贈る言葉

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「柳、こっちだ、こっち。ここにあったぞ」  商品棚が並ぶ通路から晃人が顔を出して言った。柳は頷くと手招きされた場所へと足を運んだ。  あれから数日。廃工場での一件で柳の誕生祝いがずれ込み、翌週の日曜日に改めて開催しようということになった。それが今日というわけだが、その主役である柳は晃人と一緒に大型ショッピングモールの売り場で商品探しに奮闘していた。 「こんな所にあったのか。どうりで見付からないわけだ」  案内してくれた店員にお礼を言って頭を下げる晃人。 「マッチなんて普段買いに行くことなんてないしな」 「えっと、それから次は……ロウソクと……クラッカー?」  柳が手にしていたメモ書きを覗き見る。それは樹から手渡されたものだった。  当初、柳の家には晩御飯時にお邪魔する予定だったのだが、樹から「緊急事態なんだ」と連絡が入り、晃人は慌てて飛んで来た。しかし、樹の言う緊急事態というのは人手が足りないという意味だったらしく、こうやって買い物の手伝いをしているというわけなのだ。 「しっかし、これ明らかに柳の誕生日パーティー用グッズだよな。本人に買いに行かせるってどうなんだ?」  隣でしかめた顔をしてメモを見ている晃人。そんな晃人を横目に見て、柳は家を出る前、樹に言われたことを思い出していた。  そっと肩に手をやって、柳の耳元でこっそり伝える樹。 「久しぶりに会うんでしょ。色々話したいこともあるだろうし、二人で出かけてきなよ」 「久しぶりって……たった一週間じゃん」  柳は怪我のこともあり、祓い屋の仕事は一週間休んでいた。それ故、晃人とこうやって会うのも一週間ぶりとなるのだ。 「いいからいいから、ゆっくりしてきな。はいこれ、買い物メモとお駄賃。残ったお金はどこかカフェにでも寄って使ってね、って母さんが言ってたよ」  ジト目で樹を見る柳。その背後、リビングの陰からは鈴江がこっそり顔を出してにこやかに小さく手を振っていた。  そうやって半ば強引に家を追い出されたのだった。  柳は軽く溜め息を吐くと足を進めた。 「次、いくぞ」  買い物袋を片手に店舗内を歩く二人。メモ書きを開いてずらっと並ぶリストを眺めた。 「えっと、これも買った、これもさっき買っただろ。これも最初に買ったから……おっ、全部制覇したな!」  そう言うと晃人は柳に向けて片手を挙げた。 「……何?」 「ほら、ハイタッチだよ、ハイタッチ!探し回るの何だかゲームみたいだったじゃん。だから全クリした記念にさ!」  ニッと歯を見せて笑う晃人。柳は少し間を空けて、躊躇いながら控えめに手を差し出した。優しく弾く晃人の手のひら。 「よし、それじゃあ柳の家に帰るか」  再び歩き出した晃人の背中に柳は声をかけようとしたが、中々言葉が出ない。開いたその口をつぐむと、柳は後を追うように歩き出した。  ショッピングモールを出ると駅までの道にカフェの看板が見える。先日オープンしたばかりの新しいお店だ。日曜日の午後、さすがにこの時間は若者や買い物客でいっぱいだ。外まで列が並んでいる。お店を眺めていると晃人が話しかけてきた。 「この店すごい人気だよな!オープン前にテレビの取材が来たみたいでさ、その効果もあって土日平日関わらず長蛇の列が出来ているらしいぜ。なんだ柳、この店入りたいのか?」 「別に。ほら、行くよ」  柳は再び足を進め、駅へと向かった。駅には大型コーヒーチェーン店がそびえ立つ。学校の行き来でよく見るお店だ。同じ制服の生徒もよくここを利用している。けれどこういう小洒落たお店は一度も入ったことがない。  看板に目を向けるも、柳はお店を通り過ぎそのまま電車へと乗り込んだ。  隣には外の景色を見て楽しそうに話す晃人。変わり映えしない景色だろうに、どうしてそんなに目を輝かせて話しているのだろうか。まるで遊園地の乗り物にでも乗っている子供のようだ。  改札を通れば家までは数分。改札への渡り通路を歩いていると、晃人が急に柳を呼び止めた。振り返ると窓の外を見ながら手招きをしている。何事だと近付いて見ると、晃人は指をさして言った。 「あんな所に公園なんてあったんだな!何回も通ってるのに全然気付かなかったよ」 「なんだ、そんなことか」 「なぁ、ちょっと寄って行こうぜ!」 「えっ、ちょっ……」  小走りに改札へ向かう晃人を、柳は追いかけるように後を追った。  水たまりが所々残っている公園。砂場も湿っていて遊んでいる親子連れはほとんどいなかった。 「うわー、ブランコ懐かしいな!俺まだ乗れるかな」  遊具へ駆けて行く晃人に続いて柳もブランコの元へと歩いて行く。少し湿っているブランコに腰を落とし、晃人はゆらゆらと漕ぎ出した。 「……晃人さん、何か今日テンション高くない?何かいいことでもあった?」 「へ?」  晃人はそう言われて、漕いでいた足を止めた。  晃人がうるさくて騒がしいのはいつものことだが、今日はそういう騒がしさとは少し違う。はしゃいでいる、と言う方がしっくりくる。 「俺、そんな風に見える……?」 「何ていうか、楽しそう。だから嬉しいことでもあったのかなって」  晃人は次の瞬間、顔を真っ赤に染めた。 「べ、別にお前と久しぶりに会えて舞い上がってるとか、そんなんじゃないからな!ただ、柳怪我してたし、祓い屋の仕事も一週間休むって聞いたから心配してたんだ」  晃人はブランコチェーンを握り締めた。 「あの後、家族と話して不穏な空気になってたらどうしようとか、落ち込んでないかとか、元気かなって色々考えてた。でも、今日久々に柳の顔見て、いつも通りの柳がいてホッとしたって言うか、安心したっていうか……」  首元に手をやり、晃人は柳へ顔を向けると気恥ずかしそうに笑った。 「あー……うん、やっぱ俺、舞い上がってるのかも」  柳はきょとんとした顔で晃人を見ている。 「な、何だよ何か言えよ!余計恥ずかしいだろうが!冷やかしでもいいから何か言って!」  その時、晃人の鼻に雫が落ちた。ぽつりぽつりと、次第に量が増えいくつも落ちてくる。 「わっ、雨!?柳、ひどくなる前に走って帰るぞ!」  ブランコから立ち上がった瞬間、晃人は腕を掴まれた。 「柳?」 「……こっち」  腕を引かれたまま柳のあとを走る。着いた場所はすぐ側にある公園内の屋根付き休憩所だった。 「雨宿り?柳の家近いし、この距離なら走って帰った方が早くないか?」 「うん、でも……もう少し、晃人さんと話がしたいと思ったから」  そう伝える柳の言葉に、晃人の頬がほんのりと赤く染まる。  ベンチに腰を下ろし、柳は雨が降り始めた公園内を眺めながら口を開いた。 「……あの後のことなんだけど」  あの後、というのは晃人が自宅へ帰ったあとのことだ。今日会うまで、本当は何度も柳に連絡をしようとした。でも、何だか無理矢理聞き出すようで自分から聞くのは気が引けた。だから柳から話してくれるまで待つことにしていたのだ。 「父さんと母さん、兄さんにも経緯を全部話した。そしたら……」 「お、おう……」  晃人は思わずごくりと喉を鳴らした。 「母さんは嬉し泣きするし、父さんは呆れた顔して、兄さんには俺らしいって笑われた」 「え、全員バラバラの反応?」 「うん、三者三葉だったな」  もっと張り詰めた空気を予想していた晃人は柳のその言葉に拍子抜けした。 「ただ、父さんからは厳しく注意は受けた。一週間、療養ってことで祓い屋の仕事は休めと言われたけど、あれは謹慎の意味もあったんだろうな。元々罰は受ける気でいたし、言われた通り仕事は一週間休んだ」 「いや、それは普通に柳の怪我の具合を見て言ったんだろ」 「そうか?怪我なんて二日で完治したぞ」 「たまには体をゆっくり休ませることも必要なんだ。柳みたいに仕事熱心な奴は特にな」 「そうなのか?」 「そうなんだよ」  晃人は人差し指を立てると軽く柳のおでこをツンとつついた。おでこを押さえ、まだ納得がいかないという顔をしながらも、柳は手を下ろすと続けて言った。 「母さんは……てっきり悲しむと思ってた。あのシーグラスは、俺と母さんの願いが込められたお守りみたいな……そういう特別な物だったから……」 「あのシーグラス、そうだったのか……」 「でも母さんは悲しむどころか、そこまでして探し出そうとした俺に感動したらしく……」  柳は片手で顔を覆うと、俯いて長い溜め息を吐いて言った。 「思いっきり抱きしめられた……」  鈴江のことだ。柳のことを相当撫でまわしたのだろう。晃人はその姿を想像して苦笑いを浮かべた。 「それから……」  柳は覆っていた手を下ろすと、言うのを躊躇うように指先をいじった。 「それから……母さん、俺に言ったんだ」  リビングの机に、向かい合わせに宗一郎と樹が座っている。その隣で柳を抱きしめる鈴江の姿があった。  鈴江は柳を胸に抱いたまま、背中へそっと触れると優しく撫でながら言った。 「柳、お母さんはね、柳が、家族が生きていてくれるだけで嬉しいのよ。シーグラスが見つからなかったのは残念なことだけど、私は柳がこうやって生きて帰ってきてくれたことが嬉しい。あの日もそう。命を賭してあなたを守ったあの日、柳は生きてこの家へ帰ってきたでしょう?柳はそれをずっと後悔しているのかもしれないけど、母さんはむしろ柳に感謝しているのよ」 「え?」  柳は鈴江を見上げた。 「大切な息子を死なせずに済んだんだもの。それに、式神転生術で魂魄を繋ぎ止めようとしてくれたでしょ?」 「あれは失敗して……!」 「そう。でもね、あの時柳が私に術を使っていなかったら、私の魂はとっくに冥界へ行っていたわ。だからね、今こうやって柳を抱き締めることもできなかったはずなの」  後悔が滲む柳の瞳を、鈴江は温かな灯火のような眼差しで見つめた。 「私はもう人間ではないけど、こうやってもう一度大切な家族に会えて、一緒に暮らせて、今度は式神として戦えるようにもなった。あなた達をちゃんと守れる母親になれた。この魂は、柳、あたなが繋いでくれたものなのよ」  鈴江の手のひらが柳の頭を優しく撫でる。ひと撫でひと撫で丁寧に、大切に、何度も撫でる。 「だからありがとう、命を繋いでくれて。ありがとう、柳。あなたが生きていてくれて本当に嬉しかった」  その言葉はまるで、雨上がりに暗く淀んでいた雲間から差し込んだ、一筋の光のようだった。  柳の瞳に熱いものが込み上げ滲んで揺らめく。  血まみれになって倒れている母親と、赤く染まった自身の手。その時の光景はあの日から忘れたことなど一度もなかった。お前のせいだと何度も自分を責め続けた。これは一生拭えぬ罪なのだと。だから、こんなこと言ってはいけないのだとずっと思っていた。 「母さん……あの時、俺……」  鈴江の袖を掴み、柳は込み上げる感情を抑えながら、上擦った声を絞り出すように言葉にした。 「俺を助けてくれて、ありがとう……!」  柳の頬に雫が伝う。  微笑みを向ける母と、穏やかな笑顔を浮かべる父、優しい眼差しで柔らかな笑みを向ける兄。  海で交わした母との約束。シーグラスに込めた願い。柳はようやく本当の意味でそれを叶えられたような気がした。  公園の草木に雨の雫が弾く。さらさらと鳴る雨音がどこか心地よく聞こえた。 「正直、毎年誕生日が来る度、あの日のことを思い出して祝われるのが嫌だった。でも今は、嫌な思い出ばかりじゃないって思えるようになった」  遠くを眺める柳の瞳には、きっとあの時見たアルバムの写真のように、楽しく笑い合っている思い出が沢山映し出されているのだろう。柳の穏やかな眼差しを見ながら晃人は心の中でそう思った。 「そんな訳で、晃人さんが心配するようなことは起きちゃいないから安心しなよ」  視線を晃人に向けて言う。晃人は頬を緩ませ、安堵した笑みを浮かべた。 「そっか。うん、それなら良かったよ」  しとしとと降り続く雨。晃人は水たまりに弾く、幾つもの雫を眺めた。いつもなら梅雨のじめついたこの季節は鬱々としてしまうところだが、側で雨音を聞きながら話をするのも悪くない。そんな風に思った。 「なぁ柳、お前のこともっと色々教えてくれよ」 「え?」 「俺ら、仕事のこと以外ほとんど話したことなかったじゃん。俺、柳のこともっと知りたいなって思ってたんだよ。俺も柳ともっと話がしたい。いいだろ?」  ニッと歯を見せて笑う晃人。 「……仕方ないなぁ」  そう言った柳の表情は穏やかで、どこか子供のように嬉しそうな瞳を見せていた。  夕方、ちょうど小降りになった頃合いに柳の家へと帰宅した。鈴江がいつものように陽気な表情を携えて二人を出迎える。しかし何やら様子がおかしい。鈴江は興奮気味にエプロンのポケットを探ると、取り出した物を柳に手渡した。  手のひらにころんと転がる水色の小石。いや、シーグラスだ。 「え!?」  晃人と柳は揃って声を出した。 「今日ね、お風呂場掃除していたら脱衣所の棚の隙間に何か見えて、奥の方にあったから手を伸ばして取り出してみたら、これだったわけなの」  晃人と柳は顔を見合わせると、二人一斉に脱力してその場に膝から崩れ落ちた。 「灯台下暗し……」 「そりゃ廃工場いくら探しても見付からないわけだ……」  二人はもう一度顔を合わせた。晃人は可笑しくなって思わず吹き出し、柳は気が抜けた表情を浮かべ、しかしどこか安堵したように頬を緩ませていた。 「さぁさぁ二人とも、そんな所に膝をついていないで上がって。準備はもう出来ているから手を洗って来なさい」 「はぁい」  声を合わせて返事をする晃人と柳。  今日は柳の17歳の誕生日会。外は雨が降り続く。けれどその日は賑やかで、家の中は晴れ晴れとした笑顔に満ち溢れていたのだった。 「今日も雨すごいなぁ」  部屋のテレビからはアナウンサーが大雨注意報を呼び掛けていた。遠くの空には雷鳴が聞こえる。今日は祓い屋の依頼は入っていない。街灯の明かりしか見えない暗い外の景色を眺め、カーテンを閉めると、晃人はベッドに横たわりスマホをいじり始めた。自然と柳の連絡先画面へと指が進む。 「会いてぇなー……」  ポツリと呟いた自分の言葉にハッとして、晃人は誰に言うでもなく咄嗟に発言の弁解をした。 「あーもー、何だこれ」  染まる頬と胸の奥で疼く妙な感覚。晃人は落ち着かない心を鎮めるように、早々に床へ就いた。  雷鳴が響く。柳はペンを止め、カーテン越しに窓を眺めた。再びノートに視線を戻し、シャープペンの芯を押し出す。芯が出て来ないことに気付くと、柳は一番上の引き出しを開き、替え芯を取り出そうと手を伸ばした。引き出しの端に見える小さな巾着袋。ふんわりとふくらみを帯びたその巾着袋をそっと撫でる。頬を緩ませ、穏やかな表情を浮かべる柳。  その時、部屋のドアにノックの音が響いた。入って来たのは樹だった。 「柳、父さんが呼んでる」 「わかった、今行く」  呼ばれたのはリビングではなかった。樹の後について行ったそこは、修行場としても使っていた広間だった。  襖の前で膝をつくと樹はかしこまった声で言った。 「連れて参りました」 「入りなさい」  襖が開けられると、奥に宗一郎、その右手前に鈴江が座して待つ姿が目に入った。その空気に、柳の表情は祓い屋の顔つきへと変わった。  樹は鈴江の隣へ、柳は宗一郎の左手前へ座り、姿勢を正す。  外は雨足が強まり、先ほどまで遠くに聞こえていた雷鳴は次第に近付いていた。  宗一郎が口を開く。発せられたその言葉に柳は目を見開いた。 「え……?」  一閃の光が落ちる。その日、激しい雷鳴と、篠突く雨の音が柳の耳にはいつまでも響いていた。
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