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「いやー、ごめんねー。私、もしかして松岡君って怖がりなのかと思ってさ。面白くなっちゃって、脅かそうとして急に立ち止まっちゃったんだよねー」 「えっ?」  松岡はまた眼鏡をくいっと上げ…たかったらしい。だが、眼鏡は落ちてしまって、なかった。動揺して辺りをキョロキョロしている。 すぐ横にあるぞい、と思い奈々子はしばらく面白くて見ていた。だけど流石に気の毒なので「はい」と渡してあげる。  眼鏡をかけた松岡は、ため息をついた。  それから、 「橘先輩って…前から思ってたんですけど…ほんと、逞しいですよね」 と言った。 「ちょっと、どういう意味?太ってるって事!?」  奈々子が自分の二の腕を庇う様にして睨むと、 「あっ、いえ!そういう意味ではなく!臆する事なく意見を言えたり、人にどう思われるかとか気にせず堂々としてるというか、尊敬してるんです」 と松岡は慌て、また眼鏡をくいっと上げた。 「…僕、いわゆる鳥目なんです。暗い所見えづらくて、苦手なんです」 「へぇー。そう。…あ、だから定時に帰るのね?」 「ええ」  考えてみれば、決められた時間内で仕事をこなすのは優秀ではないかと奈々子は思った。 残業しないイコールやる気がないではない。自分の古い価値観を少し反省する。 「…僕、周囲からどう見られているのか…しっかりしてるとかって思われてるんでしょうか?学生時代の彼女に怖がりだとガッカリされてフられた経験がありまして。暗い所が苦手な自分が嫌で。…でも、橘先輩が面白いって言ってくれたので」  松岡は、眼鏡をくいっと上げながら「…嬉しいです、今」と小声で言った。 「何それ、可愛い」  奈々子は思わず素直に告げた。 「あ…何言ってるんでしょうね。すみません」  松岡は立ち上がり、ちょっとズレた位置だが奈々子に手を差しのべる。大きくて綺麗な手だった。 奈々子が手を乗せると、ぎゅっと握り締め、ぐいっと引っ張って立たせる。 「鞄…鞄…」 「それは任せて」  奈々子は自分のバッグと松岡の鞄を拾い、松岡に渡した。 「…ありがとうございます」 「どういたしまして」  奈々子は松岡の腕を組み、軽い気持ちで「見えないなら私が案内してあげるわ」と歩き出そうとした。 すると、松岡はバッとそれを振り払ったのだ。 「…先輩、軽々しくそういう事はしないで下さい」 「え。ごめん」 「…ですから、僕がどう思われてるのかわかりませんが。僕は、普通に男ですし、そうやってずっと好きだった人にボディタッチされたら、それだけで期待してしまう勘違い野郎ですから」  そして、ハッとして奈々子に背を向けた。 「好きだった人?…誰?」  松岡はぽかんとする奈々子に背を向けたままだ。 「…誰って、この状況で…一人しか居ないじゃないですか」 「もしかして、私?」 「…わ、悪いですか?」 「だって…残業お願いされた時、嫌そうにため息ついてたじゃない」 「緊張してたんです、ため息じゃなくて深呼吸です」 「…そうなんだ」 「…そうですよ」  松岡は振り向いて手を伸ばした。その手が奈々子の腕に触れ、それを確かめると引き寄せて突然キスをした。  …しかし、少しだけ唇からズレてチークキスになる。  眼鏡をくいっと上げ、「…そういう訳で…お疲れ様でした」と言い残し足早に去って行く。  うおーい!やり逃げかよー!?  奈々子は呆気に取られながらも、嫌ではなく、むしろ松岡のことをもっと知りたいと思った。 「わっ!…先輩!?」  奈々子が手を繋いで来たので松岡はたじろいだ。 「出口、そっちじゃないし」 と、奈々子は笑った。 「…言いましたよね?…期待しますよ?」 「どうぞ」 「…僕、普通に肉食ですよ?」 「あら、私もよ」  奈々子に手を引かれながら、松岡はまた眼鏡をくいっと上げた。
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