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眠れない夜を過ごし、日が昇ってくるのと同時にカリナは城を出た。浜辺には昨日の風で飛んできたのか、木の枝や誰かの洗濯物、なにかのビンなんかが散らばっていた。波もまだいつもより高い。それでも神殿に足を踏み入れると、嵐のあったことなんてうそのように、いつも通りしんとしていた。
「ここには風も波も届かなかったんだ。特に被害があった報告もなかったみたいだし。風も波も、お願いを聞いてくれたね」
カリナは、背伸びをして白い女神像にそっと触れた。
「私、留学した方がいいの? 外ってどんなところ? 母さま……」
「相変わらず何もない島ねぇ、ここは」
はっと振り返ると、アロアが神殿に入って来ていた。
「姉さま!」
「昨日は悪かったわね、突然」
ふっとアロアは笑った。王やおばあにはきつい物言いをするけど、カリナにとっては優しい姉だった。
「ううん。姉さまにあえて嬉しい」
「ふふ、そんなことを言ってくれるのはカリナだけよ」
「そんなことないよ。侍女たちも大喜びだった」
実際、アロアが城にいたときから、侍女たちは美しく頭のいいアロアのことを尊敬していた。反対に、カリナのことはお転婆姫だと陰口を言っているのを、カリナはうっすら知っていた。
それでも別によかった。本当にアロアの方が上に立つものとしてぴったりだと思っていたし、自分は自然と遊ぶ以外なにもできない。
マウは祈る者として王を支えるものだ。カリナはマウとしてアロアを支えていくつもりだった。それなのに……。
「ねぇアロア姉さま、どうして急に婚約したの?」
「どうしてって? 人を好きになったからよ」
「その皇子さまを好き、なの?」
「うん」
アロアは頬をそめてほほ笑んだ。アロアのそんな顔は初めてで、カリナはじっと見つめた。
「いやだ、そんなに見ないでよ」
「だって、アロア姉さまが、なんか可愛くて」
「あんたに可愛いなんて言われたくないわ」
アロアはコツンとカリナのおでこをたたいた。アロアが近くによると、花のようないい香りがする。カリナはおでこを抑えてふふっと笑った。昨日は突然でそれどころじゃなかったけど、アロアが帰ってきてくれた嬉しさがふつふつとわきあがる。
「でもカリナにだって分かるでしょう? 人を好きになる気持ち」
「ううん」
カリナはあいまいにうなった。人を好きになるってどういうことかまだよく分からない。
父さまが母さまと留学先で出会って、お互い好きになって結婚したという話に、憧れてはいる。でも実際それがどういう気持ちなのかは、知らなかった。
「ま、いいわ。王になるかならないかは別にしても、あなたも外へ出たほうがいいわよ。ここは狭過ぎる」
アロアは神殿から見える海を見つめた。その横顔はなぜだか少し寂しそうにみえる。
「アロア姉さま?」
カリナが問いかけると、アロアはまた笑顔になった。
「楽しいわよ、トリアンテは」
「でも不安。私なんかが、留学してやってけるのか」
アロアは「私もいるし、助っ人を用意してるから」と意味深につぶやくと、神殿を出て行った。
「どうしよう」
カリナは一人女神像を見つめた。
だけど、このままトチアしか知らないで一生過ごしていいのだろうか。母さまや父さまが学んでいた学校もこの目で見てみたい。友達だってほしいと思っていた。それに。誰かを好きになるという気持ちも、知りたくなっていた。
アロアが島からいなくなるからといって、自分が王に向いているとは思えない。マウとして自然と仲良く過ごして祈りながら暮らすのが自分に合っているとは思う。だけど、本当にアロアが他国の皇子と結婚したいのなら、自分がトチアは守らなければいけなくて、それにはここで勉強しているだけではとても無理だということは分かっていた。
少しの間だけでも、行ってみようかな。迷いつつも決心したカリナを応援するかのように、神殿の洞窟に柔らかな風が吹きこんだ。
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