式神転生術

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式神転生術

 あれから2週間ほどが過ぎた。祓い屋の仕事は様々な依頼主から依頼を受け、現場に出向いて退治するのが基本的な流れらしい。依頼主も様々で、お偉いさんから主婦、学生、中には幽霊から依頼を受けたこともあったらしい。  悪霊退治というのはそんなに依頼が来るものなのか。しかし意外と忙しかった。というのも、柳は現役の高校生。日中は学校へ行っている。一日の授業が終わるとそのまま現場に直行して仕事をしているらしい。  柳の家はお寺で、祓い屋の仕事は代々受け継いできた家業だと聞いた。他にも祓い屋を生業としている者や家柄もあるらしいが、そう多くいるわけではない。その為出向く範囲は広く、一日に2、3件こなす日もあった。そんな日は帰りが遅くなるだろうし、高校生に対してこの労働はいかがなものかと思い、両親は手伝ってくれないのかと聞いてみたが、 「俺が決めたことだから。」 そう、一言返された。  親の手は借りず赤の他人を式神にして使うとは。あれか、高校生特有の反抗期というやつか。親には頼りたくない、背伸びしちゃう感じのやつ。  しかし頂けない。だからと言ってこの2週間、俺への扱いは酷いにも程があった。俺がどこに居ようがお構いなしに魂引っこ抜き現場に駆り立てるわ、あっち行けこっち行けと注文は多いわ、放り投げるわ、足場にされるわ、荷物持ちさせるわ、飲み物買ってこいだの、肩揉めだの何だの…いい加減キレそうである。  特に酷かったのはDNA摂取の時だ。乱暴に唇を重ねては執拗に舌を絡ませてくる。その方が唾液の分泌量が多いからなのか、結構ねっとりとしたキスをしてくる。あいつのDNAを体内に取り込むと直ぐに体が軽くなる。全速力で長距離を走れそうなくらいに。  しかし、度を超すと体が変になりそうになる。こう言うのも何だが…気持ちいいのだ。頭のてっぺんから足の先まで、柳のDNAが俺の体を撫でていくようで、体に溶け込むと何とも言えない高揚感に見舞われる。もっと、欲しくなってしまうのだ。  タンカ切ってあんなことを言ったが、ムカつく相手にこんなことを思ってしまう自分が恥ずかしい。本人の前では絶対に言わないでおこう。いや、言うつもりなどさらさら無いが。  当の本人は隣でコクリコクリと眠りこけている。外はもうすっかり暗い。車内アナウンスが次の駅を知らせる。あと3駅か。肩に寄りかかる柳の顔は、少し疲れているように見えた。 「うはぁ…いかにも出ますって雰囲気してんなぁ…」  とある街の木造二階建て旧校舎。夕方から夜に移る時間の独特の薄暗さが余計に雰囲気を際立たせる。  木造の校舎だなんてもはや自分の親世代、もしかしたら祖父母世代が使っていたくらい前じゃないだろうか。今の時代ここら辺では中々拝めるものではない。  歩くたび、みしみしと鳴る廊下。天井のあちこちに張り巡らされたクモの巣。掲示板に貼られている色褪せて破れた紙。そこら中に散らばった割れたガラス。隣に柳がいるとはいえ、怖いものはやはり怖い。 「この校舎って多分高校だよな。そういやお前何年生なんだよ。高校の授業って難しくね?俺数学超苦手だった。」  怖さを紛らわそうと柳に話を振ってみるが、見事に無視される。 「…お前さ、人が話しかけてんのにスルーすんなよ。学校でもそんななのか?そんな態度取ってると友達なくすぞ。文化祭とか体育祭とかさ、ぼっちだと楽しめねーぞ!」 「…別に、いらないよそんなの。」  ぼそっと呟いた柳の声は突き放すように冷たく感じた。 「ていうか黙っててくんない?あんたの声で気が散る。式神は式神らしく俺の指示に従ってなよ。」 「はぁ!?何だその言い方は!つーかこの間から年上に向かって“あんた”って何だ!名前で呼べ、名前で!そして敬え!」 「年上って理由だけで敬うのはどうかと思うけど。現に、あんたを敬う部分が何一つとしてない。むしろあんたの方が俺にこうべを垂れるべきだろ。俺の式神なんだから。」  さも当たり前のように言葉を返す柳。確かに現状、柳に命を握られているといっても過言ではない。こいつがいなければ俺は死んでしまう。でもだからと言って全て聞き入れて従うなんてまっぴらだ。  晃人は足を止め、先を行く柳の背中に言葉を投げかけた。 「俺はこんな体になりたくてなったわけじゃねぇ。今までの式神さんがどうだったか知らないけどな、俺は何でも言うこと聞く都合のいい式神じゃねぇぞ。俺にだって一個人の意思ってもんがあるんだ。元の体に戻る手掛かりがあるかもしれないから、今はお前と行動を共にしてやってるだけだ。覚えとけ。」 「…うるさいなぁ。」  ぼそりと呟くと、柳は左手のリストバンドで額の汗を拭った。いつも左手首に巻いている黒いリストバンド。特に気にも留めていなかったが、部活をしているわけでもないし、ファッションの一部として身に付けているのだろう。柳はよく動き回るくせして汗ひとつかかないからだ。  汗…?  振り返って柳の顔をもう一度見る。呼吸が荒い。思わず額に手を当てると、手のひらにじわじわと熱が伝わってきた。 「お前、熱あるぞ!」 「うるさいな、そんなの関係ないだろ。」 「関係ないって…そんな体で大丈夫――」  その瞬間、みしみしと何かが近付いてくる音が響いた。曲がり角の柱に、人のものとは思えない大きな手が掴んだ。ヌッと覗く顔は目が窪んでおり、所々皮膚が剥がれていた。 「悪霊には、そんな都合関係ねぇよ。」  御札から錫杖を取り出し悪霊の元へ駆け込んでいく柳。悪霊の大きな手が柳に襲い掛かる。大振りなモーションは見えやすく屈めば簡単に避けられる。これで仕留められる、そう思って踏み込もうとした瞬間、ぐらりと視界が歪んだ。体勢を崩した柳は跪き動けないでいた。  悪霊は再び大きな手を振りかざした。その時、悪霊の手に何かが当たり、その視線は飛んできた方向を向く。そこにはガラスの破片を手にして構えている晃人の姿があった。もう一度投げつけ、悪霊の意識を自分に向ける。  どうしたらいい…?最終的に悪霊を退治出来るのは柳だけだ。柳が態勢を整えるまで時間稼ぎをするしかない。 「お、おいっ化け物!こっちだ!」  とにかく自分に引き付けておけば、その間柳が襲われることは無い。それで何とか…!  そう思った瞬間、悪霊は大きな手をみしみしと床に押し付けると、バネのようにして勢いよく晃人の方向へ飛んできた。 「えええええええええ!!ちょっ無理無理無理無理!!」  思わずぎゅっと目を瞑り両手をかざす。晃人の手が悪霊に触れた瞬間、悪霊は飛んできた方向へと勢いよく吹っ飛んでいった。反動で晃人も転がるが、すぐに立ち上がり柳の元へ駆け寄った。 「おい、柳!しっかりしろ!」  額に汗が滲み、荒い呼吸を繰り返す柳。途端、背後に感じた悪寒。振り返るとさっきの悪霊が今にも大きな手を振り下そうとしていた。  やられる!そう思った瞬間だった。顔の横を錫杖が横切った。  悪霊に突き刺さると、悪霊はみるみる気化していった。  投げた手は力なく下され、柳は力尽きると晃人の肩に顔を埋めた。 とにかくここから出て、一旦病院へ連れて行こう。そう思い、柳の体を動かそうとした時だった。柳は晃人の胸ぐらを掴むと、勢いよく引き寄せ唇にキスをした。 「!?」 「…これで、しばらくは…平気だろ…」 「お前、この非常時に何を―」 「関係ねぇよ…。あんたの命、預かってんのは俺なんだから…」 柳のDNAを取り込んだ晃人は柳をおぶると錫杖を手に取り走り出した。 「お前がくたばったら俺も死んじまうっつの…!」 「えっと、病院、病院は…くそっどこにあるんだ!」  普段来ることのない街。どこに何の建物があるのか分からない。今の自分は魂魄の状態だ。スマホを携帯していない。財布も持っていない。こういうのを“失って初めて気付く大切さ”って言うのだろうか。いや、スマホも財布も失くしたわけじゃないけど。  こうなったら民家に突撃して助けを乞うしか…! 意を決して民家のインターホンを押そうとした時だった。一台の車が背後に停まった。スライドガラスが開き、車内から名前を呼ばれる。 「柳!」  振り返ると、運転席から身を乗り出して切迫した表情を浮かべた青年がいた。  メガネ姿のその青年は晃人の顔を見て驚いた表情を見せた。 「君は…!」 「え?」 「とにかく乗せて。かかり付けの病院が近くにあるから。」  晃人は柳を助手席に乗せ、「じゃあ俺はこれで…」と言って離れようとしたが、青年はそんな晃人を呼び止めた。 「待って。君も一緒に来てほしい。篠宮晃人くん。」  優しい面持ちの青年は申し訳なさそうな笑みを浮かべて言った。 「何で、俺の名前…。」 「詳しいことは車の中で話すよ。」 「僕は榎本樹(えのもといつき)。柳とは6つ離れた兄だよ。」 「お兄さんだったんですか。あの…何で俺のこと知ってるんですか?俺、どこかで会いましたっけ?」 「知ってるよ。柳が式神転生術で君を生き返らせた日、僕は現場に行って君の姿を見たからね。」 「え!?」  思いがけない返答に戸惑いを隠せない晃人。 「あの日、柳からの通信で僕は現場に向かったんだ。そこには大量の血と、倒れている君と、しゃがみ込んでうなだれている柳の姿があった。すぐ傍に、血が付いた式神転生術の札もあったし、柳の左手は血で滲んでいたから、術を発動させた後だったんだろうね。」 薄暗い廃墟の中、地面に広がる血が月明りに反射して不気味に光る。 「柳…彼は、死んでいるのか?」 柳はうなだれたままポツリと返した。 「…生きてる。式神転生術で、生き返らせた。」 「”生き返らせた”って…それじゃあ半分式神じゃないか。それに彼も柳もリスクを背負うことになる。それを承知でやったっていうのか?」 柳は俯いたままこくりと小さく頷いた。 「…とにかく後はうちに帰って父さんたちにも話そう。…彼も、一旦うちに運ぶよ。」 樹は左手からぽたぽたと滴る柳の血を見た。 「ほら、止血するから手出して。」 樹は柳のたすきを解き左手首に巻いた。 「その後、家に帰って家族会議さ。本来、式神転生術は一族の血を引く者に対して使う術なんだ。死してなお、祓い屋としての使命を全うする為に生み出された術。それを一般人に使うなんてもってのほか。その禁を破ってまで君に術を発動させたのは何故だと思う?」 「…仕事手伝う式神が、欲しかったからじゃないんですか…?」 「いいや、違うよ。柳はね、君を助けたかったんだ。」  思いも寄らない返答に困惑する晃人。今まで柳はそんな素振りを一度も見せていなかった。むしろこき使われることが多く、とても「助けたかった」風には感じられなかったのだ。 「君にかけられた式神転生術はね、実は失敗しているんだ。」 「え!?」 「本来、転生を果たした式神というのは魂魄のみの存在。生前の肉体とは完全に切り離された状態なんだ。一度契約すれば術者が死なない限り何度でも元の姿に復活させられる。でも君には生身の体があり、実際生きている。半分人間で半分式神という中途半端な状態だ。それ故、術者は本来必要ないはずの生命エネルギーを魂魄に与え続けなければいけない。魂魄と生身の生命バランスが崩れると死亡リスクが上がるんだ。仮に魂魄がバラバラになるほどの攻撃を受けたら一発でアウト。復活なんて出来やしない。魂魄が生身の身体に戻れなかったら当然死んでしまうんだ。そんなリスクを自分と君にに負わせてまで、柳は術の失敗を選んだ。」 「失敗を選んだ?柳はわざと術を失敗させたってことですか?」 「柳は祓い屋としての才能がある。式神転生術はあらゆる術の中でも高度な技だ。でも柳ほどの術者なら100%成功させられる。そうしなかったのは、君を生かす為だ。生かす必要があったんだ。」 座敷で家族が顔を合わせ、柳を見つめる。 「今…何て…?」 父親が思わず聞き返した。 柳は顔を上げ、神妙な面持ちで声にした。 「あの人を、元の人間の体に戻す。その方法はまだ分からないけど、必ず探して見つけ出す。その間、あの人のことは俺が責任を持って守る。」 柳は深々と頭を下げた。 「だからお願いします。あの人を、傍におくことを許してください。」  夜の病院の待合室。静まり返ったフロアの椅子に晃人は座って俯いていた。柳がそんなことを考えていたなんて知らなかった。何故俺には一言も話してくれなかったのだろうか。言ってくれれば、あんな酷いこと言わずに済んだのに…。 「晃人くん。」 樹が診察室から戻ってきた。 「柳は風邪だって。今病室で点滴打ってもらってる。大丈夫、しっかり休養させれば回復するって医者が言ってたよ。」 晃人はホッとして安堵した表情を見せた。 「今日はもう遅いし、君は家に…」 樹があっと思い出して言った。 「晃人くん、そういえば君は今魂魄の状態だったね。困ったな…体に戻せるの柳じゃないと出来ないんだ。そうだ、ウチに消耗を抑える御札がいくつかあるから一旦僕の家に来るかい?」 「…俺、あいつが目を覚ますまでここにいます。大丈夫です、あいつがぶっ倒れる前に一度DNA貰ってるんで、まだしばらくは体持つと思います。…俺、何も知らなくて、あいつに色々酷いこと言ってしまったんで…柳とちゃんと話がしたいんです。」 「そうか、じゃあ一緒に待とう。」 カチカチと、待合室の時計の針が進む。 「樹さん、一つ疑問に思ってることあるんですけど、いいですか?」 「うん、何だい?」 「俺がこの体になった経緯は分かったんですけど、俺翌朝目が覚めたの自分のベッドの上だったんですが…俺はどうやって家に帰ったんですか?服も血まみれだったはず…。樹さん俺の名前まで知ってるし。」 樹はにこーっと笑顔を見せると軽快な口調で話した。 「そりゃあちょっと調べれば個人情報なんて簡単に特定出来ちゃうよ。僕にはそんなの朝飯前さ。」 あ、この人敵に回したらいけない人だ。そう、晃人は悟った。 「あとは御札の力を借りて服の汚れを取り除いたり、壁すり抜けてお家に入ったり。御札便利だよね~。あ、もちろん普段は祓い屋の仕事以外には使用しないよ。まぁ、僕は祓い屋としての才能がほとんど無いからあとは全部柳がしてくれたんだけど。」 ははは、と頭をかきながら申し訳なさそうに笑う樹。 「…柳はね、昔は活発で元気で、よく笑う子だったんだよ。」 「そうなんですか!?全然想像つかないんですが…」  柳と出会ってまだ日が浅いとはいえ、笑った顔なんて一度も見たことがない。むしろいつも冷え切った目をしていて、来る者を拒んでいるように思えた。 「…ひとつ、昔話をしようか。柳のことについて。」
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