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第二話
あの頃は,祖母とよくお散歩をした。あの頃と言っても自分は何歳だったか覚えていないし何年前のことなのかもわからない。小学校低学年ぐらいかな…。
よくお散歩をした理由は,アルツハイマーの症状で落ち着かなくてじっとしているのが辛くてすぐどこかに行きたくなるからだった。私がしばしば付き添い役になった理由は,未だによくわからない。アルツハイマー病の人は、道が分からなくなったり、迷子になったりするのはよく挙げられる症状の一つだから、一人では危ないのは確かだ。しかし,小学生だった私に祖母を任せるのは今でもどうかと思う。何かトラブルが起きた場合,対応出来なかっただろう。そして,迷子になる可能性は十分あった。自分の近所なら大丈夫でも,祖母の近所をよく知らない。自分の知っている道から少しでも外れてしまったらアウトだ。当然,祖母の近所で祖母とお散歩をするときは,迷子になったらどうしよう!?という恐怖感は常にあった。
祖母と散歩するときはいつも手を繋いで歩いていた。
「うわー!あの木を見て!なんて美しいだろう!」
と祖母が生まれて初めて木を見るような驚嘆を込めた口調で言う。
「綺麗だね。」
私は適当に相槌を打つ。
本当は,祖母の指差した木は他のどの木ともあまり変わらない何の変哲もない木だった。しかも,どの家も庭付きで各家のお庭に木が少なくとも一本ぐらい生えているような近所だったから,木を見ても感動しないし,驚きに当たらない。言ってみれば,普通で当たり前の風景だった。
ところが,祖母の指差した木を通り過ぎると次視界に入ってきた木をまた興奮を抑えられずに指差して,
「ほら!あれを見て!なんて綺麗な木なんだろう!」
とまた心底から感心した声を出す。
私は,「そうだね。」と綺麗だとも,何とも感じずに応答する。
祖母とのお散歩は,歩き出してから帰るまで,ずっとこういうやりとりが続くのだった。
このときは,自分はまだ幼い子供で祖母の病気のことを充分理解していなかった。物忘れの病気だという認識ぐらいしかなかった。だからこそ,辛いと思わずに付き合えたかもしれない。
とは言え,周りの大人の反応や辛い表情は見ていたからみんなが辛い思いをしている,この実態を辛いと思うべきだということは熟知していた。
それでも,祖母とお散歩をしていると,彼女はある意味幸せものだと思った。色んなことを忘れたりわからなくなったりするけれど,だからこそ,誰が見ても大して喜ばないような木を見ただけでそこまで素直に初めて花火を見る子供のように目を輝かせて喜べるから,悪いことばかりでもないのでは?とまだ幼い心では思った。
「ほら,見て!苗木が三本並んで立っているじゃない!?あなたたち三姉妹みたいだわ!」
と今度道の角で立ち止まり、私に嬉しそうに言う。
確かにその通りだと思った。
その時見た苗木は成長し、立派な成木になった。私と妹たちも無事に大人になった。しかし,その成長した姿を祖母に見せて,喜んでもらうことは許されなかった。
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