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kisses
保育園のクリスマスは、大変だ。
「今日ねぇ、サンタさん来るんだよぉ〜」
「ぼくんち煙突ないけど、サンタさん来てくれるかなあ」
「ケーキ!ケーキ!」
いつにも増して、園児たちのテンションが高くてもう大騒ぎ。普段から園児たちと接していて慣れている保育士たちでもヘトヘトだ。保育士の椎名志信は、サンタ帽子をかぶって昼ごはんの準備をしながらため息をつく。
(いや、みんな可愛いんだけど、可愛いんだけどね)
椎名は子供が大好きで保育士は天性だと自負している。そんな椎名でもこの日の園児たちのテンションについていけない。
「しのぶせんせぇー!今日、デートなのぉ?」
背後から元気よく女の子がタックルをしてきて、思わず前に転びそうになる。
(デートなんて言葉、どこで知ったんだか)
ませた女の子の言葉に苦笑いする。すると後ろから他の子がテレビを見ながら声を上げた。
「あっ、この前の白いおにーちゃんが出てるよぅ」
数人の園児たちと保育士がテレビを見る。椎名もつられて見るとそこに映されたのは、いま人気急上昇の阿久津志貴だ。
この前、この保育園で撮影があった際に本人が来た。その時、体調が悪く青白い顔をしていた阿久津は園児たちの間で「白いお兄ちゃん」なんて呼ばれている。テレビの中の阿久津は爽やかに笑っている。だが、椎名は知っていた。その笑顔は作られていることを。
撮影の時に見た彼は無愛想で最悪だった。椎名は阿久津を毛嫌いしていたが、体調が悪い阿久津を介抱して以降、ひょんなことから連絡先を交換するまでの仲になった。そして椎名は阿久津のひょっとした仕草に惚れてしまったのだ。
『今日ヒマ?』
そう阿久津からメッセージが来たのはクリスマスの昼。思わず画面を二度見した。阿久津は一度、心を開いたら懐くタイプらしく、今まで何度か食事をしたことはあるが(そのつど、阿久津は変装していた)クリスマスの日に誘われるとは!ニヤつきながらも『ヒマ!』とメッセージ送ると返信はすぐ来た。
『夜ご飯よかったらうちこない?』
クリスマスの神様は、紛れもなく椎名に降臨したのだった。
「かんぱ〜い!」
シャンパンを二人で乾杯して飲んだのは、阿久津が仕事を終えた午後十時過ぎだ。男二人でクリスマスイブなんて侘しいなと椎名が言うと、阿久津は笑ってこう言う。
「男二人の方が気楽だし、いいじゃん」
(そりゃ俺は嬉しいけど)
チキンにかぶりつきながらニヤつく椎名。他愛のない話をしているうちに、阿久津の仕事の話となった。
料理もほぼ食べ尽くして、ケーキを突きながら阿久津がため息をつきながら呟く。
「明日はさ、キスシーンの撮影があるんだよ…」
その言葉に胸が抉れそうになる椎名。
(そうだよな、今から売れっ子になるんだからキスシーンくらい…)
「誰と?」
「佐伯ユキ。俺初めてのキスシーンなんだけど、練習できないのが辛いんだよなあ」
笑いながらシャンパンを飲む阿久津。
「練習するんなら、付き合うよ」
思わずこぼれた椎名の言葉。
(やばい)
椎名はなんとか誤魔化そうと言葉を濁す。
「だ、だって女の子と練習したらヤバいじゃん!お前一応売れっ子だし、スクープされてもまずいだろ。男なら後腐れないしさあ」
まあ冗談だけどな!と椎名が言う間、阿久津は何か閃いたような顔をして椎名を見ていた。
「それもそうだな」
「は?」
「練習させて、椎名」
阿久津の綺麗な顔が近づいてくる。茶色がかった瞳が椎名を捉える。そして唇に感じた柔らかい感触。
ふれたかと思うとすぐ、離れた。まるで粉雪のようになくなっていく。
「…どう?椎名」
「離れるの、早すぎじゃね?こんなに早かったらユキちゃん怒るぞ。お前いつもこんなに短いの?」
「初めてだから、分からなかった。早いのか」
「そうか、初めて…って、お前!これファースキス?!」
椎名は口を手で覆って、慌てる。
(嘘だろ?こんなイケメンが、キスしたことないなんて。しかもこの歳まで?)
「…付き合う暇がなかったんだよ、お前いま馬鹿にしただろ」
「い、いやそれより、ファーストキスが男って…」
「別に気にしないし、椎名だしいいかって」
その言葉にカアっと身体が熱くなるのが分かった。椎名がそのまま、固まっていると阿久津はもう一度近寄ってきた。
「丁度いい長さ、教えて」
誘ってるわけではなく本当に知りたいだけなのだろう。阿久津の真剣な顔に、椎名は呆れるやら、嬉しいやら。
(仕方ねぇな)
これは教えてやるだけだと、もう一度唇を重ねた。今度は少しだけゆっくり感触がわかる。そっと唇を離すと、椎名は呟く。
「分かった?」
「んー、何となく」
シャンパンを一口飲んで、椎名は少し笑った。
「じゃ、お前からしてみろよ」
そう言うと、また阿久津の綺麗な顔が近寄って唇が触れた。
その瞬間、椎名は少し口を開き自分の舌で、阿久津の唇を舐めた。阿久津が閉じていた目を見開いて離れようとしたが、すぐ椎名が逃さないように顔を手で固定する。ツンツン、と舌で唇を開けろと合図すると阿久津がゆっくり口を開けた。その隙間にするりと舌を入れた椎名。そのまま阿久津の口内を弄ると、再び阿久津の目が閉じられ、体の力が抜けていった。
「ふ…」
息が辛くなってきた頃、ようやく椎名が唇を離した。すると阿久津が目を開けて椎名を軽く睨む。その顔は少しだけ、赤くなっていた。
「ここまでやったら、ユキちゃん怒るから気をつけろよ」
椎名がからかうように言うと、阿久津はますます赤くなって椎名のケーキのイチゴを手掴みで自分の口に放り入れた。
「ああ!楽しみにしてたイチゴを!てめぇ!」
「お前が悪いんだろっ!馬鹿にしやがって!」
阿久津の様子に椎名は大笑いした。
その後、阿久津の出演したドラマはヒットした。中でも阿久津と佐伯ユキのキスシーンが評判となり、続編は映画となる。
そのキスシーンを、椎名はテレビで見ていたが妬かなかった。あの日のクリスマスを思い出して一人、ニヤついていたのだった。
これは椎名と阿久津が恋人になる、一年前の話。
【了】
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