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「松岡君ですか?OKしてくれますかね?」
「たまには残業もさせねばな」
そう言って部長は奥の方へ向かっていった。その先には異様なほど姿勢良く座り、PCに向かう若い男性社員の姿がある。
シワ一つ無いYシャツ、ピシッと締めたネクタイ、PCの画面で眼鏡が神々しく光っている。松岡瑞紀、確か二十四歳だった筈だ。
背が高く、清潔感があり、キリッとしていて入社当時は女子社員達の注目の的だった。
しかし、定時にはあがるしやる気がなさそう、無口、愛想無し、話しかければ返答するが、それ以外のコミュニケーションは自ら取らない。
それでいつしか、つまらないと浮いた存在となっていった。
部長が話しかけると、松岡は奈々子の方を見て何かを言った。部長は奈々子に向かってウィンクした。OKという事だろう。
「へぇー」と奈々子が意外がっていると、部長が去った後、松岡が奈々子を見てため息をついた。
明らかに嫌がってやがる、と奈々子はムカッとした。
ーー残業は、奈々子のデスクで行われた。
「宜しくお願いします」
と感情のない挨拶をして隣に座った松岡は、予想以上にきちんと企画内容や趣旨を理解し、自分なりの見通しもしっかりと立てて計算していた。
なので、直すどころか良い企画書が出来上がっていた。
「じゃあ最後。このグラフこっちにした方が分かり易いのね?」
「自分はそう思いますが」
「思いますが…何?」
「資料作成は彼女の担当だったので」
「そう。でも意見は伝えるべきよ」
「そうでしょうか?」
「そうよ。良くなるってわかってるのに遠慮してどうするのよ」
奈々子はチャチャッとキーボードを操作し、息をついた。
「後は見直して終わりね」
「はい」
離れた所にあるプリンターが起動する。松岡は立ち上がった。
「ん?」
プリンターに向かうと思いきや、小走りでオフィスを出て行ったのである。
トイレかしら?と考え、仕方なく、プリントアウトされた用紙を取りに行こうと立ち上がろうとすると、松岡は息を切らして戻って来た。
「…あの。…橘先輩、どちらがお好みでしょうか」
そう言って、自販機で買って来たのだろう。コーヒーのブラック、微糖、カフェオレ、お茶、水、炭酸水をドカッと置いた。いつも無表情な松岡の息切れ姿は珍しい。
そして自分はプリンターへ行き、用紙をまとめてホチキスで留めて奈々子へ渡した。
「あ、えーっと。ブラック、貰うわね。有難う」
最初に何が良いですか、と訊けば良いのに…と思いながら。松岡自身はカフェオレを飲みながら確認にかかっている。
「松岡君は甘党なの?」
奈々子が何気に訊くと、「はい」とポツリとつぶやき、手で顔を隠す様にして、眼鏡の両端をくいっと上げた。顔が少し赤い。
何だろう、この照れ屋さんは、と吹き出しそうになるのを奈々子は堪えた。
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