第八話 月の悪戯

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第八話 月の悪戯

 加奈子は改めて美雪が嫌いだと思った。  加奈子が持っていないものをたくさん持っているくせに、それを最大限に活かそうとしない。自己演出の術を知らない、あるいはその術を間違えている。もっとうまく立ち回ることだってできるはずなのに、そうしようとはしない。私は馬鹿で可愛いのが取柄の女です。平気でそんな顔をする。  そういう彼女の態度がどれほど加奈子を不快にしているか、苛立たせているか、知ろうともしない。彼女がそういう顔をすればするほど、加奈子がみじめになっていくことも。  頑張ったのなら、頑張ったと胸を張ればいい。それで女のくせになんて女を馬鹿にするような男どもを黙らせればいい。しかし、美雪はそれをしない。やれる力が本当はあるはずなのに、それをしようともしない。  それが加奈子には理解できないし、悔しいのだ。どうしようもなく、もどかしいのだ。 「カナちゃん……ごめん。ごめんね」  美雪の声は少し震えていた。  泣いているのかと思ったが、その瞳に涙はなかった。むしろ悔しくなるくらい明るく澄んだ瞳で加奈子を見つめている。 「謝んないでよ。謝るくらいならちゃんとしてよ」 「……」  美雪は口元に小さな微笑を刻んだだけで何も言わなかった。  もしかするとそれは微笑ですらなく、あまりの言われように顔が引き攣っているだけかもしれないし、あるいは加奈子への哀れみなのかもしれなかった。 「ねえ、ちょっと。何とか言いなさいよ」  黙ったままの美雪に苛立ちが募る。なぜ、「うん」とひとこと言ってくれないのだろう。美雪にとっては難しいことではないはずなのに。 「ごめんね、カナちゃん。カナちゃんはみいのことが嫌いなんだよね? みいがしっかりしないから。でもね、みいはカナちゃんのこと、大好きだよ」  ようやく返ってきた美雪の言葉はあまりに見当はずれで加奈子は思わず脱力してしまう。今聞きたいのは、そんな言葉ではない。  加奈子が待っているのは、欲しいのは、そんな言葉ではないのだ。 「そんな話、今はしてないでしょう? はぐらかさないでよ」 「そうだ。ね、カナちゃん。今からカラオケ行こ? ふたりで。みいね、ピンクレディーメドレー歌えるんだよ」  そう言って美雪は嬉しそうに加奈子の手を取った。  加奈子には彼女の意図がまったくわからない。今は、喧嘩まではいかなくとも、言い争いをしているのだ。そんな仲良く歌いに行くような空気ではないし、そんな気分でもない。しかも酷いことを言われたのは彼女のほうで、きっと傷ついているはずだ。なのに、なぜカラオケなんかに行く気になれるのだろう。この子は本当は宇宙人なんじゃないかと疑いたくなってくる。 「いやよ。私は帰る。帰って寝る。行きたいならひとりで行けば? ううん、三浦さんでも誘いなよ。翔太でもいいし。ふたりともあんたになら付き合ってくれるよ」  加奈子は面倒くさそうに美雪の手を振り解いた。が、すぐにまた掴まれてしまう。美雪と視線がぶつかった。 「みいはね、カナちゃんと行きたいの」 「うるさい。私はいやだ」 「いやだ。絶対、行くの。だって絶対楽しいよ? めっちゃ可愛いんだから、みいのピンクレディー」  美雪は真剣に駄々を捏ねていた。彼女がこんなふうに強引な態度をとるのを、加奈子は初めて見た。  これまで誘いを断るたびに、「気にしないで」と誘った彼女のほうがいつも申し分けなさそうだった。「めっちゃ可愛い」とはしゃぐ姿はその辺のギャルのようで、それでいてにこにこと相手を包み込むような温かさがあって、でもいつもどこか遠慮がちで。  今、目の前にいる美雪は、加奈子の知らない、初めて見る美雪だった。 ――人は、他人に見せる一面だけがすべてではない。  そんなことはわかっていたはずなのに、改めてそれを知る。  そして、人は他人の物差しで、基準で生きているわけでもない。彼女が何をするのか。どう生きていくのか。それはすべて本人が決めるべきことなのだ。たとえその選択が、他人から見て納得できないものだとしても。美雪の選択が、加奈子の意に沿わないものなのだとしても。 「自分で可愛い、言うな。美雪のピンクレディーなんて聴きたくない」  文句を言っても、美雪は聞いていないのかどこ吹く風で、満面に笑顔の花を咲かせている。 「みい、翔ちゃんと三浦さんに先に帰ってって言ってくる。ちょっと待ってて!」  白い歯を見せながら、はるか先を歩く翔太と三浦に向かって走り出した。加奈子が止める間もなかった。 「バカ美雪」  彼女の後姿を見つめながら、加奈子はつぶやく。  美雪のわがままに振り回されてるというのに、不思議とそう悪い気分ではなかった。  さんざん傷つけるようなことを言ってしまったことへの後ろめたさからなのか、あるいは単に酔いが回っているせいなのかはわからない。  それとも――。加奈子は蒼白く輝く月を見上げる。  満月というのは時に人の心を悪戯に惑わすらしい……らしくないことを考えかけ、すぐにやめた。  嬉しそうにかけ戻ってきた美雪を見たら、そんなことはどうでもよくなってしまった。 「美雪、行くからにはオール付き合いなさいよ」 「もっちろん! はじめからそのつもりだよ、カナちゃん」 加奈子と美雪は顔を見合わせて笑った。
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