸はない。悪霊も祓われて霊的なものは居ないと分かっていても、漂う雰囲気は不気味で怖いのだ。そんなこと柳には口が裂けても言えない。誤魔化そうと笑ってみせたが、当の本人はそんな理由に興味はないらしい。黙々と参考書を眺めていた。
昨日はあれから二人でシーグラスを探したが、結局見つけることは出来なかった。日も暮れたのであまり遅くならないうちに切り上げて、また明日、早朝に探そうということにしたのだ。
今日は金曜日。柳のテストも最終日だ。動き出す電車の中、隣で参考書を捲る柳の姿をチラリと見た。テスト期間中、柳はずっとシーグラス探しに時間を費やしていた。今、この移動時間は柳にとって貴重な勉強時間なのだろう。そう思い、晃人は静かに外の景色を眺め、駅の到着を待つことにした。
「見つからねぇ……」
捲った薄汚れた布を元に戻し、ため息交じりに言葉を漏らした。隙間を覗き、目を凝らして探すが小石ほどの大きさのシーグラスはそう簡単に姿を見せてはくれない。
陽の当たらないジメジメとした空間。物を動かすたび長年溜まった埃が宙を舞う。当然空気は良くない。
2階スペースを見上げるとちょうど柳の後ろ姿が見えた。
「柳、俺少し外の空気吸ってくる」
その声に、柳は軽く手を振って了解の合図を返した。
外の茂みに置かれた柳の鞄。その傍に座り、晃人は空を見上げた。
シーグラス探しは思いのほか難航している。二人で探せば何とかなると思っていたが甘かった。今はちょうど祓い屋の仕事を休んでいるからいいものの、テスト期間が過ぎればまた依頼が入ってくる。そうなるとシーグラス探しに割く時間は一気に減る。何とか今日中に見つけ出したい。
あのシーグラスにどんな思い出があるのか詳しくは分からない。けれど、柳は明確な理由も分からないまま何日もかけて必死に探していた。頭で動いたのではなく、気持ちの赴くままに体が動いたのだ。きっと、あのシーグラスには柳の心を揺さぶる強い想いが込められているのだ。もしかしたら、あのシーグラスは柳が自分の心と向き合うきっかけになるかもしれない。重く閉ざされた扉を開く、大きなきっかけに。晃人はそう思わずにはいられなかった。
「あと一時間くらいか」
ポケットからスマホを取り出し時間を確認した晃人。そして表示されている6月16日という日付に目を向ける。
今日中に見つけ出したい理由には、明日が柳の誕生日だからというのもある。柳には、鈴江に対するわだかまりを晴らして誕生日を迎えてほしいのだ。
柳にとっても鈴江にとっても、6月17日という日を、この先も笑って迎えられる日にしてほしい。そう切に思うのだ。
晃人はこぶしを握り、「よし!」と小声で呟くと気合いを入れ直して廃工場の中へ足を運んでいった。
刻一刻と進む時間。そろそろ廃工場を出なければ柳は学校に遅刻してしまう時間だ。
「柳、そろそろ駅向かわないと間に合わなくなるぞ」
そう声をかけた時だった。目の端に水色の小石のような物が映った。
「あっ!」
壁に向かって駆け出した晃人は、傍まで近付くとチラリと見えた場所を見上げた。高さにしてちょうど一階フロアと二階フロアの中間。剥がれた壁の隙間にそれらしき物が見える。背伸びをしただけでは届かない。かと言って、二階から手を伸ばして届く位置でもない。
そこらに転がっていた一斗缶を重ねて足場を作ると、晃人はバランスを保ちながら乗り、手を伸ばした。
「あと、もうちょい……!」
手を探り、ようやく指の先で掴んだその時だった。重ねた一番下の一斗缶が徐々にひしゃげていき、連動するように傾いていった。
「晃人さん!」
バランスを崩し傾いた晃人の体を咄嗟に受け止めた柳。しかし重力には逆らえず、二人とも地面へ転げ落ちた。
「痛てて……はっ!柳、見つけた!見つけたぞシーグラス!」
晃人はすぐに体を起こし柳の前に手をかざした。しかし柳はそれを見たあと、晃人の腕を掴んで目の前に押し返した。
「よく見ろ。これはただの石だ」
「え?」
掴んでいた物を改めて見ると、水色のペンキが付いた、薄汚れた石だった。それが分かると晃人はがっくりと肩を落とし溜め息を吐いた。
「時間だな」
そう言って立ち上がる柳。制服の左半分が黒く汚れていた。
「柳、制服が……!悪い、俺のせいで……」
「別に。学校でジャージに着替えたらいいだけだ。テストも午前で終わる」
「俺!今日午後空いてるし、また一緒に探そう!」
体をずいっと寄せ、諦めきれないという眼差しを柳に向ける。不意に近付いた顔。お互い一瞬止まるが、寄せた体を押し返すように、柳は晃人の額を押さえて返答した。
「好きにしたら」
手の隙間から晃人の笑みがこぼれる。
「おう!」
駅へ走る二人の後ろ姿が見えなくなった頃だった。生温い風が草木を揺らし、やがて辺りは静寂が訪れた。それは音もなく現れ、やがて影となって廃工場の中に吸い込まれていった。
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