宝石の学園

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「おい、いるか」 「…」 「おいガキ」 「…」 声は聞こえなかったが、ある個室から微かな甘い香りがした。 鍵のかかった扉をノックする。 やはり返事はない。 「寝てるのか」 耳を扉に当てると、小さな音がする。 何があったのかは予想がつく。 「…話をしたい。このままでいい、聞いてくれ。 ノア・ミシュカは竹内が追っているところだ。 奴が周りに噂をばらまいたりしないうちに手は打つ。今後も、お前が人間だということは隠し通さなければならなくなった。 つまり、計画は危険度を増した…」 突然扉が開いた。 「な…っ」 シーツを頭から被って、ぐしゃぐしゃになった髪の毛と腫れた目を伏せた高砂颯喜が床へ崩れ落ちた。 地面へ頭を打ち付ける直前に、千秋はその体を支えた。 顔を覗き込むと、颯喜はひとしきり涙を流し切った後のようで涙の跡がうっすらと浮かんでいる。 「見んなよクソが」 目の端からは未だに栓が抜けたように雫が滲んでいた。 ボロボロの姿でも悪態をつく颯喜に、何故か腹が立っていた。 「何故早く助けを呼ばなかった」 「そんな余裕もなく身ぐるみを剥がれた 声も出なかった、手も足も出なかった」 「…」 その枯れた姿は、かつての恋人に重なった。 自分がどんなに無力で、意味のない人間だったのかをわからせられた。 涙を拭おうとする手さえ振り解かれる。 颯喜は意地でも千秋と目を合わせなかった。 苛立ちを無理やりに押さえ込んで、千秋は颯喜をベッドへ座らせた。 「こういった事件は過去に幾度もあった。人間が襲われ、最悪死に至る事件が。 …怖かっただろう」 痛かっただろう、悔しかっただろう、 …辛かっただろう、一人で。 私がついていれば。 そう思うのはこれで何度目だろう。 何故人間が脆いことを忘れてしまうのだろう。 「…お前を責めたかったわけではない。私は約束通りお前の体を守れなかったことに、危険を察知できなかったことに苛立った。 怒鳴って悪かった。私が悪かった」 「俺が人間って知られたらこうなること、 気づいてたよな」 颯喜は言った。 もうどんな言い訳をしても、嘘を言えば颯喜が目を合わさなくなることは分かっていた。 「ああ…外黎亜目にとって人間は欲求を掻き立てるものだ。人間を襲い食うことで、食欲や性欲は一度に発散できる。お前からする甘い匂いと、その血と肉でできた生の人間の体は外黎亜目が憧れる理想の姿だ。動物に変わることのない、儚いが実体としてそこにあるその体が」 「…」 颯喜はシーツに体を包んだまま膝を抱え、 肩の切り傷だけ見せるようにシーツをどけた。 「お前もそう思うのか」 千秋は今まで、何度か颯喜の血を見てきた。 しかしノアのように欲望をむき出しにして襲いかかったりしなかった。 「竹内はそうなんだろうと思う時もある。 でもお前は、まるで血そのものに興味を示さない」 「…そうだな」 私はいつも血を求めている。 人間の体も、匂いも、全てを欲している。 それを抑えて隠しているだけで、 お前が近くにいるだけで心拍数は上がり 体が熱を出したようになる。 それでもその欲望をぶつけることはない… 「…っ」 甘い蜜を吸ったようだった。 赤い液体が唇に触れ、頭の中に火花が散るように舌から刺激が走った。 「は…」 何をしていた…? 「…離せよ」 目の前にシーツと、汗ばんだ颯喜の肩と血が溢れた傷口があった。押し倒していた。 相手以上に自分自身が驚いていた。 何故今更、人間の血なんてものにこれほど惹かれているんだ。 「私は…何を」 颯喜を置いて仮眠室から逃げ出した。 ふらつく足で扉を開け、廊下へ出た途端に人混みの中に揉まれた。 「松門寺千秋だ!」 「どけろ、くっつくんじゃない!」 「千秋様!」 男女入り混じった野次馬。 手を掴まれ腕を引かれ、抱きつかれ。 忘れていた。 ここは私の故郷だった。
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