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どれだけ時間が経ったのか、護郎には見当も付かなかった。二週間か、それとも一カ月か。密林に満ちていた死体の肉が虫に食い尽くされ、あるいは風雨に洗い流されて白骨化し、伸びゆく植物に半分取り込まれる程には、長い時間が経ったのは明らかだった。
仲間の兵士たちの姿は、一人として見かけなかった。敵のパトロールも、そのうち姿を見せなくなった。時折遠くの方から響いてきた射撃音と爆発音も、いつしか止んでいた。森には鳥たちが戻り、歌声を響かせるようになっていた。
イヨはその間、予言によって護郎を助け続けた。彼女の予知は悉く的中した。目指す場所には必ず食料があり、薬があり、休息する場所があった。
その間、護郎は何度も、森を出て敵に投降しようかと考えた。自分一人なら死んでも良い。だが、イヨはどうしても助けたい。いくらイヨの力によって助けられているとはいえ、このままずっと密林を彷徨うわけにもいかない。軍人としての名誉について考えなくもなかったが、彼にとってはイヨのほうがより重要だった。
しかし、彼がそのことを口に出そうとするたびに、イヨが先回りをするかのように言うのだった。
「護郎ちゃん、今はまだダメよ。今密林から出たら、護郎ちゃんは殺されてしまう。もう少し待って。もう少ししたら、きっと護郎ちゃんにとって最善の未来の光景が見えるはずだから……」
日に日に、護郎の頭痛は激しさを増していた。拾った医薬品を使うと、それは少し和らいだが、完全に消え去ることはなかった。
あの時爆発した手榴弾の破片が、頭の中に入っているのかもしれない。護郎はそう思った。
その日も二人は、山の中腹にある洞窟に、身を潜めていた。
「イヨ姉さんが今日まで生き残ってこれた理由が分かったよ。これだけすごい力なら、この地獄を生き抜くのも不思議じゃない」
薄暗い洞窟の中、周囲に白骨が散らばっているその狭い空間で、護郎は軽口を飛ばした。それに対して、イヨはいつも通りの静かな声音と表情で答えた。
「いいえ、違うわ。生き残ったのは『私であって、私ではないもの』なの。いうなれば、カッサンドラーの力だけが残ったのよ。呪いに打ち勝って、私の言葉を信じてくれる人のために、私の力はまだこの世に残っている……護郎ちゃんのために、私は力を残したのよ。今、その力は、護郎ちゃんの頭の中に宿っている……」
意味深長なイヨの言葉を理解しようとしたその瞬間、突然、護郎の頭に錐が揉みこまれるような激痛が走った。呻き、悶える彼に、イヨは鎮痛剤を飲ませ、痛みが落ち着いたのを見計らってから、言った。
「護郎ちゃん、ごめんね。苦しいよね。もう、あなたに残された時間は少ないみたい。このまま頭痛が続くと、あなたは死んでしまうわ。でも、助かる方法があるの。さっき、やっと得ることができた予言。聞いてくれる?」
激痛によってわき出た涙で滲んだ目で、護郎はイヨを見つめた。
「イヨ姉さんの言うことなら、どんなことでも従うよ」
イヨは、彼を見つめつつ、常にないことにきっぱりとした口調で言った。
「ガラパンの街に行って、あるものを探してちょうだい。それを見つけた時、あなたはきっと助かるわ」
「でも、ガラパンの街はもう敵が占領している。行ったら確実に捕虜になる。そんなことは、軍人として……」
本当はそうする他ないと分かっているのに、護郎の口は抗弁をしようとした。するとその時、イヨは突然彼を抱きしめた。
「護郎ちゃん。私、護郎ちゃんにはこの先もずっと元気に生きていて欲しいの。また内地に帰って、私の神社でお正月にお餅を食べて、村の人たちと笑い合って楽しく暮らしてもらいたいの。だから、お願い。ガラパンの街に行って。それを見つけるまで、私が予言で助けてあげるから……」
イヨの体は、奇妙なまでに重量感がなかった。それにも拘わらず、護郎は人生で初めて覚える温もりを感じていた。
自然と、彼の口は動いていた。
「分かりました。イヨ姉さんの言うとおりにします。俺は、イヨ姉さんが好きだから」
イヨは、にっこりと笑った。
「ありがとう、護郎ちゃん。私も、護郎ちゃんが好き」
まるでそうするのが当たり前であるかのように、二人は唇を重ね合わせた。イヨの唇は湿っていて、温かみがあったが、どこか空虚な味がした。護郎は、その理由をおぼろげながらに理解していた。
この口づけの味は、きっと、死の味がしているのだろう。
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