クリスマスツリーを君と

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 クリスマスイブといっても、日本のカレンダーでは、ただの平日。  いつも通りに出勤して、いつも通りに仕事する。例年だと、残業だけど、幸か不幸か仕事はあまりなく、今年は定時に終われた。  とはいえ、コロナ禍で賞与は激減。  彼女もいない俺、松岡誠(まつおかまこと)としては、スーパーの見切り品間近の総菜でクリスマス気分が味わえたらラッキーくらいのものだ。 「松岡さん、今お帰りですか?」  退社しようとしたところで、小柄な女性に声を掛けられた。  同期の国崎真菜(くにさきまな)だ。  派手さこそないものの、とてもきれいな顔立ちをしている。社内でもひそかに男性社員の人気はかなり高い。  もっとも、モーションかけた連中はことごとく玉砕しているそうなので、たぶん彼氏持ちなのだろう。なんにせよ、俺には高嶺の華。同期だから、話す機会はそこそこあって、話すたびに胸は騒いでしまうけれど、これは俺の一方的な思いだと理解している。 「ああ。国崎さんも?」 「はい」  国崎はこくんと頷いた。  わざわざ声を掛けてくれたのも、同期ゆえのこと。そうわかっていても、ちょっと期待してしまう。  もっとも国崎と俺は同じ駅を利用している。姿を見かけて、スルーするのも気まずいと思ったのかもしれない。  商店街を通るこの道は、街路樹に電飾をしていることが有名で、例年のこの時間はカップルで賑わうのだが、今年は人影はまばらだ。  商店の軒先に飾られたツリーだけが、クリスマス気分を盛り上げている。 「今年のクリスマスは、やっぱり寂しいな」  田舎から出てきて一人暮らしで、彼女もいたことがないから、誰かといっしょに楽しんだ経験があるわけではない。だから、俺から見れば、去年も今年も変わらないのだけれど。  ただ、本来あるべきお祭り騒ぎがなりを潜めているというのは、やっぱり寂しいものだ。 「そうですね」  国崎は頷く。 「私、お寺の子だから、家から出るまで、クリスマスってやったことなかったんですよ」  国崎が笑う。 「そうなんだ」  昨今は結構柔軟っぽいけど、厳格なお寺さんだとそうなのかもしれない。 「お店に行くといろいろツリーって売ってますよね。でも、買ってもらえなくて。庭の松に、勝手に飾りぶら下げて怒られたことあるんですよ」 「庭の松?」  由緒あるお寺の庭にある松としたら、いわゆる曲がりくねった手入れされた松だろうなあと思う。  当然、日本庭園だろうし。 「それは、かなりアバンギャルドなツリーだな」 「そうですねえ。今思うと、アホみたいですけど」  国崎はふぅっと息をついた。 「普通に居間とかにも親しい檀家さんがお見えになることがあるから、ツリー置けなかったんですよ。子供部屋になら、置いても良かったんでしょうけど。さすがにケーキだけは、買ってくれましたが」 「へぇ」  確かにクリスマスはキリスト教由来だから、ツリーとかお寺には飾りにくいだろうなと思う。  たいていの日本人は、わりとそういうのも平気なところがあるけど。それは良い事なのか、悪いことなのかは俺にはわからない。 「だからね、私、一人暮らしをするようになって、ツリー買ったんです」 「そうなんだ」  俺は小さいころ家にツリーがあったから、逆にツリーに思い入れは全くない。 「でも、大人になってから飾っても、サンタは来ないんですよね」  少し寂しそうに国崎は呟いた。  もちろん、クリスマスの飾りが子供のころに出来なかったからといって、彼女が不幸というわけではないだろう。  クリスマスがないかわりに、仏教にまつわる行事は俺たちよりしっかり体験しているに違いないから。 「まあ、サンタは大人になると来ないよねえ」  俺は頷く。 「俺なんか、大人になってからは、異教のお祭りに興味ないとか言い訳してるな」  都合がいいよな、と苦笑する。 「私もあれほどあこがれたのに、最近はツリー、飾ってないんです。結局、あれって、家族で囲むから楽しいのでしょうね」 「彼氏は忙しいの?」  さりげなく、聞いてみる。 「私、彼氏とかいないです」 「へぇ。意外。それなら俺、立候補しちゃおうかなあ」  冗談めかして言ってみると、国崎の足がとまった。  そして、じっと俺を見ている。 「ご、ごめん。変なこと言って」  俺は慌てた。冗談で流すことすら嫌だってことなのだろうか。  笑って誤魔化しながらも、ちょっと泣きたい気分だ。  ひとがまばらな駅前のロータリー。中央の木にほどこされた電飾が眩しくて、目に染みる。 「ああ、俺、コンビニ寄っていくから」  あまりにもせつなくて。その場から逃げようとした俺は、腕をつかまれた。 「さっきの言葉」  国崎が声をあげる。意を決した感じだ。 「本気にしてもいいですか?」 「え?」  俺は思わず国崎の顔を見た。  さっきの言葉って、彼氏に立候補したこと、だよな? 「好きなんです」  国崎の目に俺が映る。 「冗談じゃなくて?」 「松岡さんこそ、冗談なのですか?」  胸がドキリと音をたてた。俺は大きく息を吸い込む。  ずっと胸にくすぶっていた思いを、吐き出すのは今だと思った。 「俺でよければ付き合ってください」  俺は彼女に向かって手を差し出す。永遠とも思える沈黙があって。 「よろしくお願いいたします」  国崎の冷たい手が俺の手に触れる。  例年より静かな聖夜。  俺たちは、手をつなぎ、駅構内に飾られた大きなクリスマスツリーを見上げる。 「クリスマスが楽しいってはじめてかも」  国崎が笑う。 「俺も」  俺は、国崎の肩をそっと抱きしめた。 「大人になっても、クリスマスは楽しめるのね」 「クリスマスじゃなくても、だよ」 「うん」  きらめくツリーを眺めながら、俺は彼女の頬にキスをする。  ひんやりとした夜風も不思議と寒くなかった。 了
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