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ヒロが隠居生活と称して暮らす無人島。ここは彼が衣食住に困らぬよう、永い年月の中で手掛けた設備や家が建ち、畑で自家栽培まで行っている、ヒロの裁可が無い者の侵入を拒む不可侵領域である。
その島に在るヒロの自宅の庭先では、家主が日課の自己鍛錬に勤しんでいた。
紺碧の眼差しは鋭く前方を見据え、両の手にはカトラスが握られる。足を踏み込むと共に大きく身を動かして、空を切る音を鳴らしながら二対の刃は上下左右へ無尽に流れ、銀の軌跡を中空に描いていく。
だが、眼界に敵がいるわけでもなく、特に的となるものがあるわけでもなく、それは架空の敵を想定しての動きだった。
カトラス自体が普通の片手剣に比べると重量があるため、それだけでも運動量はかなりなものだろう。しかしながら、続けている動きに疲れた様子も見せず、慣れた武器を扱うために未だ軽い。
――とはいうものの、黒い髪先には汗の粒が光り、ときおり頬や顎先を雫が伝い落ちていく。
首元や肩が露出したタンクトップ型の黒い衣服を着ているため、普段は衣服で隠れている筋肉の張った体が窺える。その凹凸に沿って流れる汗が首筋や鎖骨、胸元へ零れて濡らしていった。
「――――、…………っ……」
真剣に真正面を見ていた紺碧の瞳が、不意と落ち着きなく泳ぎ出す。ちらちらと視線が向くのは、建物のある方――雨端が影を作る縁側だ。
カトラスを振るうヒロはもごもごと唇を動かしている。なにか言いたげで、口の中で言葉を紡ごうとして押し留めているようだった。
「………………、あー……、っと……。あのさ……っ」
暫しの間もごもご続けていたヒロだったが、遂に耐えられなくなったのだろう。意を決したように声を発した。
両腕の力を抜いて下ろし、一息つく彼の頬は仄かに朱に染まっている――のだが、それは運動で上気したものでなく羞恥から来るものである。
「そんなに一生懸命に見られると……、流石にちょっと、恥ずかしいんだけど……っ!」
「ふえ?」
羞恥の原因を作ったビアンカへ苦言を投げ掛ける――が、縁側に腰掛けている当のビアンカは何のことだと言いたげに小首を傾げた。
「本を読んでたのに、気付いたらこっち見てるんだもん。見惚れてくれてるのかなとか思ったけど、なんか、見られすぎてて恥ずかしくなってきちゃったじゃん」
翡翠色の視線に気付いた初めの内は、自己鍛錬する姿に見惚れているのかと思い、ちょっとばかり格好つけて気合いを入れてみていた。しかし、如何せんビアンカは真剣――というか舐めるように見据えてきていたため、ヒロは徐々に羞恥を感じてきてしまったのだ。
そうした言を口出せばビアンカは合点がいったのだろう。「ああ……」と小さく喉を鳴らしていた。
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