序章 墜ちる星

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「――おいおい、いつまで逃げてるつもりだぁ?」  彼女の数メートル後方で、ドスの利いた男の声が響いた。  まるで狩りを楽しむかのように声が弾んでいる。  女へと迫る男は、袖なしで上質な毛皮の付いたファー付ダウンベストのみを上に着て、前のファスナーは開いている。鍛え抜かれた剥き出しの筋肉が目立ち、下には黒のダメージジーンズをはいていた。  短い茶髪を逆立て、色黒で右目に眼帯をしており、厳つい悪人面に獰猛な笑みを浮かべている。  特質すべきは、彼の全身をまだら模様の黒い(あざ)が覆い、まるで雲の流れるように肌表面を這ってゆっくり移動していることだ。  それはまるで生き物のようであり、どこかおぞましい。  女は走るスピードを緩めることなく、血まみれの左手で腰のポーチから数枚の紙を取り出す。  それは、面妖な文字――いわゆる梵字(ぼんじ)が羅列された呪符。 「……浄化の(ほむら)よ、悪鬼をひとしく焼き(はら)え、諸余怨敵(しょよおんてき)皆悉嶊滅(かいしつさいめつ)――」  呪符に刻まれた梵字が赤く輝き出す。  ステップを踏み、わずかに跳び上がると宙で体をひねって半回転し、背後を向く。  そして、呪符を追手へ向けて投げ放った。 「――急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)っ!」 「ふんっ、火術(かじゅつ)程度で!」  男は吐き捨て両腕を目の前で交差させる。  すると腕へと一斉に痣が集まり、両腕が漆黒に染まった。  次の瞬間、彼の目前まで迫っていた呪符が次々に燃え始め加速度的に肥大化する。  それは直径三メートルはあるかというほどの炎球となり、熱風が男もろとも周囲の草木を焼いた。  おそらく遠くから見ても、山火事だと認識されるほどの規模。  しかし――
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