冬の花は牡丹に散る

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 美芳を送り出した牡丹酒造はまるで美芳が亡くなったかのように慶びの門出に涙していた。絶品である美酒さえ不味いと盃を投げる者もいた。  雪がしんしんと降っている。足跡さえもう見えないだろう。  美芳のいない部屋へ灯りも付けぬまま辰吉は入る。 ――この部屋の主は松野屋に行ってしまった。自分の手の届かぬ所へ。  相談の一つもなく独りで決めた美芳の心はもう分からない。  辰吉は美芳の亡霊でも探すように視線を彷徨わせる。 「あっ」  それは文机の上。暗い中だというのにそれでも辰吉の目に入ったのは脅迫的な赤の牡丹が一面に咲く宝石箱だった。それは美芳が大切にしていたもの。見つけて欲しいと言われているような存在感に辰吉は歩み寄る。  異様な雰囲気さえ感じる宝石箱の上には紙片が置かれていた。手に取ると何やら文字が書かれている。  明かりを求め、窓辺に寄ってみるが月明かりもなく手元は暗いまま。月にさえ見放された気分になる。仕方なく行灯に火を入れ紙片を翳してみると、そこには確かに美芳の手でこう書かれていた。 『辰吉さんへ』  他には何も記されておらず、辰吉は首を傾げながら紙片の裏を返して見るが何も書かれていない。  美芳の伝えたい事はきっとこの中にあると辰吉は宝石箱に手を伸ばす。  庭では牡丹がその首を落とした。真っ白な雪の上に鮮烈な赤が散る。  辰吉がその箱を静かに開けると、中には辰吉が望んでいたものが入っていた。  雪のように真っ白で、汚したくなるほど美しい美芳の左手。  恍惚の表情を浮かべた辰吉は欲のままにその左手を箱から取り出し己が胸に抱く。 「左手だ。お嬢さんの左手……。ああ、この指に嫌味な指輪が嵌まらなくて良かった。そうだ私がこの指に似合う花を贈ろう」 ――そうだ。お嬢さんの白い指には下劣な指輪などではなく、真紅の花がよく似合う。  この手だけは誰のものでもない自分のものだと、辰吉はゆっくりと酔いしれていく。好きなだけ汚してもいいその雪を愛しく愛しく撫で、うっとりとした熱い吐息を美芳の左手にこぼした。 〈了〉
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