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第七話 爆発
加奈子はあまりのタイミングの悪さに愕然とした。
今の翔太に美雪は近づけられない。はっと翔太の方を振り返ると、さっきまでの愚痴はどこへやら、にこにこと機嫌よさげに美雪に手を振っている。
「二人だけで来てるなんてズルイ。みいだけ仲間はずれ?」
「あ、いや、なんか美雪が忙しそうだったから声をかけそびれたみたい」
とっさに嘘をついた。が、美雪に疑っている様子はなく、胸をなでおろす。
「それより美雪はどうしてここに?」
「新しくオープンしたって、誘ってくれたの」
美雪はちらりと後方へ視線をやる。その先にはデザイン室の三浦がいた。彼は加奈子と目が合うと、小さく頭を下げた。
「そうだったんだ」
ふいにこの前社内で見かけた美雪と三浦の姿が思い出された。楽しそうに笑い合う二人。そこだけが切り取られたように輝いて見えたあの光景。
三浦は女子社員からの人気が高いが、美雪とてそんな彼にまったく引けをとらない。
彼女には、そう、華があるのだ。
そんな彼女を羨ましいと、妬ましいと、あの時は思った。その気持ちを否定する気はない。けれど、努力ではどうにもならないものを、指をくわえ羨ましがったところで何も始まらないのだ。
加奈子にはちゃんとそれがわかっている。わかっていてもなお、心に暗い影を落とす。
「そっか……。まあ、楽しんで」
「えー。せっかく会ったんだし、一緒に飲もうよお」
「美雪はそれでいいかもしれないけど、三浦さんに悪いでしょ? 早く行ってあげなよ」
「……うん。わかった。それじゃあ、カナちゃんまたね」
美雪はミニスカートの裾を翻しながら、三浦の待つ席へと戻っていった。
「あーあ。羽田はデートかあ。いいなあ。やっぱり可愛いよなあ」
翔太がうそぶき、加奈子は盛大にため息をついた。酔っ払いにはこれ以上付き合っていられない。
こんな日は早く家に帰って、シャワーを浴びて寝てしまいたかったが、水を飲んで少し酔いを醒ました翔太に付き合わされ、気づけば十一時を回っていた。
そろそろ、と店を出ると、ちょうど美雪と三浦もそこにいた。
駅まで道すがら、三浦と一緒に歩いていたはずの美雪がいつの間にか加奈子の隣にいた。追い払おうと思ったが、放っておいた。どうせ向かう先は同じなのだ。
少し先には翔太と三浦の背中が見える。彼らも何やら話をしているらしかった。
歩道には同じように飲んで帰るスーツ姿のサラリーマンらしき姿が連なっていた。
頭上にはまあるい月が浮かんでいる。
「めっちゃキレイな月だね」
「うん」
さすがに月を可愛いとは言わなかったことに加奈子は安堵しつつ、頷いた。夜風が熱のこもった肌に心地良く、しばしそれを楽しむ。
ふと、美雪を見ると、彼女は首を上げて月を静かに見つめていた。月明かりに白く照らし出された彼女の横顔は女の加奈子から見てもとても綺麗で思わず見蕩れてしまう。急に気恥ずかしくなった加奈子は慌てて言葉を探した。
「あ、そうだ。美雪、大きな仕事とったんだって? おめでと」
美雪がほんの少し居心地悪そうに笑う。
「カナちゃんも知ってたんだ? でもそんな大したことじゃないんだ。偶然だよ。たまたまその会社の社長さんがみいのこと気に入ってくれただけ」
「それだけじゃないでしょ? もっと自信持ったら?」
彼女の謙虚さに半ば呆れながら、その腕を軽く小突いた。
「でも、本当に何もしてないし」
困惑を隠せないような美雪の表情とその一言に、加奈子の中で何かが弾けた。何もせずに仕事がとれるわけがない。もし本当に何の努力もなしに仕事をとれたのだとしたら。
女は楽でいいよな――侮蔑に満ちた声が耳の奥に響く。
「なんで……」加奈子は足を止めた。
「え?」
「なんでそういうこと言うのよ? 美雪、あんた陰でなんて言われているのか知ってるの?」
美雪ははっとしたように一瞬目を見開き、それから地面に視線を落とす。
「女は楽でいいよな、とか。そんなところかな?」
美雪の口調は普段と変わることなく、そう陰で言われていることに対して腹を立てている様子もない。それが余計に加奈子の癇に障った。
「知ってたんだ。ねえ、それでいいの? 悔しくないの? 私、頑張ったんだからって言いたくないの?」
「……別にいい。まんざらウソでもないし」
「なにがいいのよ? 美雪、あんた馬鹿にされてるのよ? 大体あんたがちゃんとしないから。短いスカート履いて、男ににこにこ愛想振りまいて! そんなことばっかりしてるから、馬鹿にされるって分からないの? 頼むからもっとちゃんとしてよ。胸を張って頑張ったんだって言ってよ!」
なんて酷いことを――加奈子は泣きたくなった。
美雪を傷づけている、その自覚は嫌というほどある。なのに、ずっと心に積もり積もってきた鬱憤のようなものが一気に噴き出すのを止める術を持たなかった。
それは、これまで持て余してきた感情のすべてがぐちゃぐちゃに混ざり合ったような大きな渦だった。長いこと溜めに溜め続けてきた彼女への不満や嫌悪、コンプレックス。
止められるわけがない。
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