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「ね? あんたさえいなければ、私は無自覚に犯罪に手を染めなくて済んだのよ? ねえ、本当にどうして、あんたはこの世に産まれてきたの? あんたの所為で苦しんだ人は私だけじゃなくて、たくさんいるのよ? ――あんたなんて、産まれてこなければよかったのに」
――産まれてこなければよかったのに。
口にこそ出さなかったが、伯母であるラティーシャもそう思ったのだろう。
しかし同時に、どうして自分ばかりがここまで責められなければならないのかと、不思議でたまらなかった。
確かに、ディアナの存在が誰かの人生を歪めてしまったこともあっただろう。
でも、中にはその気になれば変えられたのではないかと思う運命も、いくつもあるように感じられた。
ディアナを詰るのは、ただ単に自分自身が楽になりたいからではないのかと思う。
そう、いわば憎しみの捌け口としているだけなのだ。
代々、獣人たちがサクリフィスにそうしてきたように。
そう考えると、ラティーシャもアリシアも、滑稽に見えて仕方がなかった。
二人共、獣人を疎むような素振りを見せておきながら、その実、本質は誰よりも獣人と似ている気がしてならない。
「……言いたいことは、それだけですか」
「え?」
「言いたいことはそれだけですかって、訊いたんです」
強い語調でもう一度繰り返せば、こちらの気迫に圧(お)されたかのように、アリシアが僅かにたじろぐ。
沈黙は肯定と勝手に解釈し、言葉を継ぐ。
「それで? 貴女は私を殺すつもりなんですか? 殺したら、その後はどうするつもりなんです?」
「どうするつもりって……そんなの――」
「――まさか、エインズワース家に戻るつもりなんて、おっしゃいませんよね? エインズワース家はとっくに滅んでいるんですから、もう貴女が戻れる場所はお城にしかありませんよ」
「――ウォーレスのお屋敷で暮らすのよ!! 貴女が今までお世話になって、のうのうとお嬢様として生きていたその場所で、私はやり直すの!! 今度は、私があんたになってやるんだから!!」
「……お嬢様として?」
「そうよ! 大っ嫌いな政治のお勉強からも、フォルスを操る訓練からも、私を馬鹿だ無能だと笑う連中の白い目からも解放されて、ただの貴族の娘になるの!! サクリフィスなんかにも女王なんかにもならなくていい、お嬢様になりたいの!!」
アリシアと問答を繰り返していくうちに、だんだんと話が見えてきた。
きっと、ウォーレスは彼女に嘘の情報も吹聴したのだろう。
どんな思惑があったのか知らないが、とにかくアリシアがディアナを妬むように仕向けたのだ。
一体どんな夢物語を聞かせたのか、呆れて物も言えない。
一つ溜息を吐き、改めて口を開く。
「……私、ウォーレスのお屋敷でお嬢様なんかやっていませんよ?」
「え……」
「私がやっていたことは、人殺しです」
にっこりと微笑んで己の所業を告げれば、アリシアは薄く口を開いたまま、茫然と立ち尽くした。
そんな彼女に畳みかけるかのごとく、自分の素姓を打ち明けていく。
「私、獣人になった後は、人買いに売られたんです。当時は記憶喪失だったものですから、ひどく混乱してそこで人を殺してしまったんです。たくさんの人たちに化け物と罵られて、危うく私も殺されるところでした」
アリシアの目は大きく見開かれ、薄いブルーの瞳の奥が揺らめいている。
「そうしたら、私の人殺しの才能を見込んだウォーレスに拾われたんです。それからは、ひたすら暗殺の技術と戦い方を仕込まれました。それが終われば、あとは人を殺すだけの毎日が待っていました。国家を脅かしかねない悪の芽を摘み取って、王族を陰ながらお守りするのが私の仕事でした」
呆けたまま突っ立っている彼女の耳に届いているか、よく分からなかったものの、とりあえず抑揚の少ない口調で自身の境遇を振り返っていく。
「でも、その仕事を普通の感覚のまま続けていたら、きっととっくに私の心は壊れていたでしょうね。だから私、自分の感情も殺すことにしたんです。他人に同情して自分が危ない目に遭わないようにするために。自分が必要以上に傷つかなくて済むように。……そんな人生を送っていたら、ある日、貴女の侍女としてノヴェロに同行しろと、ウォーレスに命令されました」
一通り語り終わったところで、一旦口を噤んでアリシアの様子を観察する。
彼女は激しく動揺し、迷子みたいに視線を右往左往に彷徨わせていた。
「う……嘘よ!! ウォーレスはそんなこと、一言も言っていなかったもの!!」
「姫。それが真実なのか、ちゃんと確かめたんですか? 私がお嬢様をやっていたとしたら、一回くらいは社交の場で私を見かけたことがあるんじゃないですか? そんなこと、あったんですか?」
ディアナの質問に、アリシアがぐっと押し黙る。
必死に言い返そうとしているものの、一向に反論の言葉が出てこない様子の彼女に、もう一度溜息を吐く。
「……私の話を信じようが信じまいが、貴女の自由です。ですが、少なくともこれが私にとっての真実なんです」
アリシアの目をじっと見据え、皮肉を込めて笑った。
「……よかったですね? 私と取り換えっ子されていて。もしかしたら、これが姫の人生になっていたかもしれませんよ?」
「そ、そんな……でも、だって……」
彼女の意味を成さない言葉に、すっと目を眇める。
「不幸自慢なんて、さらさらするつもりはありませんけど……みんな多かれ少なかれ、不満を抱えて生きているものだと思いますよ? さっきから大人しく話を聞いていれば、貴女は私を羨み妬むようなことばかり言っていましたけど……それって、国を巻き込んでまで叶えたい願いだったんですか?」
「え……」
「まさか、そこまで考えていなかったとは言わせませんよ。姫、貴女一体、どれだけの人に迷惑をかけたと思っているんですか。貴女を捜索していた王立騎士団の人たちが、どれだけの労力を貴女のために割いていたと思っているんですか。本当の母親じゃなかったって分かりましたけど、女王陛下も貴女のことを心配していましたよ。もちろん、貴女の嫁ぎ先のノヴェロだって、たくさんの迷惑を被ったと思います。貴女、そこまでして何が許せないですか。それこそ、ふざけないでください」
矢継ぎ早に弾劾してくるディアナに、アリシアはじりじりと後ずさっていく。
アリシアの後ろに控えていたジゼルも、ぽかんと口を開けてこちらを凝視している。
「大体、こんな薄汚れた裏社会にいて、楽しかったんですか? こんなところに逃げ込むほど、王女としての役割から逃げたかったんですか? 王女としての立場を投げ捨てても構わないと思えるほどに、ここでの生活は価値があったんですか?」
「それ、は……」
後ずさっていたアリシアは足を止め、複雑な表情で俯いてしまった。
きっと、裏社会での生活は彼女が望んだものとはかけ離れていたのだろう。
「……姫。真実がどうあれ、みんなのバスカヴィル国第一王女は他でもない、貴女なんです。たとえ望まない立場だったとしても、貴女はもっとご自分の行動に責任を持ってください」
「な……何でそんなこと、あんたに言われなきゃ――」
「――貴女が王女としての義務を放棄していなかったら、私だってこんなことに口出ししませんでしたよ」
深く息を吐き出し、すっとアリシアに手を差し伸べる。
「な……何よ……」
「……私のことが憎くて仕方ないのは、無理もないと思います。実際、私は貴女から多くのものを奪ってしまったんでしょう。でも、そんな理由で殺されてあげるほど、私は自己犠牲的じゃありませんから」
自分がアリシアの立場に置かれたとして、絶対に相手を憎まないという保証はどこにもない。
だから、彼女の気持ちごと否定するような真似は、自分にはできない。
今の自分にできることは、きっとこれだけだと信じ、心に広がりそうになる複雑な想いを振り払い、決然と言い放った。
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