1話「花蜜ウエディングナイト」

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1話「花蜜ウエディングナイト」

5月1日、日曜日。 矢い子さんがこの古めかしい平屋へと戻って来た。 玄関で出迎えると、彼女は照れくさそうに微笑む。 「戻って参りました。またお世話になりますのでよろしくお願い致しますね」 「そんな堅苦しいことを言わないでくれ。ここは矢い子さんと俺の家だ。だから君は"ただいま"とだけ言えばいい。ほら、おいで」 彼女の手を引いて外へと出て、玄関横にある表札を示す。 そこには大きく"長崎箕(ながさきみ)"と書かれており、その下には俺と彼女の名前が記されている。 「君と俺の家だという実感がこれで湧いてくれただろうか?」 「表札、変えたんですね。……でも、本当にわたし側の姓でよろしかったのでしょうか?」 矢い子さんは申し訳なさそうに俺を見上げるが、そんな顔をしないでほしい。 妻側(矢い子さん)の姓を名乗りたいと強く希望したのは俺で、彼女はそれを叶えてくれただけだ。 弟のショウなんかはあまり良いように言わなかったが、そんなの知ったことか。 俺はもう二度と矢い子さんに"朧月さん"なんて他人行儀な呼ばれ方はされたくない──という理由はまぁ自分勝手過ぎるので伏せている。 名義変更が色々と面倒だった位で、長年使ってきた姓が変わったことについては何の感慨もない。 何も知らない他人から奇異の目を向けられても俺は気にしないし、"朧月(おぼろづき)"の名ならショウが継ぐだろう。 俺にとって重要なことは名字などではないのだ。 「別に名字なんて何でもいいんだ。矢い子さんとずっと一緒にいられるなら何だっていい」 そう言ってから、ちゅっと彼女に口づける。 「もう、外ですよ。誰かに見られたらどうするんですか?」 咎めるようなことを言いつつ、矢い子さんはくすくすと笑う。 そして、 「ときはるさん」 俺の名を呼んで、きゅっと手を握り返してくるのがとても愛おしい。 「ただいま」 ふにゃりと破顔して笑う彼女が、何故か泣き出しそうに見えたので強く抱き締める。 「お帰り、矢い子さん」 俺の元へ天使が帰ってきた。 もう二度と、何があっても絶対に彼女を手放したりはしない。 「矢い子さん、すき、だいすき、愛してる」 「わたしも愛していますよ、ときはるさん」 ……ああ、幸せだな。 何だか泣いてしまいそうだ。
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