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「義姉上……?」
「……お姉様? どうして、ここに……?」
ウォーレスが玉座の間に二人を呼び出すと、彼らは揃って困惑の表情を浮かべていた。
ノヴェロ国にいるはずのラティーシャがこの場にいることが、不思議でたまらないのだろう。
そんな間抜け面を晒す二人が滑稽で、笑いを噛み殺すことなどできそうにもなかった。
「……お久しぶりね、二人共。元気そうで、何よりだわ」
にこやかに話しかけながら、ドレスの隠しポケットから短剣をすらりと抜き放ったラティーシャの姿を目の当たりにした途端、彼らの表情が一気に強張った。
「お、お姉様……何を……」
うろたえつつも問いかけるクラウディアを、マリウスが背に庇って立つ。
その様に一層笑みを深め、短剣を両手で握り締めて素早く彼との距離を詰めた。
過剰な復讐心が、そうさせたのだろうか。
自分でも驚くほどに身体が軽く、ドレスを身に纏っているとは思えないほどに速く動けたのだ。
まずは、マリウスの腹部を突き刺した。
すると、彼は苦悶の声を上げ、端正な顔立ちが台無しになるほど痛みに顔を歪めた。
クラウディアは、呆気ないほど早く甲高い悲鳴を上げた。
しかし、ウォーレスがあらかじめ人払いをしていたし、王都の方で類稀なる事件が発生しているのだ。
どれだけ妹が叫ぼうとも、しばらくは誰も駆けつけてこないだろう。
マリウスの腹部から短剣を引き抜くと、今度は彼の腕を切りつけた。
マリウスには、想像を絶する苦しみを味わってもらわなければならないのだ。
すぐに死なれては困るため、刃を深く突き立てない。
その代わり、幾度も幾度もあらゆる部位に刃を食い込ませていく。
彼は、妹の前から逃げようとしなかった。
全身を傷つけられようとも、妹を守るように己の身体を盾にしていた。
その光景がまた、内で暴れ狂っている憎しみの炎に油を注いだ。
でも、どれだけ気丈に耐えようとも、いつかは肉体の限界が訪れるものだ。
足を傷つければ、ようやく彼は体勢を崩して床に膝をついた。
その隙を見逃さず、ラティーシャはマリウスの肩を蹴り倒し、仰向けに倒れ込んだ彼の胴に馬乗りになった。
そして、先刻の続きとばかりに、哄笑を浴びせつつ何度も短剣を握り締めた手を振り下ろした。
「お願い、お姉様……!! それ以上はやめて!! そのままでは、マリウスが死んでしまうわ!!」
「……だったら、何なのよ?」
一旦動きを止め、ゆっくりとクラウディアの顔を見上げる。
返り血を浴びたラティーシャと目が合った妹は怖気づいたのか、青ざめた顔で一歩後ずさった。
「この男はね、わたくしの子供を殺したのよ? ああ、もしかしたら、わたくし諸共殺そうとしたのかもしれないわね。打ちどころが悪ければ、あの時わたくしも死んでいたかもしれないものね?」
「え――」
「――だから、その報いを受けてもらおうと思ったのよ!! それの何がいけないのよ!? あんたのね、いつもいつも綺麗事ばかり並べるそういうところが、昔っから大っ嫌いだったのよ!!」
憎しみに突き動かされるままに、またマリウスの身体に刃を降り下ろす。
肩を、喉笛を、目を、胸を、刃で突き刺していく。
びしゃり、びしゃりと、彼の鮮血が辺りを穢していく。
その凄惨たる光景に悲鳴を上げることさえできなくなったのか、力なく床の上に座り込んだ妹は、異様なほど大きく目を見開き、変わり果てた夫の姿に震えていた。
ラティーシャはマリウスの身体から退いて立ち上がると、彼の身体を反転させ、うつ伏せにさせた。
別に、クラウディアに醜い肉塊を見せないためだとか、親切心で動いたわけではない。
ただ、ラティーシャ自身が、見るに堪えないおぞましい物体を視界に入れたくなかったのだ。
そう、この肉の塊はもうマリウスではない。
かつて、彼だったものに過ぎない。
こんな男をかつての自分は本気で愛していたのかと思えば、あまりにも馬鹿馬鹿しくて、笑いを通り越して冷静さが戻ってくる。
刃が血で濡れていたが、どうせドレスも返り血で汚れているのだからと、拭うこともせずに元の場所に戻した。
「……クラウディア」
ラティーシャが呼びかけた途端、妹の華奢な肩がびくりと跳ね上がった。
おそるおそるこちらを見上げたクラウディアの心に深く刻まれるよう、意識してゆっくりと言葉を発する。
「わたくしは、決してお前を許さない。わたくしね、考えたのよ。マリウスも憎いし、お前たちの娘も憎いけれど、誰に一番苦しんで欲しいのかって」
緩やかに唇を弧の形に描き、にっと笑いかける。
「――なあんにも知らなかった、お前よ。クラウディア」
「あ……わ、私……」
無知で無邪気で、いつもみんなから愛されていた妹。
ラティーシャから、何もかも奪っていった妹。
何も知らないということがどれだけ罪深いのか、その身を以て思い知るがいい。
「だからね、クラウディア。お前のことは、すぐには殺してやらないわ? お前には、生き地獄を味わってもらわなければ、こっちの気が済まないの。夫が惨殺されただけで、そんなにも怯えるのだものねぇ……。娘の生首を持ってきて、目の前にぶら下げたら、どんな反応をするのかしらね?」
「や……やめてええ!!」
咄嗟に立ち上がったクラウディアがこちらに駆け寄り、ラティーシャの胸に縋りついてくる。
「私のことが一番憎いんでしょう!? だったら、私を殺して!! あの子は何も悪くない!! 悪くないの!! あの子は、今でも充分苦しんでいるんだから!! だから、だから……!!」
「――あの子は、今でも充分苦しんでいる……?」
クラウディアの言葉を反芻して軽く首を傾げれば、妹は目を見張ってひゅっと息を呑んだ。
クラウディアの叫びとその反応だけで、充分だった。
乾いた笑みを漏らし、妹の目を覗き込む。
「お前……自分の子供が取り換えっ子されていたこと、気づいていたのね?」
ラティーシャが確認の言葉を吐けば、クラウディアは視線を彷徨わせた。
「あ……」
その滑稽な様に、声を立てて嘲笑う。
「ほんっとうに、夫婦揃って何やっているのかしらねぇ? 娘が可愛くて取り換えっ子したくせに、自分たちの都合の悪い存在になったらさっさと切り捨てて、いなかったことにしたんだものねぇ?」
「ちがっ……! 私は……!!」
「自分と夫は違うって? お前たちの間にどんなやり取りがあったのかは知らないけれど、何事も結果が全てなのよ? お前たちの娘が真実を知ったら……どんな顔をするのかしらねぇ? お前たちのことを憎むのかしら?」
鼻で笑い飛ばし、とんっと妹の肩を軽く押す。
それだけで、全身の力が抜けていたクラウディアはよろめき、床に尻もちをついた。
「待っていてね、クラウディア。お前の娘を絶対に殺してやるから。そうしたら、娘の生首を持ってきてお前に見せてあげる。そして、次はお前の番よ」
そう吐き捨てるなり、妹に背を向けて歩き出す。
そろそろ、誰かにこの現場を目撃されるかもしれない。
その前に、隠し通路で身を隠しながらこの城から脱出しなければならない。
ウォーレスの脇を通り過ぎると、彼が笑みを零す気配がして振り返る。
「……何かしら?」
「いや? ただ、女の嫉妬と復讐心は恐ろしいものだと、実感しただけだ」
本当に、相変わらず食えない男だ。
だが、今はウォーレスに構っている暇はない。
靴音を高く響かせつつ、血塗られた玉座の間から隠し通路へと身を滑り込ませた。
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