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聖者の贈りもの
クリスマス。
全国的にどなたさまも漏れなく浮かれっ調子になるあのリア充たちの祭典。
もちろん椿は毎年この日を恨みに思ってきた。
〇ね、リア充。さもなくば滅びよ。
そう思ってきたのだ。
◇◇◇
……だからたぶん罰が当たったんだよなあ。
などと非現実的なことを考える程度には、椿は今疲れている。
なにしろ十二月の梓市観光課は慌ただしい。
昨年まで所属していた戸籍課も、駆け込みで諸々の手続きを済まそうという人々が押し寄せるおかげでそれなりに忙しくはあった。
が、観光課はその比ではない。
全国民が突然日本人であったことを思い出す年末年始に向け、「城」というジャパンオブジャパンなコンテンツを所有する梓では、当然お正月イベントを様々に用意している。
そして関係各所との擦り合わせは、これまた当然年内に終わらせておかなければならないのだ。
「椿くん、野点の準備は××会の方々に全部お任せしていいんだったっけ? 毛氈とか傘ってこっちの手配? 甘酒の発注って誰担当? 業者さん年内いつまで?」
「電話で確認します」
「鷹匠の方って宿泊どうするんだろ。ホテルって鷹オッケー?」
「……確認します」
「あー! 県の土木課に申請した改修の書類不備で返って来たーーー!!」
「修正して直に届けます!」
諸々の見積もり、発注、許可申請、それもあちこちの役所が閉まる前にーーと終始ばたばたしていたら、あっという間に今日この日、クリスマスイヴをめでたく迎えてしまったのだった。
てか、鷹ってなんだよ……
クリスマスイルミネーションならぬ、ライトアップされた城に見下ろされながら、多岐に渡りすぎる仕事でたっぷり残業し、やっと帰るところだ。
観光課が忙しければ、当然観光協会も忙しい。今日まで晴臣と話せたのはわずか数回。お互い帰宅も遅いとなると電話やLINEも憚られて、なんだかずるずると放置してしまった。
城祭りをきっかけに付き合い始め、一度だけ遠出をした。そのあとすぐこの超繁忙期に突入だ。以降、仕事の合間に顔を合わせることはあっても、デートらしいデートもできないまま今にいたる。
今日の感じだと、明日も仕事早くは終わらないよな……。
付き合って最初のクリスマス、虚しく終了のお知らせが頭の中で鳴り響く。
けれど椿は、どこかでほっとしてもいた。
だって仕事だ。だったらクリスマスなんてできなくても仕方がない。大人だし。浮かれっ調子になって仕事を放り出すわけにはいかないし。
そもそも付き合ったら絶対クリスマスを一緒に過ごさなきゃいけないってわけでもないだろう?
そんなリア充めいたこと、今まで散々ばかにして、遠ざけてきたのだ。
突然当事者になってしまって、正直椿は戸惑っていた。
恋愛市場において、自分は名も無き脇役だ。顔のないモブキャラだ。
モブなのに精巧に描き込まれた背景の真ん中に空気も読まずに放り込まれてしまったような、場違い感をずっと感じている。
「椿さん」
「うわっ!?」
誰かに肩を叩かれて、間抜けな声が出てしまった。ーー晴臣だ。
「椿さん今帰りですか? 今日も遅くまでお疲れ様です」
「いや、そちらも、でしょう」
「あ、そっか」
晴臣はまるで言われて初めて気がついたとでも言うような顔をした。
「でも、おかげで椿さんと一緒に帰れるから」
……こういうことを、本当にさらりと言ううんだよなあ。
もはや尊敬の念すら抱いてしまう。
そしてこれはチャンスだ。
「えっと、もう食事ーー」
訊ねかけて気がついた。食べた。こんなときだけ課長が気を回してくれて、牛丼の差し入れがあった。観光協会にも持っていく、と言っていた気がする。
「……じゃなくて軽く一杯」
と、言ってみたのはいいが、晴臣が気に入るような小洒落た店など、もちろんぼっちのプロ椿が知るわけもなかった。だいたい、都会と違って店の絶対数が少ないのだ。ちょっと気の利いたところなど、予約でいっぱいだろう。東京で青春時代を過ごした晴臣の気に入る店などそもそもないかもしれないし。
寒空の下うろうろして結局疲れるだけ、という未来が容易に想像できてしまい、椿は俯いた。
俯いたまま独身寮へと向かう道を折れる。晴臣の手が突然肩に触れた。
「椿さん、危ない」
「え、あ、わ」
引き留められて、初めてアスファルトが掘り起こされてパイロンが置かれているのに気がついた。どうやら道路の整備をしているらしい。
「朝はこんなのなかったのに」
「どこもかしこも、年内に終わらせなきゃいけない分があるんでしょうねー。こっちから行きましょう」
こっち、とは、いつもの裏道ではなく、駅前を経由する道だ。
五分ほど遠回りだが、しかたない。
晴臣について足をそちらに向けると、ささやかながらも建物やモニュメントにイルミネーションが施されていた。
城の渋いライトアップとは趣きの違う、色とりどりの煌めき。
ーーの、酔っ払いどもめ。
オープンエアなバルやレストランから、楽しげな嬌声が聞こえてくる。やっぱりそれは椿にとって理解できない「向こう側」の話だ。向こう側になんかならなくて良かった。自分は向こう側にはなれない。
こんなところさっさと通り過ぎてしまおうと思うのに、晴臣はのんびりと足を進める。
そして、どこか感じ入ったように呟いた。
「クリスマスっていいですよね」
出たな。リア充め。
いや、晴臣がクリスマスを好きなら好きでいいのだ。もっと早く言ってくれればどうにかセッティングしないこともなかったのだ。
でも、仕方ないだろ、仕事なんだから。
「日本人には必要だと思うんですよね」
「日本人?」
急に主語が段違いに大きくなるから、思わず声をあげてしまった。晴臣のほうは特段変わった様子もなく、足を進めながら応じる。
「日本人てシャイだから、日頃から感謝とか、愛情とか口にしないでしょ。でもクリスマスとか初詣とかイベントごとがあると、それきっかけに伝えられるから。そういう節目を作ってくれて神様ありがとーって……あ、これ母の受け売りですけどね」
晴臣の母はやり手の仲人士だ。下町のおばちゃんふうに親身になるのが売りで、著作もある。
「クリスマスがなかったら、一生誰かに好きって言えなかった人が地球上にたくさんいると思うんですよ。だから、あって良かった」
きらきらと輝くイルミネーションの中を、満足そうに呟いて、晴臣はゆったり歩いていく。オープンエアではしゃぐカップルやウェーイたちを、目を細めて眺める。その横顔がなによりも眩しい。
凄いな。
こいつは、本当に凄い。
どうやったら、そんなふうに俺とは全然違う世界が見えるんだろう。
じっと見つめてしまっていた視線に気がついたのか、晴臣は振り返った。
「観光課の方々って、明日も早朝から業者さんと打ち合わせですよね。帰りましょっか」
さらりと踵を返す。だけど、イルミネーションが明るいから、見えてしまった。いつもの爽やかな笑みが、少しだけ名残惜しげに歪んだのを。
「あの!」
気づいたら、その淋しげな背中を呼び止めていた。街ゆく人が不審げに一瞥を投げる。が、すぐにまた隣に並ぶ恋人や家族へと視線を戻す。クリスマスだから。
今日はそういう日なのだから。
「椿さん?」
「ちょっと待って」
てのひらで引き留めてから、椿はおもむろに鞄を漁った。
恋人ができて初めてのクリスマス。
なにをどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。
そんなことでうろたえてる自分もみっともなくて嫌だった。
でも、みんな一緒だ。
みんな一年分の、もしかしたら一生分の勇気振り絞ってるんだ。
神様の計らいに背中を押されて。
そういう日なんだーー
「いてっ」
書類仕事の激務で生じたささくれをあっちこっちひっかけながら、椿はどうにか鞄の中から薄い包みを引っ張り出した。
薄い、長方形の、綺麗にラッピングされた包みだ。
「これ。……えっと、その、……メリークリスマス」
両手を添え、表彰状でも授与するかのように、直立不動で差し出す。
晴臣の見開いた瞳の中に、街路樹のイルミネーションが、無数の星のように映り込んでいる。
「……あ、りがとうございます」
「あまりじっくり見ないでください。用意して、ずっと鞄に入れてあったから、包装とかちょっとよれてるし……っ!」
「いや、そんなの、全然……これ、ネクタイです?」
「き、綺麗な色のがあって、ちょっと難しい色だけど、早坂さんなら大丈夫じゃないかなって」
光沢のある鮮やかなターコイズブルー とシルバーグレーのレジメンタルタイ。観光課では華やかすぎて悪目立ちするだろう。でも、晴臣は表に出る仕事だ。はつらつと顔出しインタビューに答える様子を想像したとき、一層花を添えてくれるのではないかと思った。
「……俺に、似合いそうな色を? 椿さんが?」
そんなにたたみかけられると、気恥ずかしさで死ねそうだ。
「こういうの、詳しくないから、全然いけてないかもしれないけどっ」
「いやいや、大丈夫です。むしろ俺のほうをネクタイに合わせます」
「いやどうやって!」
思わず突っ込むと、晴臣が愉快そうに笑う。つられて椿も笑い、それでやっといつものように呼吸ができた。
晴臣は、薄い包みを愛おしげに指で撫でながら呟く。
「……観光がらみの仕事がこんなに忙しいと思ってなかったし、入ったばっかりでお休みも取れないし、誘いそびれちゃって、かっこ悪いなーって思ってたけど、まさか椿さんのほうからこんなの……すげえ嬉しい」
少しだけ「観光協会の早坂さん」ではなく、素の部分が漏れる。それが椿の中の、どこか柔らかい部分を撫でていく。
不思議だ。渡したのは自分のほうなのに、なにか大事なものを渡されたような気さえする。
クリスマスプレゼントなんて、あざといと思っていた。もので気を引こうなんて、あさはかだとも。
けれどああでもないこうでもないと悩みんだ時間も、ある意味豊かなものだったのだと、今思い返すとわかる。
俺はずっとひとりだったから、そんなことも知らずにいたんだなーー
新しく見える景色に耽っていると、晴臣が「あー」と呻く。
じっと押し抱くようにしていたネクタイから顔を上げた。
そして鞄をがさがさ漁る。
「先越されたのは想定外でしたけど、これ。……メリークリスマス」
差し出されたのは、薄い包み。長方形の。
「お仕事で使ってもらえるように、色は濃紺にしましたけど、よーく見ると地紋が凝ってるやつ。そういうの、椿さんに似合うんじゃないかなって思って」
「あ……りがとうございます」
受け取ったネクタイの包みは、自分が渡したものと同じように、包装紙の角がよれて、ほんの少し白く色落ちしていた。
晴臣も、どうにか渡せる機会を伺って、ずいぶん前から持ち歩いていたんだろうか。
自分と同じように。
不器用に。
それを、かっこ悪いとは、思わなかった。
「……大事に使います。絶対」
面を上げて告げると、自然と、少し背の高い晴臣を見上げることになる。
晴臣はなぜか「くそ」と呻いた。
「なんでこんな人目あるとこでそんな顔……」
「ん?」
「なんでもないです」
帰りましょう、と促され、椿は歩き出す。哀しき宮仕えだ。楽しいクリスマスは、ほんの数分で強制終了。
けれど、なんだかとても満たされていた。
◇◇◇
後日。
「そういえば、なんでネクタイだったんです?」
「いや……一番使えるものだし……他のものが良かったか?」
「いえ。俺はもうちょっと別の意味もあったので。いいんです。全然。実用的。椿さんらしい」
いい、という割に含みのあるのが気になって「ネクタイ プレゼント 意味」で検索する。
検索結果を読み進めた椿は、点滅するイルミネーションのように、ひとりで青くなったり、赤くなったり、した。
〈了〉
201226
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