第五話 やっかみ

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第五話 やっかみ

 経理課の高橋はバツイチのアラフォー女性だ。  美雪が怖がっていたように、彼女もまた気難しいと評判で、社内では敬遠されている節がある。  だが、加奈子には親切だし、ひとまわり以上年齢(とし)が離れている割に気が合うこともあって、たまにランチを共にする。  その日は、会社近くの十席程しかない小さなイタリアンレストランへ行った。  スープにサラダ、それにパスタが付いて八百円とかなり手頃で、味も良く、加奈子のお気に入りの店だ。  サラダは自家製のハーブを使っていて、三百円プラスすればデザートとコーヒーまで付けられる。この日の日替わりは大粒のアサリを使ったボンゴレ・ビアンコだった。  陽のあたる窓際の席に通されたふたりは、他愛もない話に花を咲かせながら、美味しいランチに舌鼓を打つ。 「ああ、そうだ。月城さん聞いた? 羽田さんのこと」  パスタをフォークに巻き付けていた高橋が思い出したように口を開いた。 「何のことですか?」 「彼女、なんでも大口の受注を取ったらしいわよ。営業部内じゃちょっとした騒ぎになってるって」  加奈子は「えっ」と思った。本人からは何の連絡もない。 「そうなんですか。知りませんでした」 「そう。彼女、細かなミスは多いけど、やるときにはやるのねえ。やっぱり女は可愛いと得よね」  その声には、あきらかに悪意のあるトゲ含まれていた。加奈子はそれに気づかぬフリをして、パスタを口に運ぶ。  複雑な気分だった。  美雪とは同期とはいえ所属が違う。つまり、住む畑がそもそも違う。だから当然比べる必要もなければ、比べることすら難しい。  なのに、高橋の口から聞いた瞬間、「負けた」と思いやっかむ自分がいることに気づいてしまった。  彼女はいったいどれだけのものをその手にすれば気が済むのだろう。天は二物を与えないのではなかったのか。胸の奥にどす黒いものが渦巻く。  ――美雪のくせに。  その言葉が喉の奥をつきかけ、加奈子は驚いた。  それは、美雪を見下していなければ出てこないはずの言葉だった。  加奈子は美雪の仕事の内容なんてほとんど知らないし、彼女の給与明細の中身だって知りはしない。互いに役職についているわけでもない。どちらが上か、下かなんて決める要素は何ひとつとしてない。  なのに、知らず知らずのうちに、加奈子は美雪を自分より下だと判断し、自分より格下の彼女が功績を挙げたというだけでイライラしている。焦りを感じてしまう。  そしてそんな自分に嫌悪を覚えている。 「いやね。あの手のコは、色仕掛けみたいなことも平気でやるじゃない? 今どき流行らないんだけどね。それでもオジサンはそういうのに弱いのよ。絶対にそうよ」  でなきゃ、あんな小娘がそんな手柄を立てられるわけないじゃない? 言葉にこそしなかったが、高橋の心の内がはっきりと聞こえたような気がした。  それに同意すれば、少しは気持ちが晴れるのだろうか。もはやゴムのような味しかしなくなったパスタを飲み込みながら、加奈子は考える。  可愛いだけで仕事が取れるなんて、楽よね。そう思えば、自分の自尊心は救われるのだろうか。いや――。 「そうだ、高橋さん。この前ですね――」  加奈子は高橋の言葉に肯定も否定も示さず、さりげなく話題を変えることにした。  美雪は仕事に対しては誠実だ。それは同期として五年も付き合っていればわかる。  ふと、電話口で一生懸命頭を下げていた美雪の姿を思い出した。他の中堅社員なら口八丁で対応しかねないものを、彼女は必死だった。  今回のことは、彼女の誠実さがきっと相手に伝わったのだろう。そう考えるのが自然だった。  ここで高橋と一緒になって美雪の悪口を言ったところで、自尊心は救われるどころか、余計にずたずたになる。それにきっと自分を許せなくなる。そんなことは火を見るよりも明らかなのだ。 ***  美雪の一件は、若手社員には良い刺激になったらしく、自分のことのように嬉々と話す姿を女子トイレで何度か見かけた。  逆に中堅の男性社員からは、やっかみの声があることを偶然知った。  コピー機の紙詰まりを直している間、後ろから小声で聞こえてきたのだった。  その内容は高橋が言っていたこととさほど変わらない。若くて可愛いから、色仕掛けで仕事をとったのだろう、と。ただ、高橋と違うところもある。  彼らは美雪にではなく、女に大きな仕事をとられたことが腹立たしいのだ。結果、彼らの言い分は「女は楽でいいよな」と、そこに集約されていた。  バカバカしい。加奈子は苦々しく思った。  自分たちは上辺(うわべ)の誠意だけで、仕事だって通り一遍で済ませようとしているくせに、美雪の努力を認めようともしない。女に仕事をとられたくらいで、ネチネチと小うるさいことこの上ない。「女は――」なんて(うそぶ)いている暇があるのなら、さっさと客先へ行けばいいのにと心底思う。  何とか取り出すことに成功した、詰まっていたコピー用紙を丸めて投げつけてやりたい気分だった。  そのとき、加奈子は無性に美雪が気の毒に思えた。  たしかに彼女は仕事の要領はよくないかもしれない。ミスだって多い。けれど、ちゃんと積み上げてきたものがあったのだ。きっと、加奈子も知らない隠れた努力だってあったはずだ。  なのに、女だというだけで、可愛いというだけで、彼女の努力も客へ向ける誠意にも誰も見向きもしない。  これを気の毒と言わずして何と言えばいいのだろう?
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