二章

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 シーズンはズレていないが、今日の竹田山のキャンプ場は人がまばらだった。夏休み期間はもっと小さい子供を連れた家族が多かったが、今日は俺のように一人で来る人がポツポツとテントを張っているぐらいだ。テント脇まで車を駐車できるオートキャンプのスペースと、車両が入れないキャンプスペースの二箇所に分かれている。全ての荷物を担いでテントを貼る場所を探す。  一人用のテントは、本当に人一人が眠れる程度の広さしかない。ちょうどいい平地を見つけて荷物をおろす。ワンタッチ式のテントは、収納袋から出すと勢いよく飛び出てきた。テントはヒナコさんのお下がりだ。本格的なものはもっと慣れてからの方がいいと言われた。ペグと重しで四隅を固定して、床にはブルーシートを敷く。雨予防もあるが、寒さ対策だ。9月下旬でも山中はじわじわ寒いから。LEDランタンを吊るす。セットしているうちに、少しずつ暗くなってきた。日が落ちると影が深くなる。  薪は所定の場所に積んである。細い木の枝から、薪ストーブで使うような大きいものまで、サイズはまちまちだ。細い枝を適当に選んで、テントの横に設置したミニサイズのグリルに積んでいく。焚き火台にもなるバーベキューコンロだ。  丸めた紙にライターの火を当てて、重ねた木の枝に落とす。火が枝に乗り移る。静かに仰いで、生まれたばかりの火を育てていく。  折り畳みの椅子に座って、炎を見つめる。  この瞬間が好きだ、と心底感じる。  物質の燃焼に伴って起こる現象。ゆらゆらと揺めきながら明るい色を灯す。火を信仰する宗教があるのもわかるような気がする。暴力的なようで、星のように瞬いても見える。人の命を簡単に奪いながら、人間の生活に欠かせないもの。一瞬たりとも同じ色同じ形にはならない。  しばらく火を眺めていた。薪が爆ぜる音。木々が擦れる音と、鈴虫が鳴る音。ここではイヤホンの出番はない。雑音かしましい街の中から離れても、音はいたる所に満ちている。  立ち上った煙が、星が瞬き始めた天に吸い込まれていく。ここは木の匂いが濃い。少し離れた別のテントから、肉の焼ける匂いが風に乗ってやってくる。焚き火台からの火が勢いを増した。風が吹いて、空気の冷たさが増した。揺らめく炎の中に、真っ赤に輝く金閣寺が見える。その中心が金閣寺ではなく、何か、自分でも知らないものになりそうになる。燃やさなければならないという妄執。何かを燃やしたいという、自分の中にある健全とは言い難い思い。暴力的なほど強いのに、火を見ると何故だか心が安らかになる。たまに頭がピリッと痺れるのに。  背中の傷が痛んだ。体が冷えると、古傷がたまに疼いてくる。長袖のジャケットを着ると痛みが緩和された。中和剤のための音楽みたいだ。  小さい頃、事故で追った傷は未だ体に残っている。 「マジすげえな、何があったんだ?」  体育の授業でジャージに着替える際、友人の二宮が好奇心たっぷりで聞いてきた。昔事故に遭って、と答えると、じろじろと眺め回した。 「大変だったんだな。だって、右っ側にびっちりと残ってるもんな」  大変だったらしい。らしい、と曖昧なことしか感想が出てこないのは、実際には何があったか覚えていないのだ。気がつけば病院のベッドの上に寝かされていた。天井の茶色い染みが曖昧に写る中、自分の手を握る暖かさを意識した。首を横に向けると、腫れ上がった目をした少年が座っていた。彼は俺の兄だと教えてくれた。  起き上がる前の記憶が、一切見当たらなかった。自分が誰だかすらわからず、ただ背中が異常な痛みを訴えてくる。ぼろぼろと涙を流す俺に、目の前の少年が、大丈夫だ、もう大丈夫だからと言って背中に手を当ててくれた。 「お前だけでも助かってよかった。あれは事故だったんだ」  何を言われたのか理解できなかった。事故だったんだ、と繰り返し呟きながら、兄と名乗る人物は俺の頭を抱きしめた。手のひらの温かさに安心する。この人は俺を害したりはしないと、少しずつ理解をしていった。  長い入院生活の末、退院した俺を待っていたのは、二つの骨壺だった。兄は、あれが父と母だと教えてくれた。小さすぎる頭で、人間は小さくなるものだとぼんやりと考えた。ここが家だと兄に手を引かれて入ったマンションの物が少なかった。マンションの部屋はなんだかよそよそしい違和感があって、兄にここが今まで住んだ家なのかと聞いてしまった。兄はそうだよとしっかり頷いた。  ーー傷の痛みが引いた所で、バックパックの中からステンレス製のやかんを取り出した。折り畳めるタイプのコンパクトなものだ。  粗く引いたコーヒー豆と水を入れてぐらぐらと煮出す。やかんと同じステンレスのカップに茶漉しで豆を濾しながら注いだ。豆の油分で濁ったコーヒーは全く洗練されていなくて苦い。これはこれで嫌いではないのだ。キャンプの時以外は飲みたいとは思わないけれど。  星が出てきた。夜になりたての空の星は白っぽい。火の粉と灰が舞い上がって、新しい星座を作る。  右横から小さいくしゃみが聞こえたのはそんな時だった。
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