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次の週末、私は久しぶりに時成さんの実家の最寄り駅のホームに降り立っていた。
目の前には浜名湖の穏やかで美しい景色が広がっていて、このローカル線が様々な映画やドラマのロケに使われているというのも納得できる。
一時間に一本しか運行されていない一両のみの単線。無人駅の赤い駅舎は木造で、国の有形文化財に登録されている。
そういったものすべてが物珍しくて、結婚の挨拶をするために初めて時成さんに連れてこられたときは、夢中になってカメラのシャッターを切りまくったものだ。
今、走り去った電車の後ろ姿を追いかけるように見つめていると、やっぱり(撮りたいな)という思いがムクムクと湧いてきた。
でも、それは今日じゃない。またいつか、ただの観光客として来る機会があったら……。
駅の改札を出て、浜名湖を背にして山の方へと向かう。
しばらくは平坦な田んぼや畑が広がっていて、銀行やドラッグストアなどの店舗も点在しているけれど、そこを過ぎるとだんだん上り坂になっていく。
歩道のない道路はギリギリ二車線の幅しかなくて、車が横を通るたびに沿道の民家に寄らなくてはならない。煤けた風呂釜煙突が突き出た古い家から、おばあさんがじろりと睨んできたので、軽く会釈して通り過ぎる。
道路脇には住宅が並んでいるのに、歩いている人がいない。
私の実家は畑の残る埼玉の地方都市にあるけれど、一歩外に出れば車も人もひっきりなしに行き交っている。
今さらながら、時成さんとは育ってきた環境が全然違っていたのだという現実を痛感した。
「いらっしゃい。よく来てくれたね」
玄関先で待ち構えていたお義母さんは、もう「おかえりなさい」とは言ってくれなかった。
「仏間の畳は全部替えたんだけど、私でもいやったいから、今日はお寺さんに行こうね」
お義母さんの言葉を咀嚼できないまま頷いて、一緒に近くのお寺に向かって歩き出した。
そうか。お義父さんは仏間で首を吊ったと言っていたから、きっと畳が汚れたのだろう。
夫が自殺した家で一人で暮らしているお義母さんは、どれほどの悲しみを抱えていることか。
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