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1ヶ月後。
「椿さん、そんなに豪華☆しっちんグッズ欲しかったんですか?」
むすっと黙り込んでいる恋人に晴臣はそう言った。
「やっぱり、中の人としては他の奴には譲れない的な?」
「欲しくない。というか、中の人などいない――ただ」
「ただ?」
混ぜ返すと、椿はいよいよ眉間のしわも隠さず押し黙った。
あれから、予定の合う日は夜の散歩を楽しんだ。毎回毎回湖までは行けないから、椿の好きな〈遠いほうのコンビニ〉に行くだけの日が大半で、でもそれだって充分楽しかった。
椿の一番好きなおにぎりの具はしそ昆布だとわかったり(渋い)、実は本格プリンよりぷっちんするやつが好きだったり、そういうささやかな発見がいちいち可愛いと思えた。
正直プライベートに食い込むイベントに強制参加って……と不満がなくはなかったのだが、対象期間が終わる頃には一抹の淋しさを覚えた。もっともその頃には椿の好きなものリストがだいぶ充実したので、晴臣的戦果は上々だ。
そして本日先ほどめでたくウォーキング大会の結果が発表された。元々あったポスターの隣に掲出されたA4用紙に、ポップ体の極太文字で
『優勝は会計課Aグループの皆さんです!』
と印刷されている。
なんでも元々、散歩、マラソン、トレッキングが趣味の猛者が集まるチームだったらしい。
……おじさんにも、若者に丸投げタイプと、年取ってから始めた趣味にのめり込んじゃうタイプがいるのすっかり忘れてたな……
晴臣は「どうせどこも若者にちょっと歩かせて終わりだろう」と思い込んでいた己を恥じた。
椿などは自分以上にそうだったはず。それでちょっと忸怩たる思いが、この絶妙に可愛く不機嫌な顔を作っているというわけだった。
椿さんてけっこう負けず嫌いだよな。自覚はなさそうだけど。
自覚がないといえば、と晴臣は思い出す。
初めて湖まで一緒に歩いた日のことを。
あの日、椿の高校の同級生とばったり会った。
俺がカミングアウトしちゃうんじゃないかって心配して、心配した自分を責めてた。
俺の顔を見るのが怖くて、ずんずんひとりで歩いていっちゃうくらい。
あのほんの一瞬交わした眼差しだけで、俺が傷ついたのを見抜いたくせに、なんで俺が一瞬でも「言っちゃおうかな」って考えちゃったのか、その理由には気がつかないんだよな。
あのとき。
『月森良かったな、面白い人が同僚で。おまえ高校のときいつもぼっちだったじゃん』
元クラスメイトやらはそう言って、椿の肩口をばんばん叩いた。
それがむかついた。
良かったな、なんて、なんで上から目線なんだよ。
俺の椿さんに気安く触るな。
ベッドの中ではもうあれやこれや致した仲ではあるが、外ではおおっぴらに手も握れないふたりなのだ。
自制はきくほうだと自負しているが、あの瞬間、ちょっと魔が差した。すべて話してしまおうかなんて。
大学時代のアウティングで、椿がどれほど傷ついたか知ってる。なのに。
つまんないやきもちでもっと傷つけられていたかも、なんてことにはこの人は気づかない。
だからあのとき、目が合って良かった。我に返れて良かった。
自分はたまたまアウティングに合わなかっただけだ。東京という土地柄か、仲間も探しやすかった。母とは若干もめもしたが、それだってもう解決済み。
自分のセクシャリティを隠そうとは思わない。だけどそれはあくまで自分の話。
人それぞれ事情があって、カミングアウトはまだまだ簡単なことじゃない。
椿がそれを思い出させてくれる。
「椿さん、強制期間は終わっちゃいましたけど、これからもたまに一緒に行きましょうね、椿さんの好きなほうのコンビニ」
「……いいけど、遠いだろ」
職場だが、周りに人がいないから、素の椿が応じる。眼鏡を押し上げながら。これはちょっと喜んでるのを隠す仕草。
可愛いなと口にしたら、きっとまた機嫌を損ねるから、そんな気持ちはうまいこと笑みに変える。
「ふたりで行ったら、すぐですよ」
と。
〈了〉
20210118
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