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リムジンは居心地が悪かった。
椅子はホテルのロビーの腰掛けよりもふかふかしてるし、横揺れもなければテーブルにはアロマキャンドルまで置いてあって、窓はレースのカーテンで中が見えないようになっている。
そんな完璧な空間でも、彫刻みたいな顔立ちの男と、筋肉が体内組成の100%を越えそうな男たちが俺を具にサンドウィッチしているので全く寛げない。
「あの、どこへ行くんでしょう…か?」
リムジンは走る。
竹内は俺の質問を聞いていない。
「都内の大学へ通学なさっているんですね。
学費や生活費はご自分で?」
「え、あー、まあ…親とは色々あって疎遠になってるので…」
「そうでしたか。…お気の毒に」
竹内は目を伏せた。
「ご両親は今、お元気でしょうか」
「何故…聞くんですか?」
親まで追いかけてやるぞという脅しか?
俺が言うと、竹内は黙ってしまった。
外はまだ雪景色だ。
しばらくして、竹内は突然堅く結んだ口を開いた。
「颯喜様」
「はいっ!?」
裏返る声にも目を揺らがせず、
竹内は淡々と話し始める。
「あなた様は、松門寺家の招待状をインターネット上でお売りになったと伺いました」
「…!」
息の根が止まるとはこのことだ。
いや、それは死ぬってことだけどつまり、
死んだと思った、ってことだ。
若い紳士の手には、さっきコンビニのポストに投げ入れたはずの封筒があった。
「そ、それ、なんで」
「何故、とは、どのようにしてこれを入手したか、ということでしょうか?」
「まぁ、はい…」
竹内は封筒を俺の前に置いた。
俺は噴き出る汗をそのままに頷いた。
「少しばかり強引な手段ではありました。
しかしながら、坊ちゃんの御命令とあらば…これしきのこと。大した仕事ではございません」
艶髪の紳士は眼鏡をくいと上げた。
坊ちゃんというのは、浦の言っていた松門寺千秋のことか。
「私共はただ、颯喜様がこのように坊ちゃんから距離を置こうとなさっている事実に対し、僭越ながら疑問を持たざるを得ないのでございます」
リムジンは一つも揺れず、音も立てず、ただどこかを走っている。レースのカーテンの向こうに見えるのは、はらはらと落ちる雪だけだった。
テーブルの上にはシャンパンの入ったグラス。
今日の食事が2020年最後の晩餐ではなく、人生最後の晩餐になるとは…
俺も、なぜこんなことをしでかしてしまったのか甚だ疑問だ。素直にパーティーでもなんでも行けばよかったのだろうに。
「お聞かせください。
この招待状が、貴方様にどのような苦痛を与えるものであったのか…、何の利益もなく、このように自らの手を焼いてまで招待状を引き払った理由が知りたいのです」
これは最後の尋問か?
「利益は十分あったんですが…」
竹内は首を傾げた。
ああ、そうか、この人達にとって300万など利益とは言わないのか。
それでは説明のしようがない。
「…つまり、我々のパーティーへ出向かないことが、それほどまでに喜ばしいことだったということでしょう。
耳の痛いお言葉…、坊ちゃんに何とお聞かせすれば良いか。全て私の責任です。」
竹内の言うことはよく理解できない。
しかし、どうやら俺を沈めるような形相はしていないことに気づいた。
転売に関して機嫌を損ねていないというなら、なぜ俺にそこまで構うのだろうか。
「これまでの無礼をお許しください」
竹内は無数の女子高生を悶えさせる甘美な眼差しで訴えてくる。
「それから颯喜様、どうか考え直してはいただけないでしょうか。」
竹内は再び何かを取り出した。
「これは…?」
一つは二つ折りの紙切れ、もう一つは小さな四角い箱。
「沢山のご迷惑をおかけしたお詫びでございます」
二つ折りの紙切れは、輝くカードを挟んでいた。
「この金のカードは?」
「こちらは当家が運営する金融機関が発行しているプリペイドカードです。これは特別な会員専用のゴールドカードで、残高がなくなれば自動で入金され、金額に制限なくお使いいただけます」
「え、え?それってつまり」
「半永久的に颯喜様のお買い物は全て当家が負担することをお約束いたします。学費や生活費、その他必要な費用について、お申し付けくださればその都度颯喜様のご要望に応じてご用意させていただきます。後ほど契約書及び誓約書に同意し署名していただければ、返済は一切必要ございません。何かご不明な点は?」
「全体的に意味がわからないんですが…」
「坊ちゃんから高砂颯喜様の経済支援をしろとの命を受け、考え得る限りの支援を提案した次第でございます」
こんな風に貢がれるような徳を積んだ覚えはない、むしろ損害賠償を払う気でいた。
「…俺は坊ちゃんの命の恩人か何かですか?
もしかして松門寺は俺と血の繋がりがあるとか!俺ってまさか松門寺家の隠し子だったりー」
「いけません」
竹内は俺の口を塞ぎ、俺の耳に手を添えて耳打ちした。
「坊ちゃんのプロフィールは極秘でございます。必要以上に詮索したり情報を漏洩すれば、たとえ身内でも消されます」
「消…っ!?」
竹内は続けて恐ろしいことを囁く。
「特に家族構成に関してはトップシークレット。噂には松門寺一家抹殺を企む連中がいるとかいないとか…。むやみに隠し子などと発言されれば、身の安全は保障できません」
ブルブルと震える俺を見て満足したのか、
竹内はまたアナウンサーの如く話し始める。
「さて、もう一つは使い方の説明が必要でしょう。
箱の中にはこのようにマイクロチップがございますので、こちらを身体のお好きなところに装着してください。当家の所有するすべての施設をご利用になる際、特別優待室へ入るためのマスターキーとして使うことができます」
「はぁ、なるほど…?」
「お付け致しましょうか」
「え、ええ?」
「失礼」
竹内は、マイクロチップと呼ばれた小さな物体を俺の手首にくっつけた。
「あ、あのこれ、ちゃんと剥がせますよね?」
竹内は頷き、手を挙げた。
そこで突然リムジンが止まる。
「実際にお使いになってはいかがですか」
ドアが開いた。
リムジンから降りると、そこには楽園があった–
…
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