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(そう……そうよ……。そこまでは、上手くいったのよ……)
ふっと意識が現実に引き戻され、濁った思考の中、過去を振り返っていく。
その後、雇った暗殺者によって予定通りに連れられてきたアリシアを保護した。
アリシアはウォーレスから粗方己の真の境遇を聞かされていたらしく、ディアナへの憎しみを募らせていた。
そんなアリシアの姿が自分と重なり、ラティーシャは女でも人を殺せる術を教えたのだ。
アリシアは物分かりが悪いなりにも、懸命に食らいついてきた。
自分に娘がいたらこんな感じだったのだろうかと、柄にもなく考えたものだ。
そして、計画をさらに推し進めて幾度もディアナの命を狙ったにも関わらず、毎回空振りに終わった。
それどころか、場合によってはこちら側の人員から死者が出る始末だった。
ディアナが獣人であり、暗殺の技術を磨いてきた少女だからなのかと考えていたが、まさか内部で裏切りが起きていたとは、夢にも思っていなかった。
(本当に、わたくしは詰めが甘いのね……)
今までずっとそのことを認めてこなかったが、こうして記憶を辿ってみると、やはりそうなのだろうと納得するしかない。
もしも、自分自身の感情に振り回されないだけの落ち着きが備わっていたら、こんなことにはならなかったのだろうか。
己の望み通りの結末を手に入れられたのだろうか。
(いいえ……もしも、なんて考えるだけ無駄ね……)
クラウディアにも言ったではないか。
何事も結果が全てなのだと。
まさか、その言葉が自分に返ってくるとは、皮肉なものだ。
次第に目の前が暗くなっていき、視界から光が失われていく。
身を刀身に貫かれてから、どれほどの時間が経ったのだろう。
おそらく五分にも満たないほどの時間しか経っていないのだろうが、ラティーシャにとっては死に至るまでの時間が永遠にも近く感じられた。
人間とは、意外としぶとい生き物だと聞いたことがあるが、あれはどうやら当たっていたみたいだ。
(わたくし、何一つ自分の人生に満足できなかったわね……)
一体、どこから間違えてしまったのだろう。
どこからなら、やり直せたのだろうか。
もし、もしも妥協を覚えられたのなら、違う未来があったのだろうか。
「――ラティーシャ」
意識が途絶えそうになった寸前、低く深みのある声が耳朶を打った。
もう、目の前は真っ黒に染まって何も見えない。
だから、まだ辛うじて機能を果たしている聴覚に、全神経を傾ける。
「殺しておきながら、こんなことを言うなんざ、ふざけた話かもしれねぇが……俺は、あんたのことが好きだったよ」
知っている。
だからこそ、ラティーシャはサイラスを利用してきたのだから。
今さら何を言い出すのかと思っていると、この場に不似合いなほど優しい声が鼓膜に染み込んでいく。
「あんたはずっと、形を間違え続けちまったけど……自分が幸せになるための努力を惜しまないで、自分の足で立ち続けるところが、好きだったよ」
彼の告白を耳にした途端、ある感情が心にすとんと落ちてきた。
その感情の名は、安堵だった。
(そう……全て間違いでしかなかったわけではなかったのね……)
最後の最後に救われた気持ちになるなんて、おかしな話だ。
しかも、相手は自分を刺し貫いた男だというのに、人生とは本当に何が起こるか分からない。
最後の力を振り絞り、今にも使い物にならなくなりそうな喉から声を押し出す。
「……ねえ、サイ、ラス……。貴方、に、最後の、お願、いが、ある、の……」
途切れ途切れに言葉を紡ぐラティーシャに、サイラスは何も答えない。
しかし、続きを促されているように感じ、自然と口元に淡い微笑みが浮かんだ。
「わた、くしの、こと……忘れ、ないで、ね……。なる、べく、長生き、して、少し、でも、長い……時間、わたく、しの、ことを、覚え、て、い、て……」
こんなにも愚かしい女を好きになってしまった、愚かな男なのだ。
たとえ、こちらから願わずとも叶えてくれそうな気がしたが、きちんと言葉にして伝えておきたかった。
ラティーシャという女が、この世にいたのだと。
ただ、幸せになりたかっただけなのだと。
そのために復讐に身をやつし、挙句の果てに内部からの裏切りに遭い、殺されてしまったが、それでもこの復讐に全くの意味がなかったわけではないのだと。
覚えていて欲しい。
サイラスのことを愛していたわけではないが、確かに彼の言葉で救われたのだ。
だから、他の誰でもない、サイラスに自分のことを覚えていて欲しかった。
そして、できることならば、その時間が長ければいいと思った。
「――ああ、叶えてやるよ。何せ、惚れた女からの最期の我儘だからな」
「よかっ、た……」
その返事が聞けたなら、もう心残りはない。
もし死後の世界があったとして、自分が辿り着く先が、地獄なのか天国なのか、そんなものは明白だ。
でも、最期にこんなにも救われた気持ちになれたのだから、死後の世界がどんな場所であれ、きっと同じ気持ちでいられるだろう。
一際大きな鼓動を感じた直後、ラティーシャは微笑みを浮かべたまま、目を閉じた。
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