ナンパ待ちのクリスマス(沙彩シリーズ)

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 聖夜といえど、景色はいつもと変わらない。夜道、暗い顔をしてすれ違うサラリーマンに、キャッキャうふふとしょうもないことで盛り上がる同年代の女たち、人生に疲れた犬――いや、犬生か? フフッ、大概私もしょうがないわね。しょうもない者たちが照らし出す日常に、クリスマスというスパイスを振りかけたとしても、何も変わることなどないのだ。 「ええ~、なになに、キョーコ。これから彼氏ん家? いつのまに彼氏できたのお?」  すれ違ったOL風の女が、大きな声で電話していた。電話先のキョーコなる人物は、どうやら彼氏とイチャイチャするらしい。クリスマスに、「おうちデート」。これは、日本人の聖夜の暮らし方としてはオーソドックスなことなんだそうだ。昼に、クラスの女から盗み聞きした。おうちデートってなんだろう。デートを「おうち」でするってこと? それって、デートなんだろうか。分からない、日本人のデート事情が。興味はないわけではなかった。体験して、創作の足しにしたいといつも思っている。しかし――無論、私には彼氏はいなかった。できたことすらない。彼氏って、なにそれ、おいしいの? いつでも食べる準備はできている。彼氏をみじん切りにして、その一粒一粒を掬い上げ、文字に起こす。生々しい青春の演出が――きっと読者を呼ぶことになるだろう。だから――彼氏が欲しかった。小説家として、彼氏と「おうちデート」はぜひとも体験してみたい。アア、彼氏が欲しい! 狂おしいほどに。誰か、生贄になっておくれ――原稿のギャランティで墓前に仏花は備えてあげるから。 「彼氏作るには、まず恋から始めなきゃ」  空から声が降ってきた。私は上を見上げた。星々がそこかしこで瞬いている。横浜の空は貧弱だが――時々こうして見上げると、案外星が見えるんだということに感動しなくもない。オリオン座は特によく見える――街灯と負けないくらいに明るい。ベテルギウスが赤いことさえ気づくことができるくらいに――意外だろう。そのベテルギウスが今、私に語りかけてきたに違いない。いや――ベテルギウスもとい、私の唯一の親友の冴子が、放課後、私のもとへ来て言ったのだ。いや、性格には、私が「彼氏ほしい」と今のように愚痴っていたら、痺れを切らしてというか――普段聞き役に徹するあの冴子が、私にアドバイスを始めたのだ! 「――彼氏ってさ、基本的にコストパフォーマンスが恐ろしく低いでしょ。くさいし、わがままを言ってばかりだし、そのくせ栄光欲に貪欲だから気を抜けば、私たちをアクセサリーにしようとしてくるし。ラブラブのカップルライフを満喫するには、私たちがそれなりのコストを支払わなきゃいけない。適度に褒めて、適度にプレゼントをあげて、適度に相槌を打って、適度に――ヤキモチを焼いて。――ね。基本的に、彼氏は学園生活にとって邪魔でしかないの。だから、彼氏が欲しいなら、それ相応のエネルギー――恋が必要なんだわ」  彼女の眼は、いつになく見開いていた。目は真っ赤に血走っている。まさにベテルギウスだ! 彼女は、何かのスイッチが入ったように、とめどなく言葉を録音/再生した。そして――単語一つ一つに説得力がある。きっと、幾度も思考を重ねたのだろう。失恋を何回も経験しながら――彼女は恐ろしいモンスターへと変貌した。説得力のある言葉をスマートに並べる人工知能。ビッグデータ。歩く最適解。さながら、婚活コンサルタントのような効率厨的思考はしかし、実に私の心に響いた。恋をしなきゃ――それは本当だった。しかし、冴子にも話していないことがある。私ね、実は―― 「恋しちゃったんだわ! ワハハハハ――」  私は橋の真ん中で高笑いした。無数のカップルが私をじろじろと見た。気づけば、私はみなとみらいに流れ着いていた。桜木町駅から横断歩道を二度渡ったところにある大きな橋は――左右を見れば大きな海と七色に光る豪華なイルミネーションがあることから、普段からカップルが多くひしめいている。クリスマスイブの今日は――猶更だった。コロナ事情とはいえ――恋は最悪のコストパフォーマンスを誇るのだから――橋の上はカップルによって渋滞していた。石を投げれば、女と歩くことで気の抜けた男の額を貫けるに違いない。そこを――私は一人で歩いていた。制服姿で。人によっては――興奮するでしょ。制服の美少女が一人でみなとみらいを歩いている。ピンクブラウンに染め上げたロングヘアーに、いわゆる作家的な細身の見た目。冴子からは、「性格がもったいなすぎてやばい!」とお墨付きをもらった、キュートな小顔――こんなの、釣り堀にキャビアを放り込むみたいなものでしょう? まさしく、鯉に食べられてみたかった。だけれど――どうやら思惑は外れてしまったらしい。カップルたちがじろじろと見てくるだけで――ナンパは来ない。 「そっか――みなとみらいはカップルが多いんじゃなくて、カップルしかいないんだ……」  私は落胆して、橋の手すりに靠れかかり、夜風を感じた。そよそよと頬を撫でるように吹く風は、心地よかった。波音が――優しく耳を包み込む。ハァ――私、いったい何をしているのだろう。  そもそも、私は誰を好きになったのか。答えはわからない。心臓がどきどきしていることから――私は確実に恋をしている。一週間前からずっと、ことあるごとに、何かにメロメロになっているのだ。だけれど――その「何か」が分からない。クリスマスになれば分かるかと思いきや、放課後にこんな所へ来て、夜風に当たっているだけ。もう、本当に何なんだろう――恋愛って難しい。恋愛小説は数多読めど、自分の恋愛のネタバレは一切見つからなかった。唯一、『伊豆の踊子』だけが――自分の恋感情に無自覚なあの踊子だけが――私のソウルメイトだった。  潮のにおいが仄かに漂う――遠くに見える観覧車は午後八時を告げていた。メリークリスマス、エブリバディ。恋する私は、今日も一人ここで、黄昏てますよ――誰か――私を救ってくれ――
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