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数日後、また若狭さんからファイリングを頼まれた。最初の1〜2枚は私が担当している顧客の3年前の資料でむしろよく見つけたなと感心してしまったほどだ。3枚目からはこの間渡されたものと全く一緒だった。どういう嫌がらせ。
「あの、若狭さん、ここの担当」
鋭い目つきで睨まれた。
用意周到な彼女は、男性達が出払い、係長が休みの日にこれを渡してきたのだ。私は何故それを気がつかなかったのだろうと後で後悔した。
「はぁ? 私が新入社員の時は文句も言わずにむしろ自分から率先して先輩のお手伝いやってたんだけどなぁ。これだから使えないのよね」
使えない……。初めて言われたその言葉。
バイトでは「高橋さんは呑み込みが早くて助かる」とよく言われていたし、私のことを使えないなんて表現する人は今まで1人たりともいなかった。そうか、これが社会人になるってことか。
「すみません。ファイリングします」
社会人になって気がついたことは多くの大人は平然とその場凌ぎの嘘をつく。そしてその後始末を後輩や自分より地位が低い立場の人に押し付ける。自分さえよく見られれば良いというスタンスで生きている。
営業は嘘をつく仕事だと誰かが言っていた。服を買う時と同じで売れてない商品でも店員さんに「これ売れててもう在庫はここにあるものしかないんです」と言われると今買わなきゃと思ってしまう。本当に売れているのか、在庫がないのかなんて分からないのに。
物はいいようだ。事実を捻じ曲げない程度の嘘ならなんとか許せるが、根本から覆る事もある。彼女は根本を覆すタイプだ。そして人に媚を売るのが上手な為、許され続けている。
私は馬鹿正直に彼女の言葉を鵜呑みにして、依頼された書類を突き返そうとしてしまったのだ。心理戦は私の不得意分野だ。
1年間耐え続け、ようやく一人で新規受注を獲得できるようになっていた。そんな時に、私にとっては困ったことが生じてしまった。
「係長ぉ〜、おめでとうございまぁす。もうどっちか分かってるんですかぁ?」
「ありがとう。まだ性別は聞いてない」
そう、係長は妊娠したのだ。つまりは一年ちょっと、下手すると二年は戻ってこない。私を守ってくれる人はあと半年で居なくなってしまう。
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