一章

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 一日は七時限授業がある。五十分の授業を七回。これを月曜日から金曜日まで毎日。授業が全部終わるのは四時半。ちなみに土曜日も午前中は授業だ。私立高校の特進クラスは、普通科と校舎が違う上に勉強に力を入れている。少しでも進学率を上げたいのと、ランクの高い大学に生徒を入れたいから。廊下には「目指せ東大」とか「早慶上智」とか書いた紙が貼られたりする。正直私のように成績が目立って良くない生徒からすると、げんなりするほど暑苦しい。  学校帰りに図書館に寄って、家に帰ったのは七時を過ぎていた。「仙崎」とプレートがかかった玄関を開けると、スーツ姿の義父と鉢合わせをする。義父も今帰ってきたみたいだ。 「おかえり」  目を合わせずに小さい声で、ただいま亮介さん、と言った。居間に行くと、母がベビーベッドの中ですやすやと眠っている妹を優しい顔で見つめていた。 「今眠ったの?」 「そう。さっきまで泣いててすごかったの。ご飯はできているわ。食べるでしょ」  私は首を横に振って、自室にいくことにする。たまに義父と母と、三人で食べるのが辛くなる。種違いの妹は、宇宙人か何かに見える時がある。 「後にする。今お腹減ってないから。ちょっと出かけたいし」  母はなにか言いたげにしていたけれど、無視して背を向けた。先に食べててと言って2階に上がって自室に入り、シャツとジーンズに着替えると空腹を意識する。鞄の中からパウチのチョコレートを出して口に放り込む。授業数が多いとお腹が減るから、いつも鞄の中に一口サイズのチョコレートやクッキーを忍ばせている。階下から母と義父の話し声が聞こえてきた。少し楽しそうで、いい年なのに若いカップルみたいだ。生前の父と話していた時とは打って違う。母の声には華やかさがある。あんな声、父と一緒にいた時は出したことはなかった。苛立ちを感じながら、私はiPodの音楽を再生させる。折り畳んである望遠鏡を担いで家を出る。耳に流れる曲の通り、確かに天体観測のための荷物は大袈裟だ。  今日は上弦の月が見えるはずだ。  ✳︎    母が再婚相手を連れてきたのは、私が小学校6年生の頃だった。何も前触れもなく、知らない男の人が来た時はびっくりした。新しい家族になりますと言われても、頭が追いつかなかった。どうも、高校の同級生だったようだ。 「ずっと好きだった人でね。同窓会で再会して、それで再婚を決めたの」  夢みがちに語る母は、目の前にいる私の存在を忘れているようだった。私の母親、というより、一人の女、という顔は、私の見慣れないものだった。父は好きな人ではなかったのだろうかという疑問が頭の中にぐるぐると回った。音が大分うわずっていたけれど、その時一応、おめでとうとは言えたと記憶している。  救いといえば母の再婚相手がおっかなそうではなく、寡黙でおだやかな人だったことだ。一緒にいると緊張するけど、アル中もDVもギャンブル依存もなく、母の娘の私にも優しく接しようと努力してくれた。  最初の数年はそんな感じでぎこちなくも、穏やかに過ぎた。だけど、母が妊娠して少しづつ歯車が狂っていったように思う。  私が妹を宇宙人のように思うのならば、義父は私が別の惑星から来た異星人に見えていたのかもしれない。母の妊娠を知らされたのは、中学3年の初夏だった。 「やっと自分の子供ができて嬉しい」  私がいる前で、義父は母の下腹を撫でながらそう言った。その瞬間、飲んでいた紅茶の味がわからなくなった。義父にとっての何気ない言葉も、私の心にナイフで切り裂くようなで言葉だったことに、彼らは気づいていただろうか。母のお腹から、何が出てくるのか知るのが怖かった。母が幸せなのはいい。だけど私は、彼らと同じ幸せを、同じように感じることができなかった。  全てが噛み合わないように感じられて、受験勉強にうまく集中できない日々が続いた。家に帰ってもなんだか落ち着かない。母はつわりがひどく、私の受験どころではなくなっていた。付き添いでついて行った産婦人科で、医者に灯里ちゃんがしっかり支えなきゃ駄目よと優しい口調で諭された。  妹の誕生と私の高校受験が失敗したのは、ほぼ同時期だった。志望していた県立高校に落ちて、倍率の低かった私立の特進クラスがお情けで拾ってくれた。私立に行くと決まった時、生まれたばかりの妹を抱きながら、これからお金がかかるのにと、母はあからさまに落胆した顔をした。義父は私を攻めもし無ければ、庇いもしなかった。ただ、義妹に夢中になっていた。  それ以来、自分の家がよその家に見えて居心地が悪い。私は母の娘のはずなのに、あの三人の和にうまく入れない。入ろうとしても、自分が異物のように見えてしまう。母と義父と、妹の三人がきっと完璧な家族で、私は家族じゃないんだって実感させられてしまう。    近くの公園に行って、望遠鏡をセットした。まだ九月の半ばだから、夏の星座が秋の星座と一緒に混ざっている。秋の夜空は、夏よりも華やかさがない分、もの悲しい美しさがある。  模試は来週だ。それまでは授業も家も憂鬱だけど、なんとかこなさないと。  雲一つない空の上の月は、泣きたくなるほど綺麗だった。  模試が終わったら本格的に星を見にいく。やっぱり街中じゃよく見えない。もっと綺麗に見える山奥に行かないと。  場所は決めている。自転車を走らせて二時間の、竹田山のキャンプ場だ。生前の父とも行ったことがある。学校が終わったら真っ直ぐに帰って山に登る。未成年者には保護者の署名と印鑑が必要だと知った時はびっくりしたけど、母の名前を自分で書いて、引き出しに入っている母のシャチハタを使えば問題がないはずだ。危険なことにならなければ、母には連絡が行かない。  ……ケフェウス座のガーネットスターが見えた。深紅の星とも言える星は、鮮烈な赤を宿している。心が躍る。真っ赤に燃える星。強烈な光が瞬いている。  不意に浮かんだのは、朝、私を捉えた、あの人の光だ。今度見かけたら、ちゃんとお礼を言わないと。  深紅の星に少し似ている、と思った。
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