きみのとこまであるいてく

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 そんなこんなのその夜。 「……う」  独身寮の廊下に出て、椿はぶるっと身震いした。  心底やりたくないがそこはそれ悲しき宮仕えの身。一度くらいは参加して面目を立てておかねばならない。それならさっさと済ませてしまおうと、帰宅後軽装に着替えて外に出てきたところだ。  少し遠目のコンビニでも行って帰ってくればいいだろう。そんなことを考えながら階段に向かうと、 「椿さん」  冬の寒空の下、あったかいスープを差し出された瞬間みたいな明るい声がする。上の階から下りてきた晴臣だ。スポーツブランドのウィンドブレーカーがよく似合っている。 「もしかして椿さんも?」  スマホをちらっと掲げて見せる晴臣に椿は頷いてみせ、並んで階段を下りた。案の定、観光協会では晴臣が生け贄になったということらしい。こんなだるい行事はさっさと済ませるに限る。 「遠いほうのコンビニまで――」 「俺、湖の駅まで行ってみようかなって思ってて、椿さん一緒に行きません?」 「――う、うん」  参加しましたよ、という形だけ残そうと思っていた椿は、慌てて言葉をひっこめた。一応は先輩なので。  危なかった。仮にも先輩の威厳が地に落ちるところだった。 「やった」  晴臣は小さく呟いて、階段を下りきる。心なしかその足取りはちょっと弾んでいた。 「よそから来ると、こんなとこでも歩き回ると楽しいものですか」  つい仕事モードで訊ねてしまう。 「それもありますけど」 「けど?」  訊ね返しても、晴臣は楽しそうな笑みを浮かべるだけだ。  晴臣の言う「湖の駅」とは、正確には湖畔の温泉街の入り口の駅のことだ。独身寮からは湖沿いの道を歩いて三十分というところだろうか。往復一時間。それだけ歩けば充分「頑張った」ことになるだろう。  仕事の進捗や、寮に近いコンビニと遠いコンビニ、それぞれ商品構成がちょっと違って、椿は本当は遠い方の店が好きだ。だけど冬は特にどっちに行くかちょっと迷う――そんなとりとめのないことなどを話していると、三十分はあっとう間だった。いつもそんなに歩いたことはないから、自分でも驚く。観光課でこきつかわれて、いつの間にか体力がついていたんだろうか。  湖に注ぎ込む川に渡された橋たどり着いたところで、先を行く晴臣が感慨深そうに言った。 「ここ、夜来たら綺麗だろうなと思ってたんですよね」  言われてあらためて目を凝らす。対岸が目指す温泉街入口だ。白、橙、青、そして大小様々な宿の灯りが湖面に映り込んでいる。  風で揺らぐ水面で、灯りがこちらに向かって長く伸びていた。  その光の連なりは、湖上花火のメインである、ナイアガラにも少し似ている。ナイアガラより穏やかで、ゆらゆら穏やかに揺れている分、どこかここではない彼岸へとやさしく誘われているような風情があった。 「――ッしゅん」  魅入られるようなひとときを破ったのは、椿自身のくしゃみだ。  そもそもコンビニに行くだけのつもりで出てきていたから、ちょっと装備がたりてない。上着は晴臣のように首元までジップアップできるものでもなく、マフラーもなく、湖畔の風は容赦ない。 「椿さん大丈夫ですか? 手とか繋いどきます?」 「な……っ」  椿は言葉を詰まらせる。そして気がついた。よく見ると、この寒空の下ぽつぽつと欄干に寄りかかる人影がある。どれも二人組だ。  ここはもしや――夜景デートスポットというやつか。 「みんな相手に夢中だから、気づかれないと思いますよ」  椿の動揺を見透かすように晴臣が言う。 「……もしかして、最初から?」  ここがそういう場所だと、晴臣は知っていたのか。 「気がついたの今です?」と晴臣は微笑う。 「椿さんの鈍感力、お城と一緒に国宝指定されちゃうレベル」 「なんだと」と言い返そうとした言葉は、またしてもくしゃみでかき消されてしまう。「ほらほら」と愉快そうに促され、ちょっと手を伸ばしかけたときだった。 「あれ、月森? 月森だよな?」  と声をかけられたのは。
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