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「坊ちゃん、準備は整いました。
参りましょう」
千秋は、広い檻の中で起き上がった。
はたはたと裸足のまま鉄柵へ近づき、
頭に被ったフードを取った。
林檎の香りがふわりとあたりを包む。
「坊ちゃん…今夜は本当に?」
千秋は柔らかな髪を遊ばせたまま、虎のような目を露わにした。
鋭い眼光は、代々受け継ぐ血の証だ。
「行く。全てが今日で終わる」
千秋の声を聞いたのは、どれくらいぶりだろう。彼とこうして目を合わせるのは。
「連れて行け。そこへ、…早く」
窓のない部屋にも、大晦日は訪れる。
「坊ちゃんってのはどんな奴?」
ぐるりと渦を巻く螺旋階段を登る。
ふさふさとした絨毯のような踏み心地に、無意識に心も弾むようだ。
「どうして私に聞くの?」
カレンの小さな後ろ姿は、この城によく似合い、何より頼もしい。
「君は…えっと、俺も君をお嬢様って呼ぶべき?」
カレンは階段を踏みつけて怒った。
「子供だからってからかってるの?普通に、カレンって呼んでよ」
「じゃあ…、カレンちゃんは、このパーティーに何度も来てるみたいだし。さっきの様子だと…」
上から降りてきた貴族に声をかけられる。
「ああ、どうも。そう、俺VIP席みたいです!やった!はは…」
それが通り過ぎると、カレンは呆れた顔で俺を見た。
「愛想がいいこと」
「まだ子供扱いしたこと怒ってる?」
「別に。またカードを貰ったのね」
カードは、相手の名前が書かれていて、黄色、緑、ピンクの三色の種類がある。どれも決まった形で、《高砂颯喜様》とご丁寧に俺の名前まで書いてある。
「あ、そう、今の人また変な名刺みたいなのくれたんだけど…。
これって何?
俺がホールでこのカードを押し付けられて困ってた時も、あの場を仕切って助けてくれたよね」
カレンはまた階段を歩き進める。
「助けた覚えはないわ」
「そっかそっか。でもさ、君は相当すごい子だよね」
俺も貰ったカードをしまい、後に続く。
階段を照らすのは揺れる壁にかかった蝋燭だけだ。
「私はすごくなんか…
ただ子供だからちやほやされてるだけで…
特別価値がある人間でもないし、代表との関わりも浅いの。
だからあなに彼のことを教えるほど知識はない。残念だけど」
ようやく階段が途切れた。行きついたのは、人気のない長い廊下だ。
カレンは少し恐ろしくも感じる終わりのない廊下に、躊躇いなく歩いていく。
「それでも、俺よりは詳しいはずだろ?
これから坊ちゃんに会わないといけないんだったら、なんでもいい、
情報が欲しいんだ。
お呼ばれしといてあんたはどちら様ですかーなんて、いくら俺でも気が引ける」
「でもまさか、直々に招待されたあなたが、千秋様のこと何も知らないってこと…」
何も知らないどころか、招待状を売ったので坊ちゃんの機嫌を大いに損ねているのは確実、
とはカレンには口が裂けても言えない。
「それが実は、そうなんだけど」
廊下にはいくつも扉があり、無限に続く。
「ひっ」
途中、絵画や彫刻に出会い、少しビクつく。
「情けないわね」
「よく言われます〜」
カレンはスタスタと闇を歩く。
「ちょ、待って待って!」
カレンは顎に手を当てて考えながら話した。
「…松門寺千秋様のことね…
私が知ってるのは世間の大抵の人が知ってることだけよ。以前は素性を隠してモデル、俳優、文筆、音楽まで幅広く活動してたけど…、
数年前から芸能活動を休止して企業経営に専念してるの」
「なるほど、全てを持って生まれた天才か」
「それに彼は慈善活動も積極的に支援していて、国内外の貧困層や難民が経済的に自立できるよう手助けしてる。
性格も温厚で寛容で、天使みたいに純粋な方なの。
だけどこのパーティーでは滅多に姿を見せなくて、お話しする機会もほとんどない。
今もいらっしゃるかどうかわからないくらい、彼は多忙だから。
ご挨拶だけでもできたら幸運よ」
カレンはついに一つの扉の前で立ち止まった。
「じゃあ俺は沈められることはないか…。温厚で天使みたいなんだったら問題ないよな。助かったよ…」
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