Chapter7. 『VENGER―ヴァンジェ―』

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Chapter7. 『VENGER―ヴァンジェ―』

クラウディアはいつも通り、自室でひっそりと過ごしていた。 アッサムのミルクティーを時折口に含みながら、本を読み進めていく。 雨の日は読書が捗るから本を読み始めたのだが、いつの間にか小雨から雷雨に変化しており、少々騒がしい。 だが、多少うるさくとも、自然の音ならば不快ではなかった。 そうやって実に優雅な一時を過ごしていると、不意に廊下から物々しい足音が聞こえてきた。 部屋の隅で控えていた侍女が、何事かと怪訝そうに眉根を寄せた直後、乱暴に扉が開かれた。 強引に室内に押し入ってきた侵入者に、クラウディアも侍女もさっと身構える。 彼らは皆、一様に銃器を手にしていたのだ。 しかも、男たちはノヴェロ国の騎士の制服を身に纏っていた。 そのことから、もしかしたらこの人たちは獣人なのかもしれないという予感が、脳裏を過る。 (何……? 暴動……? 彼らが獣人だとしたら、どうしてここに……?) 警備を担当している騎士たちは、一体何をしているのか。 それとも、既にこの目の前の者たちに負傷させられたか、あるいは殺害されたのか。 相手を下手に刺激しないように気をつけつつ、己を叱咤して震えそうになる声を絞り出す。 「……自分が今、何をしているのか、理解しているのかしら」 努めて平静を装って訊ねれば、一斉に銃口を向けられた。 「陛下……!!」 悲鳴を上げた侍女が自分の前に出ようとしたので、咄嗟に手で制する。 今、ここで自分より下の者を前に出すべきではない。 彼女を盾にしなければならないほど、まだ状況はそこまで絶望的ではないはずだ。 (問答無用に撃ってくるわけではないみたい……。どうやら、今すぐ私を殺したいわけではなさそうね) それでも、たった一度でも打つ手を間違えたら、迷わず発砲するだけの気迫は漂っている。 密かに深呼吸をして波打つ心を鎮め、毅然とした態度で言い放つ。 「――貴方たちの要求を、教えて頂ける?」 女王ならば、易々と屈しないで威厳を保つべきなのかもしれない。 しかし、体面を取り繕うことばかりに気を取られ、ここで相手の怒りを買って撃ち殺されてしまったら、それは名誉ある死ではなく、ただの犬死にだ。 向こうの目的を明らかにしなければ、死ぬに死ねない。 じっと侵入者たちを見据えていたクラウディアの耳に、この場に似つかわしくない優雅な足音が聞こえてきた。 その足音がこちらに近づくにつれ、人垣が割れていく。 開けられた道を悠然とした足取りで通ってきた男に、微かに眉間に皺を寄せる。 「……ウォーレス……。これは一体、何の真似かしら」 「ご機嫌麗しゅう、女王陛下。おや、これは珍しい。いつになく冷静ではありませんか。このような目に遭われたら、てっきり錯乱状態に陥るものだとばかり思っていましたが」 「前置きはいらないわ。もう一度、単刀直入に訊きます。――これは一体、何の真似かしら」 ウォーレスがこの場に登場した時点で、薄々察しはついたが、それでも一応問う。 ウォーレスがここに現れたということは、彼もこの一件に関わっているのだろう。 いや、その程度の話では済まないかもしれない。 周囲の対応から察するに、彼はこの中でかなり上の立場なのだろう。 そうなると、ただ関わっているだけではなく、主導している可能性だって考えられる。 隙を見せないように表情を硬くするクラウディアに、堪え切れなかったとでも言いたげにウォーレスが笑みを漏らした。 「……陛下、随分と顔つきが変わりましたね? まるで、本物の女王のようだ。もしかして、ディアナ辺りにでも女王らしい振る舞いを教わりましたかな?」 ウォーレスの問いかけに、沈黙を貫く。 彼の指摘通り、クラウディアがお茶の席に招待した折に、確かにディアナは何度か助言してくれた。 あくまでもさりげなくではあったが、それでも相手に隙を見せない方法だとか、交渉術だとか、とても少女が思いつくものとは考えられない、上に立つ者として必要な心得を聞かせてくれた。 おそらく、一度立場に見合っていない自分に自信が持てないと愚痴を零したことがあるから、礼節を欠かない程度に教授しようとしたのだろう。 一瞬、思考が現状とは関係ない方向に傾きかけたが、即座に意識を現実に引き戻す。 視線で答えを促せば、ウォーレスは笑みを噛み殺してから口を開いた。 「――この国のために、貴女には女王の座から降りて頂きたい」 実に端的な要求に、すっと目を細める。 (……なるほど。これは革命なのね) クラウディアからすれば侵略行為であり、反逆なのだが、向こうからすればそうに違いない。 ウォーレスが敵に回った以上、抵抗するだけ無駄だろう。 ずっと彼に政治の面で頼り切りだった自分に、現状を打開するだけの策を編み出せるはずがない。 そっと両手を上げ、抵抗の意思はないことを示す。 「――お望み通り、投降しましょう。でも、その代わり侍女は見逃して。彼女たちには、何の罪もないわ」 「陛下……」 「そんな、こんなのって……」 「お考え直しください、陛下……!!」 侍女たちの茫然とした声や悲痛な懇願が耳朶を打つが、決して彼女たちに振り向かなかった。 人の上に立つ者として、せめて下の者の命は守らなければならない。 息を詰めてウォーレスの動向を窺っていると、また新たな人物がクラウディアの私室に駆け込んできた。 (ノヴェロ王……?) ノヴェロ国王であるヴァルは、目にも留まらぬ速さで走ってきたというのに、息一つ乱さずにウォーレスを睨み据えた。 「……女王は、殺すな」 地を這うような低く淀んだ声音に、この場にいた誰もが凍りつく。 ウォーレスはこちらから目を逸らし、ゆっくりと振り返った。 「……急に、気でも変わられたか?」 「違う。俺は元々、そのつもりだった」 予想だにしていなかった展開に戸惑うクラウディアに構わず、二人は会話を続ける。 「ほう……? それは初耳ですな」 「口に出さなかっただけだ。……女王は塔にでも幽閉しておけ。まだ殺すな」 「ああ……そういうことでしたか、ご安心を。我々も、最初からこの場で女王を殺害するつもりはありませんでしたよ。まずは、どこかに幽閉するつもりでございましたので。その旨、きちんとお伝えしたと思っておりましたが……情報が錯綜しておりましたかな?」 「ああ、だから念を押しにきた」 ヴァルはそう言い捨てると、つかつかとこちらに歩み寄ってきた。 そして、クラウディアの腕を乱暴に掴む。 「――この国を混乱に陥れ、民を苦しめていた女王に代わり、これより俺がバスカヴィルの新たな王となることを、ここに誓う」 ヴァルは、決して大声を上げたわけではない。 それなのに、彼の宣言は朗々と部屋中に響き渡った。 そして、ヴァルがそう告げた直後、割れんばかりの喝采が上がった。 (彼が真の主導者だったの……? それとも、みんなに持ち上げられた……?) 先程のウォーレスとのやり取りを見た限りではどちらとも受け取れそうで、判断に迷う。 さらに、乱暴に見える動作で腕を掴まれたものの、クラウディアに痛い思いをさせないように配慮してくれているのか、掴んでくる手の力は大して強くなかった。 勢いよく腕を動かせば、容易く振り解けてしまうのではないかと思うほどだ。 混乱するクラウディアの耳元に、ふとヴァルが唇を寄せてきた。 「――お前を死なせはしない。だから、無駄な抵抗はせずに、大人しく塔に籠っていろ。時機を見計らって、逃がしてやる」 囁きは、ほんの一瞬の出来事だった。 彼はすぐにクラウディアの耳元から顔を離し、何事もなかったかのように男たちに向き直った。 「連れていけ」 短い命令を発すると、ヴァルはクラウディアを騎士に突き出した。 彼が現れたことにより、この侵入者たちの正体は、ほぼ間違いなく獣人だろうと確信する。 人間が、獣人が新たなバスカヴィル国王になることを、ここまで祝福するはずがない。 (……例外もいるようだけれど) ちらりとウォーレスを見遣れば、彼は新たな国王を険しい面持ちで観察していた。 どうやら、彼らは一枚岩ではないらしい。 (ノヴェロ王――いいえ、ヴァルの思惑とウォーレスの思惑は、別のところにあるみたいね……) その辺りは、今後も注意深く見定めていかなければならないのだろう。 (……アリシア……貴女は、どこにいるの?) この手で育て上げてきた娘は、未だに行方が掴めていない。 (ディアナ……貴女は、無事なの……?) そして、自分がこの世に産み落とした本当の娘の無事を祈り、ぎゅっと目を閉じた。
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