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トリアンテへ向かう
朝食の席で、「留学してみたい」と父さまに話すと部屋の中に一瞬ざわめきが走った。カリナがぐるりとあたりを見渡すと、侍女たちが一斉に目を伏せる。
祈るしか能のないマウのくせに留学なんて。そんな雰囲気を感じて、カリナはちょっと身をすくめた。
「それはいい決断をしたね。アンベール校にすぐ連絡をしよう」
父さまが喜んで手を取ってくれ、少しだけ身体が軽くなる。
「し、しかし。本当にカリナさまが留学して王になれるとお思いですか?」
タルマが大きな声を上げた。その調子から、タルマは自分のことを、出来がいいとは思っていないんだと、気が付いてしまう。あんなに勉強をさぼっていたら当たり前だけど、それでもやっぱり悲しかった。
王が「タルマ、今の言葉はどういう意味か?」と珍しくぎらりと睨み、タルマは口ごもった。
「い、いえ……。そ、そうだ、マウの役割はどうするのですか!?」
タルマが大きな声を上げると、おばあが鼻息と共に言った。
「ふん、わしがおるじゃろう。大マウのわしがおれば、こんな小娘一人おらんでも島ひとつ守れるわい」
言い方はきついけど、おばあがかばってくれたように思えてカリナは驚く。
「それはそうでしょうが……」
タルマはちらりとカリナを見た。カリナが島を出て留学することは、タルマは無駄だと思っているのかもしれない。
「まったく、留学なんぞマウの修行がおろそかになるわ!」
おばあはぶつぶつ文句を言った。でも、カリナの決断を止めることも見下すこともなかった。こうなることがなんとなく分かっていたのだろう。
いつも叱られてばかりだけど、おばあは自分のことを分かってくれていると、カリナはじんとした。
「留学の手続きは私がしますわ」
アロアが父さまに向かって言う。
「あぁ、頼むよ」
アロアが王にならないかもしれないこと、婚約のことを二人でその後どう話をしたのかは、カリナには聞かされなかった。まだ何も決まってはいないのかもしれない。留学に行けるのは嬉しさもあったけど、自分が王にならないといけないかもと考えるとカリナは気持ちが沈んでくる。アロアがいるからこそ、マウとして頑張れると思っていたのに。
「まずは帝王学を学んでから、向いてるかどうかは考えたらいいわ」
アロアはカリナの肩を軽くたたいた。
その数日後。アロアが乗ってきた船にカリナも乗り込み、アンベール校のあるトリアンテ皇国へ向かうことに決まった。全部の手続きを、王とアロアが進めてくれていた。
(島ともしばらくお別れかぁ)
あまり本当のこととして信じられないまま、出発の日を迎えてしまった。
「向こうで何をするか知らんが、マウとしての修行をおろそかにしてはならんぞ」
おばあが怖い顔で言う。
「いつも海や風に祈りを捧げるのだ。海も空も繋がっているのだから」
「わかってる」
「これを」
おばあは、いくつかの小瓶を渡した。
「神殿で汲んだ海水が入っている。意味は、分かるな」
「はい」
神殿の海水を、いつも身体を清めるのに使っている。海水をひたいや身体の一部につけると、海や風や自然と繋がりやすくなるのだ。
カリナは小瓶をそっと麻布でできた袋に入れると、荷物の奥に詰めた。
「そろそろ船が出ます」
アロアが雇った船員の一言で、桟橋から船に乗り込もうとしたとき、ばさりと影が舞い、誰かが桟橋に降り立った。
逆光とマントで顔がよく見えない。
(誰……?)
「カリナ、変わらないね」
「えっ」
言葉を発するより先、影は近づいてきてぎゅつとカリナを抱きしめる。
「え、ええっ?」
「こらっ、ミト!」
後ろからタルマの声が響き、我に帰ったカリナはやっとのことで影を引き離した。
「えぇっ。ミト? あの泣き虫ミトなの」
目の前には、青緑の髪をして、白い歯を出して笑う少年が立っている。
「やあ、久しぶり」
カリナの唯一のおさななじみ、ミトだった。小さいころはよく一緒に遊びんでいた。ミトは泣き虫で、ちょっと転んだだけで大泣きして、いつもカリナがなぐさめてやっていた。
それなのに、今はカリナよりも背が高い。まるで別人だ。
「修行に行ってるんじゃなかったの」
「戻ったんだよ。カリナとトリアンテへ行くために」
アロア姉さまが一人じゃないと言ったのは、このことだったんだ。はっとして、カリナはアロアを探した。すでに船に乗り込んだアロアが顔を出し、ひらりと手をふった。
「手紙を送って呼び戻しておいたのよ。ミトがいれば心強いでしょう」
「まったく。帰るなら、親に顔をちゃんと見せんか」
桟橋をぜいぜい走ってやってきたタルマが言った。ミトはタルマの一人息子だ。
「父さん! ただいま。またすぐ行かなくちゃだけどね」
「あぁ。しっかりカリナさまをお守りするんだぞ。騎士として修行してきた成果を出すんだ」
ミトは父親との久しぶりの対面をさらりと流した。
「分かってる。行こっ、カリナ」
ミトは昔のようにカリナの手をつかむと、走りだした。手が大きくなってる、と思うより先に、カリナは引っ張られる。
「ちょっと」
「こらミト! 王に挨拶せんか」
「そうだった」
タルマに言われ、ミトはぱっと止まり、今度は反対に走り出したのでカリナは引きずられそうになった。
「もうミト、離してって」
「あ、わるいわるい。カリナの力なら、すぐ外せると思って」
そんなわけないじゃない。と、カリナはこっそり思った。あの小さかったころの面影はわずか、緑色かかった髪くらいで、今は力も強くなって、男の子らしくなっていて。知らない人みたいで、カリナは少し緊張していた。
「王。これからカリナとトリアンテで学んできます。姫はしっかりお守りしますので」
父さまの前でミトはひざまずいた。
「あぁ。カリナのこと頼むよ」
父さまはミトにほほえんだ。
(姫だなんて、今まで呼んだこともないくせに)
ひざまずいたまま、ミトはカリナを見上げた。
「姫さま、よろしくお願いします」
そしてカリナの手をとると、手の甲にキスをした。
「ちょ、ちょっと何するの」
そんなこと誰にもされたことがなくて、驚いて手をひっこめた。ミトは「なんだよ、これくらいで」と笑うと、「先に船に乗ってる」と行ってしまった。
「……ミトってあんな人だったっけ」
カリナがつぶやくと、父さまはぽんと頭をなでた。
「カリナや、ミトくらいの年齢は、ちょっと会わないだけでずいぶん変わるもんさ。きっとカリナも、ここへ帰ってくるころには見違えているはずだよ」
「私は変わらない」
島を出て自分が変わってしまうと思うと、なんとも心細い感じがした。
「それならそれでいい。さ、行っておいで」
父さまはカリナの背を優しく押した。
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