冬の花は牡丹に散る

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 美芳が松野屋へ嫁ぐという話しはあっという間に四日市宿中に知れ亘った。  松野屋でさえも急な嫁入りに朝から大忙しであるから、牡丹酒造などは天地をひっくり返したようにてんてこ舞いである。 「辰吉さん、そんなとこでぼけっと突っ立ってるくらいなら私の手伝いをしてくれない?」  半ば放心していた辰吉は女中のお銀に声を掛けられる。 「ああ」  曖昧に返事をしながらも辰吉はお銀の後ろを大人しく着いて行く。どこに行くのかと思案する前にお銀は外へ出た。  どうやらお銀はお遣いに行くようである。なるほど辰吉は荷物持ちなのであろう。  お銀が買い求めた物は全て辰吉の腕へと渡される。  帰り道、お銀はぽつりと呟いた。 「可哀相ね、お嬢さん」  誰に喜ばれてもいない祝言。しかも若旦那にはすでに妻がある。秘されてはいるがその奥方、どうやら長くはないらしい。長いこと床に伏したままなのだそうだ。 「でも跡継ぎとして立派に蔵を守ったと、そう考えて差し上げなきゃお嬢さんの決心が浮かばれないわよねえ」 「ああ」  頷きはするが辰吉はどうしたってそう考えるに至れない。自分の不甲斐なさに落ち込みながらも他に手立てはないかと思案してしまう。 「そういえば……」 「なんだ?」 「いや、辰吉さんに言うのはねえ……」 「言いかけてやめるなよ。気になる」 「そう? ……ちょいと前にね南蛮商が来てたことあったでしょ? 物珍しいからって他の女中たちと覗きに行ってみたら松野屋の若旦那がいたのよ」  松野屋の若旦那と聞いて辰吉の眉がぴくりと動く。 「それがどうした?」 「そしたらさあ南蛮商と話す声が所々聞こえてしまったんだよ。『美芳』とか『似合う指輪』とか言ってたから私たち気分が悪くなって帰ってしまったのさ」 「指輪……?」 「そう。……南蛮では夫婦になる証に指輪を相手に贈る風習があるみたいなんだよねえ」 「そうか……」 「お嬢さん、若旦那からその指輪をもらうのかねえ、とちょいと思い出してみただけの話しさ。辰吉さんには酷な話しだったら謝るよ」 「いや、いい」  辰吉も確かに聞いたことがある。南蛮では夫婦で左手の薬指に指輪をするのだと。  あの雪のような白い指に若旦那が贈る嫌味なばかりの派手な石の付いた指輪を想像して辰吉は吐き気がした。 「辰吉さん、大丈夫かい? 顔が真っ青だよ! 荷物半分持つからさあ、ほら。……やっぱり辰吉さんにする話しじゃなかったね、悪かったよ」  辰吉の息が重たくなっていく。同様に空をちらついていた雪が重みを増した。 「牡丹雪だね。さあ早く帰ろう」  天を見上げた辰吉の瞳を隠すように白い牡丹が目蓋に咲いた。
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