贈る言葉

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 電車の到着を知らせるアナウンスが流れる。まばらに降りてくる乗客の中、ジャージ姿で歩く少年の姿をその目に捉えると、晃人は手を振って名前を呼んだ。 「柳!」 「だから、何でわざわざここで待ってんの」 「細かいことは気にすんなって!」  午後、二人は再び廃工場に向かった。  隣を歩く柳の姿。着ているのは学校指定のジャージだ。 「柳、学校からそのまま来たのか?」 「そうだけど。それがどうかしたか」 「いや、てっきり一旦帰って着替えてから来るもんだと思ったから」 「今日はテストしか受けてないんだから、さすがにこの格好で帰ったら質問攻めにされるだろ。おまけに制服も汚れているしな。だから今日は学校終わりにそのまま晃人さんと会って特訓させるって連絡入れといた。そこで汚れたって言えばまかり通るだろ」 「ホントいいように使うな、俺の存在」 「使えって言ったの晃人さんじゃん」  しれっと言葉を返す柳に晃人が反抗して言う。 「いや“使え”じゃなくて俺は“頼れ”っつったの。ニュアンスが違うわニュアンスが!」 「うるさいなぁ。細かいことは気にするなって、さっき晃人さん自分で言ってたじゃん」 「それとこれとは違うんだよ!」  大げさに耳を押さえて聞こえないフリをする柳と、その隣で眉を吊り上げて反論する晃人。そんな二人の掛け合いがいくらか続いた頃だった。  鬱蒼とした茂みを抜けて廃工場の前に辿り着いた柳は急に足を止めた。  何かが居る。瞬時にそう悟った。 「どうしたんだ柳、急に止まったりして――」  歩みを進めていた晃人が柳の方へ振り向いた。その時だった。  廃工場の中から帯のような黒いモヤが勢いよく飛び出し、瞬時に晃人の体にまとわりついた。 「え!?」 「晃人さん!」  巻きついた黒いモヤは晃人の体を難なく持ち上げ、廃工場の中へと引きずり込む。 「うわあああああ!!」  柳は咄嗟に御札を投げ付け、黒いモヤが一瞬怯んだその隙に晃人の元へ駆け寄った。 「つかまれ!」  無我夢中で腕を伸ばし柳の手を掴んだ晃人。御札を地面に投げ、取り出した錫杖をその上に突き立てた。体に巻き付いたモヤは尚も廃工場の中へ晃人を引きずり込もうとしている。術で錫杖を固定しているが、引っ張られる力を片手で持ち堪えなければならない。じりじりと晃人の体が廃工場へ引き寄せられる。  すると、まとわりついていた黒いモヤが徐々に分裂していき、その片割れが晃人の首に巻き付いていった。 「うっ……!」  次第に力が抜けていく晃人の手。掴んでいた手は遂に柳の元からすり抜けていった。真っ直ぐ廃工場へと吸い込まれていく晃人の体。 「チッ」  柳は瞬時に術を解き駆け出した。御札を足場にして踏み込み、吸い込まれる晃人の体目掛けて飛び込んだ。腕を掴み、晃人の体を抱きかかえる柳。  そして二人は廃工場の中へと姿を消していった。 「ん…………」  剥がれた屋根から曇り空が見える。背中には固く冷たいコンクリートの感触。頭がぼーっとする。どうして空を眺めているのだろう。ぼんやりとしていた意識が徐々に蘇る。まばたきを二度三度し、晃人は咄嗟に体を起こした。 「ようやく起きたか」  隣に顔を向けると柳があぐらをかいて座っていた。 「柳……!」  柳の姿を見て少しの安心感を抱いた晃人だったが、周りを見渡し、恐る恐る柳に聞いた。 「ここ……廃工場の中、だよな。俺たち一体何が起こったんだ?急に黒いモノが巻き付いたと思ったらこの中に引きずり込まれて……」  そう言って立ち上がり晃人は周りを見渡しながら歩いた。 「とにかく、何かヤバそうなのが潜んでるってことだろ。一旦ここから出ようぜ」 「無駄だ」 「は?」  柳は手元にあったタイルの破片を扉が開いたままの出入り口へ投げた。すると、破片が外へ出た瞬間同じ速さで破片が飛び込んできた。床に転がるその破片は、今、柳が外へ投げたタイルの破片と同じものだ。 「何だ、今の……?戻って、きた?」  外の景色はちゃんと見える。さっきまで自分たちが居た場所だ。壁など何もない。一歩踏み出せば廃工場の外だ。晃人はごくりと唾をのみ込み、恐る恐る外へ手を伸ばした。  すると、入り口を境に自分の手は消え、代わりに、外側から消えた部分の手がこちらを向いて現れた。震える手。紛れもなくこれは自分の手だ。 「うわああああ!」  咄嗟に引き抜き、その場に尻もちをついた。 「ど、どうなってんだよこれ!?」 「どうもこうも……」  晃人の元へ歩みを進め隣に立つと、柳は外側へ錫杖を突き出した。しかしその先端は入り口を境に消え、同じタイミングで内側へ突き出てきた。 「錫杖もこの通り」 「なっ!?」 「空間が歪められている。恐らくこの廃工場全体がそうだ。どこから出ようとしてもこの中へ戻って来てしまう」 「そんな、じゃあつまり……」 「ああ、俺たちはこの廃工場の中に閉じ込められた」  晃人の表情は一気に青ざめていった。 「ど、どうしたらいいんだよ!……あっ、あの黒いやつ!あれもこの中に潜んでいるんじゃないのか?そいつを何とかしたら……!」 「ああ、元を叩けば解決する。そいつの気配はさっきここに来た時に感じたから分かるが……」 「じゃあ、早く見つけ出そうぜ」 「無駄だ」 「え……何でだよ」 「ずっと感じてんだよ、この中に入ってから」 「だから、その気配のする場所を特定出来れば退治出来るんだろ?」  柳は錫杖を突き立てると言った。 「特定も何も、ここなんだよ。この廃工場全体からヤツの気配を感じる」 「全体?それってどういう……」 「覆われているんだ、廃工場ごと。つまり、俺たちはヤツの胃袋に飲み込まれたようなものなんだよ」  見開く瞳。背筋が凍り、冷や汗が滲み出る。 「見ての通り錫杖を突き刺しても何も起こらない。御札も同様だった。外側へ投げても空間を抜けて内側へ戻って来る。内側からどうこうしても無駄なんだ」 「そんな……じゃあどうすれば……」 「内側から攻撃して駄目なら外側から攻撃すりゃいい話だ」 「外側からって、俺ら閉じ込められているんだぞ?どうやって外から攻撃するんだよ!」 「攻撃するのは俺らじゃない。外にいる誰か、だ」  晃人はハッとしてポケットからスマホを取り出した。 「そうか!外に助けを呼べばいいんだな!こういう時こそ文明の利器か!」  しかし表示画面を見て晃人は固まった。電波の表示が圏外になっているのだ。この場所は電波が届かない辺境の地ではない。朝も問題なく繋がっていた。それが突然圏外になるなんておかしい。 「嘘だろ?何で!?」  咄嗟に電話をかけてみるも、聞こえるのは電波を探る規則正しい機会音だけだった。 「ちなみに俺のも同じ状態だ」  そう言ってしゃがみ、自分のスマホ画面を晃人に見せた柳。  晃人は肩を落とし、首を垂れてうなだれた。 「……電波も切れてる。連絡手段もない……これじゃ、助けを呼ぼうにも何もできないじゃないか」  どうしてこうなってしまったのだろうか。あの時、もう少し早く柳の様子に気付いていたら、あの黒いヤツに捕まることは避けられたかもしれない。あの時、もう少し長く柳の手を握っていたら状況が変わっていたかもしれない。  自分が捕まってしまったばっかりに、また柳に手間をかけさせてしまった。そればかりでなく、今回は取り返しのつかない状況に追い込んでしまった。 「おい」  声と同時に錫杖が頭に降ってきた。ごつんと鈍い音が頭の中に響く。 「いってぇ!何すんだよいきなり!」 「いつまでそんな所に座ってんだ。ケツに根っこでも生えたか?」 「んな!俺は今悲観してたんだよ!この状況に!つーかお前、この八方塞がりな状況でよくそんな平然としてられるな。それとも何か策でもあるのか?」 「策、か……」  柳は御札を一枚取り出した。 「無いことはない」 「御札……はっ!そうか、その御札が通信機代わりになるんだな!それで通話ができ――」 「ねぇよそんなこと」 「へ?」 「御札は都合よく何でも出来る便利道具じゃねぇよ。それに言っただろ、内側からのアクションは全て無効化される。外には届かない」 「じゃあ、その御札で何するんだ?」  柳は外の景色に顔を向けた。 「この御札じゃない。ここに閉じ込められる前に使った、外側に残っている御札を利用する」  晃人は目を見開き、食い入るように柳に言った。 「外にあるって、じゃあお前、こうなることを見越して先手を打ってたのか!すげぇじゃん!」  ずいっと身を乗り出し、希望の光が宿った瞳で柳を見る晃人。しかし柳はその表情に少々たじろぐ。 「……今までの経験則で、ある程度の予測はできる。けど、この状況をドンピシャで予測することなんてできねぇよ。今回はたまたまだ。ただ……」 「ただ?」 「御札は御札でも、使用済みの御札だ。形として残っているわけじゃない」 「え?」 「一度使用した御札は効果を発動すると消滅する。残っているのは術を発動した痕跡だけだ」 「痕跡って、それでどうやって……」 「これは賭けだ。俺たちがここに居ることは誰も知らない。母さんにもこの場所は伝えていない。俺たちにできるのは待つことだけだ」  柳は真剣な眼差しで晃人を見据えた。 「だから待つんだ。俺の家族が、その痕跡を見付けてここに辿り着くのを」  ごくりと息をのんだ。じめじめと湿った空気と肌に張り付くシャツ。閉鎖された空間で、どれだけ長い時間待てばいいのかも分からない。不安という重たい空気が晃人の背中にのしかかる。心が折れそうなこの状況で、それでも負の感情に飲み込まれずにいられたのは、きっと柳が向けた、揺るがない強い瞳を見たからだ。その瞳が「俺の家族なら大丈夫だ」と、そんな風に言っているように思えたのだ。 「……あぁ、わかった。待つよ、助けが来るまで。けど、ただ待つだけじゃねぇ」  晃人は柳の手のひらを握り締めて言った。 「閉じ込めたヤツと俺たち二人の根比べといこうじゃねーか!」  柳は一瞬口元を緩ませると、その手を握り返して言った。 「ああ、そうだな」
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