第一色 — 深き水底の色 —

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第一色 — 深き水底の色 —

沈んでいく……ごぼごぼと音がくぐもる。まるで水中にいるような、そんな感覚。 ゆっくりと目を開ければ、そこはやはり暗い水の中。体は重く、指一本動かせない。試しに深く静かに息を吸い込んでみたら問題無く呼吸が出来た。きっと夢なのだろうと思う。視線を軽く彷徨わせれば、遠く上の方に揺らめく淡い光が見える。恐らくあそこが水面(みなも)なのだろう、かなり深く沈んでいるようだ。 しかし何故だろう、不思議と浮上しようとは思わない。体が動かないからという理由だけでは無く、どこか落ち着くというか安心感のような感覚がある。 暗い水の中、"色"が見えない筈のこの目に"色"が見える。この"彩"は…… 旅に出て一月(ひとつき)は経っただろうか。今は近江(おうみ)の街道沿いにある賑やかな集落の小さな旅宿に1週間程厄介になっている。なにせ旅どころかあの屋敷から殆ど出ることがなかった為、しばらくはここを拠点に街中や近場の散策等をして下界の様子を窺っていた。そして近江に来てからというもの、毎日のようにこの夢を見ている。 「またこの夢か……。そういえば、御上に出会う前にもこんな感じの夢を見てた気がする……」 親無しの自分を拾い育ててくれた、師であり父親のような存在。御上に出会う数日前から、何もない暗闇のような空間で、穏やかで温かな春のような日差しに包まれる、そんな夢を毎日見ていた。 「こいつは新たな出会いの兆しか?それなら嬉しい限りだが……」 ぱぱっといつもの通り身支度をし、宿の1階食堂で朝餉(あさげ)を済ませる。この旅宿は2階造りで、1階が食堂、2階が宿泊所になっている。部屋はさほど広くなく、ただ狭過ぎる訳でもない。大人一人で泊まる分には何の問題もない。 『しかも、ここの女将ときたらやたらと気前がいい。日が沈む前に宿に戻れば夕餉も付けてくれる。これで200文とは随分と安い……』 通常、宿といえば一泊一食付きで200~300文が相場だ。だがこの宿は、日の入り前に宿に戻ることが大前提だが、一泊二食、日払いだが連泊なら毎回同じ部屋に通されるし、女将との交渉次第では、外出しても部屋を2~3日は空けといてくれる。 宿の周りは店も多く、小さいながらも勝手がよく中々に離れ難い。 旅に出てからというもの、この派手な羽織のせいか良くも悪くもよく声をかけられる。絡まれることも少なくない。幸いにも自分は器用な方で、御上に叩き込まれた護身術で事なきを得ている。 この集落は一通り見て回ったが、それらしい"彩"を持った者には出会っていない。それどころか集落に住む人々、またこの集落に立ち寄る者達ですら鮮やかな"彩"を持っていない。 「やっぱ()せてんだよなぁ……」 『正直、女将ぐらいか…それらしい"彩"を持ってんのは』 ここの女将は鮮やかとまではいかないが、それなりに映える"彩"を持っているようだ。 食後、道行く人々を眺めながら宿外の腰掛に座り煙管を吹かす。 一服終わり、適当な店で食料等の買い物を済ませ、「そろそろ潮時か…」と呟きながら集落の外へと向かう。今日は集落より離れて散策してみようと思っている。宿は一泊のみの代金を宿泊前に都度払っている為、いっそこのまま違う国に行っても問題は無い。山城(やましろ)方面に向けて街道を歩いて行く。 集落を出て、しばらくは大きな街道を一人歩く。すれ違うのは商人や旅人ばかり、皆持つ"彩"は変わらず褪せている。 「つまんねぇな……」 ぼやきながら街道から小道へと歩を進め、人気の少ない森の中へと入って行く。しばらく歩き続けると分かれ道に出た。 そこで気が付いた、嫌な匂いがする……。
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