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第一話
祖父はある日どうしたのか,急にこう切り出したのである
「僕らは,もう重荷でしかない。」
祖父は自分で介護するのが困難になったアルツハイマー病を十年以上前から患う奥さん,私の祖母の介護の手伝いをしにうちに来ていた時である。転倒したのをきっかけに、それまで週三回シャワーを浴びせたりご飯を食べさせたりはしていたけれど、ある日いきなりうちで暮らすことが決まったのだった。そして,配偶者を最期まで愛し世話をすることを若い頃に誓い,その責任を放り投げたりせずに全うするつもりでいた祖父が毎日うちに通い,自分にできる手伝いをするようになった。
私は高校生だった。もうすぐ大学生になろうとしている年だった。しかし,物心がついてから祖母の介護を手伝うのが当たり前で,苦痛に感じたことのない私にとっては祖父の言葉は衝撃的だった。私は大好きな祖母がうちで暮らすことになったことも,祖父が毎日通うようになったことも,決して嫌だとは思わなかった。むしろ,喜んでいた。幼い頃から一緒に過ごす時間が長いからか,母方の祖父母が大好きだった。祖父の車が突然うちの家の前に停まる時や祖父母の家で食事をする時は、いつも貴重で幸せな時間を過ごしていると思い,気分がうきうきした。
祖母の病気については,理解していた。アルツハイマーとは,どういう病気で,最後はどうなるかなど,小さい頃から親に聞かされていた。当然恐ろしいものだとは思っていたけれど,時間が限られているからこそ,祖父母と一緒に過ごす一瞬一瞬がとても至福に感じた。重荷だなんて考えたことは,一度もない。
だから,すぐ「そんなことないよ」と他にどう言えばいいのかわからず,そう思っていないことを伝えるつもりで言った。
そしたら,祖父がこう続けたのだ。
「重荷だ。だから,僕は毎晩寝る前に祈っているんだ。僕たちが早くあの世に行くように。あなたたちが早く自由で楽しい生活が送れるように。」
私は祖父のその言葉を聞いて,
もう一度「重荷じゃない。」と否定することしか出来なかった。それ以外に言葉が見つからなかった。
ただ祖父がそう思っていることをこの上なく悲しく思い,激しく泣きたいのを堪えることしか出来なかった。
あれから数えられないくらいの回数祖父とのそのやりとりを思い出して反芻してきたけれど,大人になって自分に子供ができた今でも,祖父のその言葉にどう答えればよかったのか,わからずにいる。
彼の祈りはしっかりと届いていて,そのすぐ後に叶ったことも,とてつもなく悲しかった。
でも,私は一応大人になりかけていたから祖父の言葉を聞いても,「祖母の病気が治りますように」と祈っても治るものじゃないとわかり切っていたため,そう祈ったことはなく,ただそれまで通り毎晩「このおばあちゃんとおじいちゃんの孫にしてくれてありがとう」と祈り続けただけだ。祖父母が亡くなった後もしばらくその習慣を継続していた。
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