ばいばい、さんたまりあ

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 古本屋に足を踏み入れるのは、ほぼ初めてである。  カラン、  と鳴ったベルにどぎまぎしながら、穂高は敷居を跨いだ。紙の匂いがする、としか言い様がなかった。そう、図書館の匂いに似ている。  活字を読むのが嫌いというわけではないが、そもそも穂高には読書の習慣がなかった。学校を卒業した後は、野球理論やスポーツ科学の書籍をいくらか読んだぐらいだ。  ただ、彼と出会ってからさすがに色々と読むようになった。物理や力学関連の読み物を借りたり、彼と共に本屋に行って選んだこともある。(誰かと一緒に本屋に行くという経験も、ほとんど初めてではあった。)おかげでそれ以降は本屋や図書館に行くことも増えた。地図や地形図、星図は眺めるだけでも楽しい。  だが、さすがに古本屋まではなかなか。  地元は古都ではあるが学生街でもある。いわゆる新古書店ではない、昔ながらの古本屋もそこここに残っていて、しかも店によって得意分野というか専門が違うようで、門外漢の穂高にはまるで分からない。  猫に釣られて入ったその店は、日本史や郷土史に重点を置いているのか、本棚にずらりと並んだ背表紙は奈良時代から近代に至るまで、都の成り立ちや京阪、京滋、琵琶湖疏水等の文字が見て取れた。古地図や洛中洛外図などもあるようだ。  穂高がその時代も幅も様々な書籍の物量と、そこに詰まっているだろう情報量に圧倒されていると、足に軽い衝撃を感じる。見下ろせば、銀色の猫が首筋を穂高の足に擦りつけている。  おっ、と少し屈んで猫に触れようとすると、彼女(正確に云うと性別は不明だが、穂高は便宜的にメスと判断した)はまたひらりと身を躱してしまう。  穂高としてはとりわけ動物が好きということもないのだが、その猫は気になった。毛並みが彼の髪に似ていたから。
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