贈る言葉

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 辺り一帯が闇に染まる。廃工場の周りには民家などはなく、放置され無造作に生い茂る草木だけが周りを囲っている。頼りになる明かりはスマホか御札の灯火だけだ。  御札は何でも出来る便利道具ではないと柳は言っていたが、スマホをかざすよりも明るい光を放つ御札はちょうど良いライト代わりになっている。一般人からすると十分便利道具に思う。  しかし、光らせ続けるということは、柳自身もずっと術を発動させ続けているということになる。心配になったので体への負担は大丈夫なのかと聞いたが、平然とした顔で「消耗する術でもないし大して問題ない」と返された。  すっかり日が暮れて、スマホの時計も19時半をさしていた。探し続けて時間も大分経つ。体力の消耗も考え、今日はこれで切り上げることにした。  1階の開けたスペースに戻り、腰を下ろしてボーっと外を眺めた。いつもならこの時間帯はテレビでも見ながら晩御飯を食べている頃だ。シーグラス探しで体を動かしていたせいか、こんな状況になってもお腹はちゃんと空いていた。 「晃人さん」  名前を呼ばれて顔を向けると、目の前にペットボトルが差し出されている。 「飲みなよ。飲まず食わずだったでしょ」 「いいのか?」 「俺の飲みかけで良ければだけど」  それを聞いて伸ばした手が止まった。  柳の飲みかけ、ということはこれに口をつけたら間接キスということになる。いやいや、間接キスごときで何を動揺しているのだ。今まで友達同士で飲み回しだってしたこともある。それに柳とは間接どころかもっと深いキスをしたことも……。  そこまで考えて思わずブンブンと頭を振った。それは魂魄の時の話だ。実際に唇を重ねたわけじゃない。  ペットボトルへ伸ばした手を止めていると催促の声がかかった。 「飲むのか?飲まないのか?」 「の、飲む飲む!サンキューな!」  ペットボトルを受け取り、飲み口をじっと眺める。視線を横に流し、柳の口元を見つめた。柳は何とも思わないのだろうか。いや、こんな風に間接キスでドギマギしている自分の方がおかしい。今は緊急事態なのだ。何か物を口にしないとそのうち倒れてしまう。  覚悟を決めたようにぎゅっと目を瞑り、一思いにペットボトルを口につけ、晃人はようやく喉を潤した。 「あとこれ、晃人さんにやる」  柳は鞄からそれを取り出すと晃人へ向けて投げた。キャッチしたのは市販のゼリー飲料だった。 「食い物何も持ってないだろ。少ないけど今日はそれで我慢しろ」 「え、これ柳のだろ。お前はどうするんだよ」 「食わなくても平気だ。腹空いてないし」  途端、柳のお腹から低い音が響いた。 「いや減ってるじゃん!腹の虫鳴いてんじゃん!やっぱお前が食えよ!」 「いいって言ってるだろ、晃人さんに倒れられたら困るんだよ」 「それはこっちのセリフだっつの!悪霊出てきたらどうするんだよ。柳がぶっ倒れてたら退治するどころの話じゃなくなるだろ!」  ゼリー飲料の押し付け合いが交互に交わされる。言い合いと共にゼリー飲料が行ったり来たりを繰り返す。お互い空腹のまま言い合いを続けていると、そのうち息が上がり空腹が加速した。 「やめようぜ……余計腹が減るわ」  ゼリー飲料をめぐる言い合いに終止符を打つ晃人。最後に手にしていたのは柳だった。少しの間ゼリー飲料を眺めると、飲み口のキャップを開封し柳はそれを胃に収めた。 「ん。あとは晃人さんが食べなよ」  柳は半分だけ口にすると、残りは晃人へ差し出した。 「これなら文句はないだろ」 「あ、ありがと……」  観念したように受け取り、晃人も残りを口にした。  柳に体力を温存するようにと言われ、それからしばらくは横になって過ごしていた。けれど、こんな固いコンクリートの上では体を休めることは中々できない。そのうえ場所も状況も相まってとても落ち着くことなんてできなかった。  隣には鞄を枕代わりにして寝転ぶ柳の姿。平気そうに振舞っていたが、きっとお腹は満たされていないだろう。足場の悪い工場内を歩き回り、時には重い鉄骨や、背丈以上もある倒れた板を持ち上げたりと、シーグラス探しは意外と重労働だった。  おまけに柳は術も使っている。自分も疲れて消耗しているはずなのだ。それなのに、柳は晃人を助けることを優先する。今回だけではない。いつもそうだ。いつも助けられてばかりいる。晃人は自分の不甲斐なさに胸が締め付けられ、唇をぎゅっと嚙みしめた。 「……俺、足引っ張ってばかりだな」  その言葉に、柳は視線を晃人に向けた。 「出会った時からそうだ。大口叩いたわりに大したことやってないし、出来てもいない。トンネルの悪霊退治の時だって、結局柳の負担増やしただけだった。今回だって、俺がもっと周りに注意していればこんなことには……」  額に腕を当て、暗い声で語る晃人。そんな晃人に対し、隣で聞いていた柳が言葉を挟んだ。 「晃人さんってさ……」  柳は表情が見えない晃人を眺めて言った。 「暇人なの?」 「は……?」  晃人は思わず体を起こし反応した。 「そもそも、晃人さんを勝手に式神にしたのは俺の方だ。悪霊退治にしたって嫌なら拒めばいい。リスクもあるし、不満や文句だってごまんとあっただろ。それなのに、毎回同行しては俺を一人にしたくないだの何だの言って、そのうえ母さんから式神の指南さえ受けてる。ちょっと教えてもらったくらいじゃ大して変わらないのにな」 「お前……傷心してる俺のハートにトドメ刺す気なの?」 「別に。思ったことを言っただけだ」  それはそれで傷付くのだが。晃人はガックシと頭を垂れた。  柳はそんな晃人に構わず続けて言った。 「そもそも式神としての仕事ぶりは最初から期待なんてしていない」 「えっ」  再び顔を上げ柳を見る晃人。 「当たり前だろ。理不尽に巻き込まれ、主従関係を勝手に結ばされ悪霊と対峙するなんて、逃げ出したくなるのが普通だ。それが普通なんだ。けど晃人さんは違った。逃げ出すどころか、追いかけてくる勢いで関わってきた。全力で向かって受け入れて、頑固なくらいとことん関わってきた。自分のことだけじゃない。俺や、俺たち家族のことまで。晃人さんは俺ができなかったことを簡単にやってのけていた。そういうところ、凄いなって思ったよ」 「柳……」 「ホント晃人さんって世話焼きでお節介で過保護で過干渉だよね。こんなにずかずかと人の内情に踏み込んでくる奴初めてだよ」 「それは俺褒められてるの?貶されてるの?」 「さあな」  上げたり落としたり、柳の言葉に晃人のメンタルも忙しい。  すると柳は起き上がり、鞄から一冊の参考書を取り出し、見つめながら言った。 「……だからなのか、俺も”関わる”ってことをやってみようと思ったんだ」 「その本……」 「佐藤さん、クラスメイトから借りている参考書だ」  柳が言った佐藤さんというのは、恐らくこの間校門で柳と一緒にいたおさげの女子生徒だ。いつの間に交流を深めたのだろう、そう思っていたが、柳の口から彼女の話題が出るとは思わなかった。 「俺、2年になって初めて赤点を取ったんだよね」 「えっ、柳が!?何かすごく意外なんだが……」 「俺は兄さんみたいに頭が良いわけじゃない。いつも大体平均点くらいだ。けど、さすがに赤点となると父さんも母さんも黙っちゃいない。だから何とかしようと思って……」  柳は晃人を見つめた。 「晃人さん、俺に言っただろ」 「え?」 「『周りを頼れ、一人じゃない』って。何度もしつこく晃人さんに言われたから、いい加減耳にタコができたよ」 「悪かったな、しつこくて」 「ま、それが晃人さんの良い所でもあり、面倒くさい所なんだろ」  相変わらず柳の上げて落とす言い回しは健在だった。 「でも、うわべだけで言っているんじゃないってのは、晃人さんと過ごしていくうちに感じたから……だから声をかけてみようと思った。クラスの人に、勉強教えてほしいって」  それは幾度となく願ったことだった。どんな小さなことでもいい、周りに目を向けてほしい。一歩踏み出して、自分から手を差し伸べてほしいと。  たった一言、「勉強を教えてほしい」その言葉を伝えるだけでも、柳にとっては簡単にできることではなかったのだ。喪失の恐怖が深く刻まれたその心には、関わることが、その一歩が、鉛のように重く、勇気のいることだった。  柳は少しずつ変わろうとしている。自ら嵌めた手枷を、何重にも巻き付けた足枷を一つずつ外そうとしている。冷たく重たい鉄格子を押し開こうとしているのだ。  晃人は目を細め、優しく微笑んで柳を見つめた。 「……何」 「いいや。それで?勉強の方はどうだったんだ?」 「ああ、佐藤さん教え方が上手くて分かりやすかったし、勉強法とか俺のレベルに合った参考書なんかも教えてくれた。あと……感謝された」 「へ?その子が柳に?」  柳はこくりと頷き続けた。 「佐藤さん、親が転勤族なんだってさ。何度も転校を繰り返してたら、そのうち友達を作りづらく感じて、いつも一人で過ごしてたらしい」  屋上に続く階段。座っているすぐ側には教科書が置かれている。空になった弁当箱を包みながら、柳は彼女の話を聞いていた。 「私小学生の時からよく転校してたんだ。その度に仲良くなった友達とも別れて、出会いと別れを繰り返してた。そうして何度も繰り返すうちに別れることが辛くなっちゃって……どうせ辛くなるなら友達なんて作らず、いっそ一人で過ごそうって思ったの。そしたら私、幽霊になっちゃった」 「幽霊?佐藤さんは幽霊じゃないでしょ。魂魄ちゃんとあるし」 「え、こんぱく……?」  首を傾げながら彼女は言う。何も言わない柳を伺いながら、彼女は続けて言った。 「……幽霊っていうのは物の例え。そこにいるのに、誰にも見られていない。話しかけられることもない。私、幽霊みたいになっちゃったの。教室には沢山同級生がいるのに、私はいつも一人。一人を望んでそう振舞ったくせに、私には会話ができる友達がいないんだと思うと、寂しくて堪らなくなった。でも情けないことに、今更周りに声をかける勇気もなくて……そんな時に、榎本くんが私に声をかけてくれたの」  俯いていたその顔を上げ、彼女は柳を見て言った。 「最初はびっくりして何も言えなかったけど、その日から毎日休憩時間の度に話しかけてくれて、私嬉しかったんだ」 「俺は別に、勉強教えてほしくて話かけただけだけど」  彼女は首を振って答えた。 「それでも嬉しかった。だって、一人じゃないって思えただけで、私ホッとしたんだ。別れることが辛いってずっと思ってたけど、孤独の方がもっとずっと怖くて、寂しくて……辛かった。だからね、そう気付かせてくれた榎本くんに感謝してるんだ」  彼女は頬に笑みを浮かべ、朗らかな表情で柳に伝えた。 「榎本くん、幽霊だった私を人に戻してくれてありがとう。あの時声をかけてくれて本当にありがとう。私、また転校することになっても、もう辛くはならないよ。それよりも、新しい出会いを楽しみにしようと思う。だって、そっちの方が断然楽しそうだもの」 「へぇ、そんなことがあったのか」 「佐藤さんは、俺と出会って変われたと言っていた。そんな風に言われるなんて思いもしなかった」 「頼ったつもりが彼女を助けちまうなんて、柳、お前カッコイイじゃん」 「だから俺はそんなつもりは……」  ニカっと笑みを向ける晃人。柳はその笑顔を受けると、ふいっと顔を背けてせっせと参考書を鞄にしまった。  そして瞳を閉じ、柳は改めて晃人に言った。 「……俺は今まで、周りを巻き込むことが怖くて人との関わりを避けてきた。誰かを頼ったり、関わることでその人を危険にさらすかもしれない、そう思ったからだ。だけど……」  ゆっくりと瞳を開き、柳は顔を上げて晃人を見つめた。 「同じ時間を共有することで、得られるものもあるんだな」  薄暗い廃工場の中で、そう言葉にした柳の声がどこか柔らかく響いた。 「失う可能性はどうしてもある。でも、頼り、関わることで変えられるものもある、そう考えてもいいんだと思えた。だから俺はここに閉じ込められた時から決めていた。俺の家族を頼ってみようと」  揺るがない強い瞳が晃人を見つめる。そこには迷いがなかった。この場所から出られなくなっても柳が動揺せず落ち着いていたのは、単に現場慣れしていたからじゃない。柳は信じて待っているのだ。心から信頼する人たちが必ず助けに来てくれると。 「今までの俺なら、自分一人でどうにかしようと考えていただろうな。でも今は違う。頼っていい、そう思うようになったのは晃人さんがいたからだ」 「え、俺が……?」  柳はこくりと頷く。 「晃人さんがずっと俺に言い続けていたからだ。『一人じゃない』ってな。俺の考え方を変えたのは晃人さんだ。だから、足を引っ張っているなんて思うな。少なくとも、俺はそんなこと思っちゃいない」 「柳……」  柳の言葉が胸に沁みる。自分の行動はいつも裏目に出てばかりで、柳に煩わしさを与えていたのではないか。そんな風に思っていた。それが、柳の言葉で救われた気がした。今までやってきたことは無駄ではなかったのだと。  思わず泣きそうになったのを堪え、袖で目元を拭うと晃人は顔を上げ、満面の笑みで言った。 「おう!ありがとな、柳!」  安心したからなのか今度は晃人の腹の虫が鳴った。思わずお腹を押さえ、その表情が困った笑みに変わる。柳はその様子を見兼ねて再び鞄を開けると、小箱に入った個包装のチョコレート菓子を取り出した。 「明日の分として取っておいたけど食べなよ」  晃人は眉を下げ、キラキラと目を潤ませながらお礼を言った。一つを手に取り、まるで天の恵みかのように両手に乗せて空へ掲げている晃人。そんなことをしていたら柳に「早く食え」と叱咤されてしまった。 「しっかし、柳もこういうお菓子買うんだな」 「いや、これは今日テスト終わりに佐藤さんから貰ったものだ」  再び“佐藤さん”の名前が出て晃人は止まる。勉強を教えてもらっていただけとはいえ、今まで休憩時間のたびにいつも二人は一緒にいたのだ。同年代の可愛い女の子の側で、仲良く話をしている柳の姿を思うと、晃人は胸の奥がモヤモヤした。 「柳はさ、その子のこと、その……どう思ってんの?この間校門で見た時も、和やかな雰囲気で話してたしさ……」  柳は目を細め、晃人ににじり寄った。 「ふうん、気になるんだ?俺が他の誰かと一緒にいることが」  不意に顔を寄せられ、一気に頬の熱が上昇した。 「ちっ、違!べ、べべ別に気になったりしねーし!あっ、あー!ほら柳見てみろ月だ!あそこから月が見えるぞ!綺麗だな!」  咄嗟に話題を逸らし、晃人は空を指差した。その先には、ちょうど剥がれた天井から空の景色が伺えた。  梅雨の時季、雨が続き雲に覆われる日が多かったこの頃だが、今日は月が見えるほど空が明るく輝いている。  柳はじっと月を眺め、そのまま動かない。どうしたのかと晃人が声をかけようとした時、柳は呟くように言った。 「……不思議だな」 「え?」 「祓い屋の仕事を終えた後、空を見上げると、こうやって月が出ている時があった。でも何も感じることなんてなかった。ただそこにある、それくらいにしか思わなかった。でも、今ここから見ている月は、とても綺麗だ。どうしてだろうな……」 「どうしてか教えてやろうか」  その言葉に、月へ向けていた柳の顔は、誘われるように晃人へ向けられた。  月明りが優しく晃人を照らす。向けられる穏やかな眼差し。温かな瞳で晃人はその答えを伝えた。 「一緒に見ているからだよ」  思いがけない答えに目が見開く。そうして、柳の頬がわずかに緩んだ。夜空に浮かぶ月は変わらず美しい輝きを放つ。もう一度眺めながら柳は確かな思いを乗せて言った。 「あぁ、悪くないな。一人じゃないってのは」  心の中に灯る小さな明かり。一つ二つ、次々と灯って胸の中を明るく照らしていく。一歩先、またその先へと灯火が続いていく。それはまるで、こちらだと導く道しるべのようだ。その先に見える眩しい人影。その人影の正体を自分は知っている。 「柳」  名前を呼ぶその声に柳は隣へと振り向いた。  柳と目が合うと、晃人は柔らかな笑みを浮かべ、思いを込めてその言葉を伝えた。 「誕生日おめでとう」  スマホ画面を柳に向けて見せる。時計は0時を回り、日付の表示が6月17日へと切り替わっていた。 「へへっ、お祝いの言葉、俺が第一号だな」 「それはどうも。けど、俺が産まれたのは夕方だから、正確にはまだ産まれた時間は迎えていないぞ」 「んな!細かいことはいいんだよ!誕生日は迎えた日を祝うもんなの!」 「はいはい」  そう言って、柳は再び鞄を枕にして寝転んだ。こぼれる月明りが瞳に反射する。そうして柳は揺らめく光とともにその瞼を静かに閉じたのだった。
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