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昔々あるところに
悪い魔女がおりました。
魔法の腕は超一流
欲しいと思ったものはなんでも手に入りました。
しかし、好きになった人の心だけは手に入らないのでした。
「蒼の魔法士様、今日こそ私の愛を受け止めてくださいませ。」
「ふん、何度も言っているだろう。貴様の愛など私には何の役にもたたん。帰れ。」
ここは蒼の魔法士と言われる魔法使いの城
蒼の魔法士は魔法の腕は超一流。出来ないことなどありませんでした。
加えて蒼い瞳に若い美男子の姿とくれば、虜にならない女はおりませんでした。
それは悪の魔女も同じことです。
「何故ですの?私はあなた様に振り向いてもらうためにあらゆる努力をしましたわ。魔法の腕も必ずやあなたのお役に立てますし、このように美しい美貌も手に入れました。これ以上私に何が足りませんの?あなた様の愛を手に入れる為なら私なんでもいたしますわ。」
「私はお前に微塵も興味がない。私がお前に望むのは私の前から消えてくれることだけだ。わかったらさっさと帰れ。」
「わかりましたわ。しつこい女は嫌われますものね。今日のところは帰りますわ。でも私はいつかあなた様の心を手に入れて見せますわ」
魔女はほうきにまたがって蒼の城を後にしました。
「まだまだ女磨きが足りないってことかしらねえ。そうと決まったらこうしちゃいられないわ。帰ったらすぐに若い生娘の血を集めなければ」
蒼の魔法士にあれだけ言われても、魔女はちっともへこたれていませんでした。
いそいそと帰宅すると、魔女は入り口の扉が空いていることに気づきました。
「あら?鍵閉め忘れちゃったのかしら?」
魔女の家は森の奥深くにある小さな小屋です。
普段なら魔法をかけて誰も入ってこないように鍵をかけるのですが、どうやら今日はそれを忘れてしまったようです。
「まさか空巣が入ってたりしないでしょうね」
魔女がかすかに開いていた扉を開けると、家の床にみすぼらしい青年が倒れていました。
(空巣じゃなさそうだけど、人の家に勝手に入ってきて寝てるなんていい度胸じゃない)
魔女が杖をかかげた瞬間、青年は目を覚ますと起き上がって魔女の方を見つめました。
「す、すみません!!勝手に入っちゃって……。森で猪に追われてここに隠れたんです。すぐに出ていくつもりだったんですけど、疲れて寝ちゃったみたいで……。」
「はあ?」
魔女にとって青年が自分の家にいる理由などどうでもいいことでした。
それよりも青年が自分の姿を見て怯えないことに驚きました。
大抵の人間は魔女の特徴であるとがった耳と全身を包み隠すローブを見て、魔女を恐れて逃げようとします。
しかし目の前の青年には一切そんな気配はありませんでした。
「あんた、魔女を見たことないの?」
「えっ、あなた魔女なんですか?」
「そうよ、しかもとーっても悪い魔女よ。今すぐあなたを食べることだって出来るんだからね」
自分を恐れない人間がいることは悪の魔女にとって屈辱でした。
だからこうして脅せば青年が怯えて逃げ出すと思いました。
「すごいです!俺魔女なんて初めて見ました!」
「はあ?」
「そんなすごい魔女さんの家に勝手に入っちゃったんですね……。本当にすみません。」
「いや、そうじゃなくて、あんた私が怖くないの?今すぐあんたを豚に変えて食べることだって出来るのよ?」
「本当に悪い魔女さんならとっくに俺は豚になってますよね?だからあなたは悪い魔女さんじゃないと思います!」
それはあなたの反応が予想外すぎてタイミングを逃しただけなんだけど……と魔女はため息をつきました。
「もういいわ。豚にはしないからさっさと行きなさい。あんたを相手にしてると疲れるわ。」
「あの、そのことなんですけど……」
「うん?」
魔女が青年にしっしっと手を払うと、青年はもじもじしながら魔女を見つめる。
「実は俺、道に迷っちゃって……。ここがどこかもわからないしお金も尽きちゃって……。だからしばらくここに置いてください!俺に出来ることならなんでもします!」
「は、はあああああ!?!?」
魔女は今まで生きてきて一番驚いたんじゃないかと思いました。
魔女を怖がらないばかりか側にいようとする人間など、今まで見たことがなかったからです。
「魔法は使えないけど、力と家事には自信があります!勿論お給料なんていりません!だから俺をしばらくここに置いてください!」
「家事?」
魔女の心は少し動きました。
魔女は魔法の腕こそ一流ですが、大の面倒くさがりで炊事、洗濯、お掃除は全然やりたがりませんでした。
だから家の中はいつも荒れ放題。今も家の中は薬草や魔法道具で散らかっていました。
「そこまで言うなら、試させてもらうわ。まずは家の中を綺麗にしなさい。それから夕食を作りなさい。材料は壁にかかった皮袋に入っているわ。私はこれから寝るから起きるまでに全部終わらせなさい。出来なかったら追い出すからね」
「はい!俺、頑張ります!」
意気込む青年をよそに魔女はボロボロのベッドに入ります。
出来ようと出来まいと私にとってはどっちでもいいわ。出来なかったらあんなわけわからない奴と関わらなくてすむし、出来たらいい小間使いが手に入るだけ
そんなことを考えながら魔女は浅い睡眠につきました。
「魔女さん!起きてください。夕食が出来ましたよ。」
青年の声でパチッと目を覚めました。
魔女は起き上がって家の中を見渡して驚きました。
あれだけ散らかってた薬草や魔法道具は全て所定の位置にしまわれています。
そればかりか床には埃1つ落ちていなかった。
しかもテーブルの上には暖かいスープに焼きたてのパン、あつあつのステーキ。
青年の仕事ぶりはこれ以上ないほどでした。
「ど、どうですか?お役に立てますか?」
「そうね。これが美味しかったら置いてやるわ」
青年がおどおどと魔女の反応を伺うなか、魔女は食卓についてスープをすすりました。
それは今まで食べられればいいと思っていた魔女が驚くほど美味しかったのです。
今まで自分が食べていたものから作ったものだとは思えませんでした。
「まさかここまでやるとは思わなかったわ。いいわよ。しばらく置いてあげる」
「ほ、本当に!?やったあ!」
「わかったらさっさと自分の分もよそってきなさいよ。流石の私も作らせといて自分だけ食べてるのは気分が悪いわ」
青年はウキウキで自分の分をよそりました。
そして魔女の目の前に座ると自分も夕食を食べ始めます。
「美味しいです……。」
「そうね、あんた料理の腕はかなりのものよ」
「そうじゃなくて、こんな風に誰かとご飯を食べるのは久しぶりだから」
魔女にはその気持ちがよくわかりませんでした。
「誰かと一緒だとご飯って美味しいの?食べてるものは一緒じゃない」
「そうだけど、食べるってそれだけじゃないんです。一人で食べるよりこうして誰かと話ながら食べた方が、同じものでもよっぽど美味しいんです。」
「ふーん。」
やっぱり魔女にはよくわかりませんでした。
しかし魔女にはどうでもいいことでした。
扱いやすい小間使いを手に入れたことの方がよっぽど大事なことだったのです。
こうして誰もが恐れる魔女と、魔女を恐れない青年の生活は始まりました。
「ゼラさん、起きてください。朝食が出来ましたよ。」
「うーん、あと少し……」
「もう、そうやっていつも起きないんだから。朝ごはん冷めちゃうから起きてください!」
青年は魔女がもぐっている布団をばさりとはぎとりました。
仕方なく魔女がのろのろと起き上がると、焼きたてのパンがいい匂いをさせ、色とりどりのサラダと湯気のたったスープがテーブルに並んでいました。
「今日も美味しそうね」
「ありがとうございます。そう思うなら早く食べてください」
「あんた最初にきたころより態度でかくなったわね。私一応家主なんだけど?」
「その家主さんの体が心配だから言ってるんです。放っておくと面倒くさがって何も食べないで出掛けちゃうんだから」
魔女は椅子に腰かけると青年の作ったスープをすすりました。
「このスープ美味しいわね。体が温まる気がするわ」
「わかりますか?最近寒いから生姜を入れてみたんですよ」
青年の料理はどれも美味しく、それまで食べられればいいと思っていた魔女はすっかり青年の料理が気に入っていました。
料理だけではありません。洗濯も掃除も完璧です。なので青年が来てからというもの家の中はいつもピカピカになりました。
「あんた家事もなんでも出来るし、いるとすごく便利だわ。一生ここにいて欲しいぐらい」
魔女が言うと青年の手がぴたりと止まりました。
魔女が不信に思って顔を上げると、青年は見たこともないほど真剣な表情でスープを見つめていました。
「どうしたの?」
「あっ、いえ。なんでもありません。俺そろそろ町に行きます。ゼラさんも食べ終わったら食器片付けておいてください。弁当も作ってありますから」
青年は食べ終わった食器を台所で片付けるとさっさと出掛けてしまいました。
いつも青年は魔女を見送ってから森を抜けたところにある町まで行って出稼ぎに行きます。
しかし今日はいつもと様子が違いました。
「旅の理由は私に話せないってわけ?」
青年はとても素直でした。魔女が聞いたことには極力答えましたし、答えたくないことは素直にそう伝えました。
しかし、魔女にあんな態度をとったのは初めてでした。
「私に隠し事なんて、いい度胸じゃない」
食べ終わった食器もそのままに魔女はローブを羽織ると家を後にしました。
「紫ババア、いるんなら出てきなさい。」
ここは魔女が住んでいる森から近いところにある紫の城、ここには悪の魔女よりもずっとずっと長生きしている紫の魔女が住んでいました。
「おやおや、久しぶりに顔を見せたと思ったらずいぶんな挨拶じゃないか」
水晶だけが中央に置いてある部屋からぼうっとろうそくの光に照らされて現れたのは、しわくちゃの顔を笑顔で歪ませた老婆でした。
「どうせあんたのことだ。また蒼の魔法士の気をどうやって引けるか教えろって言うんだろ?残念だけど教えてやれないよ。あいつは誰のものにもなりはしないさ」
「今日はそのことじゃないわ。この人間のことについて教えなさい」
「人間?」
魔女が杖を振ると、部屋に光の球が現れたかと思えば、中から今町で働いているだろう青年の姿が映し出されました。
「こいつは誰だい?」
「最近拾った人間よ。私の家で小間使いさせてるわ」
「おやおや?悪の魔女とあろうものが、珍しいこともあったもんだねえ。人間に魔法をかけないで生かしているばかりか側におくなんて」
「そんなことはどうでもいいのよ。この人間は私に隠し事をしたのよ。この私によ?そんなの絶対許せないわ。一体何を私に知られたくないのか教えなさい。あんたなら簡単でしょ?」
「確かに、私なら簡単だ。でもあんた、何故それを自分でやらないんだい?」
「なんですって?」
ご機嫌ななめな魔女をよそに、老婆はちろちろと揺れるろうそくの光の中でにやにや笑うだけでした。
「蒼の魔法士の口を割らせるのは私でも難しいさ。でもこいつはたかが人間だろう?その場で自白させる魔法でもかけてやれば良かったのさ。なのになんであんた自分でやらなかったんだい?」
「それは、気分がのらなかっただけよ。」
「おやおや、悪の魔女様は相変わらず心がひねくれてるね。」
「あんたさっきからどうでもいい話ばっかりして!何が云いたいのよ!」
イライラが爆発しそうな魔女は声を張り上げましたが、老婆は全く表情を変えませんでした。
「仕方ないね。本来は自分で気づかなきゃ意味がないんだけど、特別に教えてやるよ。あんたはね、この人間に惚れてるのさ」
「は?」
魔女はびっくりしました。
「何を言っているの?私が愛しているのは蒼の魔法士様だけよ」
「じゃあ聞くが、この人間が現れてから蒼の魔法士のところへ1度でも行ったかい?」
「それは……」
魔女は考えました。
老婆の言った通り、青年が来てからと言うもの1度も蒼の魔法士のところへ行かなかったからです。
それどころか頭に浮かぶのは青年のことばかり。
思い当たることばかりで苦虫を噛み潰したような顔をすると、老婆はしわだらけの顔を笑わせました。
「冗談じゃないわ。この私がたかが人間ごときに、あり得ないわ」
「口ではなんとでも言えるさ。でも心は嘘をつけないよ。」
「大体そうだとしても、あいつの隠し事を許せなかったことと何の関係があるのよ」
「それは自分で気づかなきゃ駄目さ。でないとひねくれもののあんたは一生その気持ちを認めない。」
「はん!結局なにもしてくれないわけね。もういいわ。帰る。」
「はいはい、気をつけておかえり。後悔のないようにね」
真っ暗な城を出ると、さんさんと照らす太陽の光で魔女は思わず目を細めます。
外の明るさが自分の気持ちとあまりに対称的で、魔女は居心地が悪くなりました。
「全く、時間を無駄にしちゃったわ。ほうき!」
魔女が呼ぶと外で待っていたほうきが飛んできます。魔女はほうきに跨がって飛んでいきます。魔女の気持ちはぐるぐると落ち着かないまま、紫の城を後にしました。
魔女はその夜、夕食を作って青年の帰りを待っていました。
味は大したことありませんが、冷めないように魔法がかけてあります。
魔女はたいてい青年より遅く帰ってくるのですが、城を出たあと何もする気になれず、青年の帰りをただ待っていました。
青年のいない家は、ずいぶん広くて静かでした。
そして寂しく、暖炉が炊いてある家の中がいつもより寒く感じたのでした。
「ずっとこれが普通だったのに……」
青年がいなくなったらまたこれが普通になるのだ。魔女はそう考えると気が狂いそうになりました。
小間使いを新しく探せばいいと言う問題ではなく、あの青年でなければ駄目なのでした。
「これが恋だって言うの……?蒼の魔法士様はただ心の中で思うだけで幸せだったのに、苦しいだけじゃない……」
魔女はいつの間にか机に突っ伏して泣いていました。ただただ青年のことを思うと胸が苦しかったのです。
そんなとき、不意に小屋の扉が開かれました。
「あれ、ゼラさん今日は早かったんですね。しかも晩御飯まで作ってもらっちゃって、すみません。」
魔女は答えませんでした。泣いていたことを青年に知られたくなかったのです。
「ゼラさん、寝ちゃったんですか?」
側で青年の声が聞こえます。心配そうな青年の声に心臓が高鳴るのを必死に考えないようにしました。
すると側で青年が椅子に腰掛けるのが聞こえました。
「ゼラさん、今朝は旅の理由を答えられなくて、すみません。」
魔女はぴくりと体を動かしました。
「起きたらちゃんと言いますけど、今ここで練習させてください。」
そのまま青年に詰め寄りたいような、逃げ出したいような、背反する気持ちを抑えてただ机に顔を押し付けていました。
「俺、実は好きな人がいたんです。故郷で俺に良くしてくれたお姉さんでした。でも、旅芸人と恋に落ちて嫁にいっちゃったんです。俺、とうとう本当の気持ちを伝えられなくて……。せめてもう一度逢ってこの気持ちを伝えたくて……。」
魔女は目の前が真っ白になりました。
次の瞬間、心の中はどす黒い気持ちが渦巻いていました。
「けど、俺今日…」
青年が言い終わる前に魔女は起き上がって青年の腕をガッと掴みました。
面食らっている青年をよそに魔女は狂気的な笑みを浮かべていました。
「大丈夫よ。そんな気持ちすぐに忘れさせてあげる。」
魔女は杖を青年の頭へかざしました。
「ゼラさん、起きてください。朝食が出来ましたよ。」
「うーん、あと少し……」
「もう、そうやっていつも起きないんだから」
「ベルくんがキスしてくれたら起きる……。」
「しょうがないなあ。」
リップ音と共に魔女の唇にベルの唇が重なりました。
「おはよー。ベルくん」
「おはよー。ほら、早く食べないと朝ごはん冷めちゃいますよ。」
魔女はウキウキで朝食が並べられたテーブルにつきました。
「いただきまーす!」
「召し上がれ」
「うーん美味しい。ベルくんの作るものはなんでも美味しいわ」
「ゼラさんにそう言ってもらえると俺も嬉しいよ。」
「ねえ、今日は何時に帰ってくるの?」
「いつもと変わらないよ。ベラさんを待たせるわけにはいかないからね」
「もー、ベルくんってば優しい~!大好き!」
「俺もゼラさんが大好きだよ」
魔女とベルは熱い抱擁を交わしました。。
一見すると幸せそうな光景です。ベルの目に光がないことを除けば、ですが
「じゃあ言ってくるわね、ベルくん」
「行ってらっしゃいゼラさん、気をつけてね」
魔女は意気揚々とほうきで空をかけてゆきました。
「でね~!ベルくんってば本当に優しいのよって昨夜もね~……」
「あんたも暇だねえ。いい加減何の変わりもない惚気話にも飽きてきたんだがねえ」
ここは紫の城
魔女はここのところ毎日老婆のところへ行き、自分とベルがいかに仲がいいか自慢するのでした。
「何よ!あなたが教えたんでしょ!そしてそれは正しかったのよ!私はベルくんを愛してる。この世の誰よりも。誰にも渡さない。私だけのものよ」
「いかにも悪の魔女様らしい台詞だ。あんたのそういうところが気に入ってる。でも、方法はそれしかなかったのかねえ?」
「なんですって?」
表情は一転。魔女は不機嫌そうに顔を歪め、老婆はしたり顔で笑っていました。
「ただ好きだって伝えれば良かったじゃないのさ。そうしたらベルの心を奪うなんてことしなくても、ベルはあんたのもんになっていた。」
「何言ってるの?ベルくんには好きな人がいたのよ。」
「いた、って言ったんだろ?その女のことは過去のことで、あんたと暮らしてるうちにあんたに惚れてた可能性だってあったじゃないのさ」
「たとえそうだとしてもベルくんは私以外の女を見たわ。これからだって私だけを愛するとは限らない。ベルくんを私だけのものにするにはこうするしかなかったわ」
「全く、悪の魔女様の考えることはいつも同じだ。強力な魔力でなんでも自分の思い通りにすることしか考えないんだ。」
「なんとでも言いなさい。私は幸せなのよ」
気分を害した魔女は紫の城を出ていこうとしました。
「待ちな。あんた、ここいらで魔女狩りが始まったことは知ってるかい?」
「ああ、そういえば聞いたことあるわね。大丈夫よ。そんなのに捕まるようなヘマしないわ。」
「いつものあんたならね。でも人間の男にうつつを抜かしてる今のあんたじゃ足元をすくわれるよ」
「ふん、私を誰だと思ってるの?悪の魔女よ」
老婆を一瞥することなく、魔女は紫の城を後にしました。
「そういえばこの前仕掛けた人間取りどうなったかしら」
魔女は森の奥深くで下りました。
そこでは大きな鳥かごに囚われた母子が助けてと泣き叫んでいました。
「うん、これなら美味しい豚肉になりそうね」
母子は魔女の言葉にぎょっとしました。
魔女が杖を振り上げると母が子供をかばって叫びます。
「豚にするなら私だけにして!!この子だけは助けて!!」
「だーめ、子豚の肉は私の好物なんだから」
母の言葉も聞き入れず魔女は母子を豚に変えてしまいました。
「よーし!捌いてベルくんに料理してもーらお!」
母子の豚を袋に詰めると意気揚々とほうきで空をかけていきました。
「ねえ、ゼラさん!明日お休みが取れたんだ。俺、ゼラさんと町を歩きたいなあ」
「え?」
それからしばらくして、夕食を取りながらベルが声を弾ませて言いました。
「だって俺たち、一回もデートしたことないでしょ?俺、それがずっと寂しくて…だからお願い!無理を言ってるのはわかってるけど……」
「そーねえ…」
正直魔女狩りが行われている中町には行きたくくありませんでしたが、ベルたっての希望とあらば断れませんでした。
「いいわよ。」
「本当!?」
「勿論!明日何着ていこうか考えなくちゃ」
「やったー!楽しみだなあ」
無邪気にはしゃぐベルを見て、魔女は不審に思いました。
(妙だわ……。今ベルくんは私の思い通りに動くはず。なら私が今避けている町に行きたいなんて言うはずないわ)
もしかして魔法が効いてないのではと思いましたが、ローブの中に手を忍ばせると、そこにはしっかりとベルの心が入っていました。
(ほっ、なーんだ。気のせいね。私が本当はベルくんと町を歩きたかったんだわ。普通の人間のように、堂々と愛し合ってみたかったのよ)
そう思うも魔女はどこか府に落ちませんでしたが、ベルとのデートが楽しみでその夜は早々にに眠りにつきました。
「ゼラさんー!こっちこっち!」
「もう、はしゃぎすぎよベルくん」
次の日、魔女はベルと町を歩いていました。
ベルはいつも通りの服装でしたが、魔女は自分の持ってるなかで一番高級なドレスをおろしました。
魔女の特徴のとがった耳もフードで隠しています。
しかし、魔女達の後をこそこそとつけている人間の影がありました。
ベルは気づいていませんが、魔女は勿論気づいていました。
(どういうつもりかしら、あの人間。まさか私が魔女だって気づいているのかしら)
しかし魔女はあまり気に止めませんでした。そのときはあの人間もろとも町を焼き払ってベルと逃げればいいと思ったからです。
それより魔女にとっては、ベルとのこの一時の方がよっぽど大事でした。
二人で町を歩いていると、道端に見事な小物を売り出している露店を見つけました。
「この髪飾り、綺麗……」
それは勿忘草があしらわれたバレッタでした。
「姉ちゃん、それが気に入ったかい?」
「ええ!これおいくら?」
魔女はお金をたくさん持っていたので、気に入ったものは全て買おうと思っていましたが
「ゼラさん、俺が払うよ」
「ええっ!?」
ベルが横から財布を持って出てきました。
「兄ちゃん、大丈夫かい?買ってくれる分には嬉しいが、結構高いぜ?」
魔女も値札を見ると、ベルが月にもらうお金よりずっと高いことがわかりました。
「ベルくん、嬉しいけど私が買うわ。あなたに無理させたくないの」
「いいの!こういうのは男がプレゼントするものなの!」
魔女からバレッタをひったくるように手に取ると、ベルはそのまま代金を払ってしまいました。
(やっぱりおかしいわ。私はベルくんに無理させたくないもの)
もしかして、と魔女が思案していると、突然けたたましい笛の音が耳を突き抜けました。
「あれ、また魔女狩り?」
「ああ、ここんとこ毎日だな。無理もないぜ。この前も近所に住んでた親子が森に入ってから誰も見てねえんだ。」
魔女は老婆に言われたことを思い出していました。魔女は最近浮かれて堂々と外出しすぎました。それが仇になったことを魔女は反省しました。
「ごめん、ゼラさん。昨日も魔女狩りが来てたから今日は来ないと思って……。」
「大丈夫よ。魔女狩りに遭ったことなんて1度や2度じゃないわ。なんとかなるわよ」
魔女はいつも持ち歩いている杖やほうきを持ってきていませんでした。勿論魔女狩りで疑われない為です。杖がなくても魔法は使えます。魔女は何の心配もしていませんでした。
しかし、魔女は知りません。老婆に言われたことが今のところまさに現実になろうとしていたことを。
「俺知ってるんだ!!この中に魔女がいる!!」
その告発は男の声で響きました。
町中の人々の視線がその男に集まります。
見ると、魔女達の後をつけていた男でした。
「あいつが魔女なんだ!!」
男は人差し指を魔女に突きつけます。町中の人々が魔女を見ながらざわめきましたが、当の魔女は素知らぬ顔をしておりました。
「俺はおっかあとガキがいなくなってからずっと魔女を探してたんだ!!そしたらそこの魔女の隣にいるガキがいつも森の方へ帰って行くのを見たんだ!!間違いねえ、あの女が魔女だ!!隣のガキは魔女の手先なんだ!!」
魔女の顔は怒りで歪みました。
自分が疑われるならともかく、ベルにまで魔女の手下の烙印が押されてしまったからです。
「よし、そこの女と青年を魔女裁判にかける。」
魔女裁判とは裁判にかけた人間を魔女かどうか判別するための審議です。
しかしそれは名前だけ。一度裁判にかけられたが最後、人間だろうが魔女だろうが口にするのもおぞましい拷問にかけられ、それは自分が魔女だと自白させられるまで続くのです。
ただの人間のベルを平気でそんな目に遭わせようとする男が、兵士が、そして町中の人間が魔女は許せませんでした。
「あの魔女だけは俺が殺してやる!ガキとおっかあの仇だ!」
男は懐に持っていた銃を魔女に向けると、引き金を引きました。
「ゼラさん!!」
ベルは魔女をかばおうとしましたが、その必要はありませんでした。
弾丸は魔女の体はよりはるか手前で止まり、弾速を上げて男の方へ返っていきました。
「何!?ぐわあああ!!!」
弾丸は男の心臓に命中しました。
町中は大騒ぎです。
魔女はつかつかと倒れている男に近づきました。
「よくもデートの邪魔をしてくれたわね。そうよ。私があなたの奥さんと子供を殺した魔女よ。」
「くっ、そ……。殺してやる……。」
「ちなみに二人とも豚に変えて食べてやったわ。結構美味しかったわよ。でもあんたは駄目ね。まずそうだから」
魔女は女とは思えない力で男の体を踏み潰しました。
男の体はとても人間とは思えないほど変わってしまいました。
「やっぱりあいつが魔女だったんだ!!早く殺してくれ!!」
「あの子魔女をかばおうとしたわよ!やっぱり魔女の手先だったんだわ!信じられない!とってもいい子だったのに!!」
「二人とも殺せ!!皆殺しにされるぞ!!」
「あーもう、うるさいわねえ。」
魔女はベルを抱き抱えて空へ逃げると、町に火を放ちました。
町はあっという間に火の海になりました。逃げ惑う女子供を見ても魔女はなんとも思いません。今まで何度もこうしてきたのですから。
「ゼ、ゼラさんやめて!皆死んじゃうよ!」
「何言ってるのベルくん。あいつらはあなたを拷問にかけて殺そうとしたの。死んで当然だわ。」
「俺はゼラさんが助けてくれたから無事だったじゃないか!だからこんなことやめて!!」
「あんたつくづく訳わかんないわねえ。心を奪ってるのになんで口答えするの?あんたは一生私のものよ。黙って私の言うことを聞けばいいの。」
「出来ないよ!だってゼラさん、俺はあなたが……」
その時、死にかけた兵士が銃をかまえました。
銃口はベルに向いています。
そのことに魔女もベルも言い争いに夢中で気がつきません。
弾丸は真っ直ぐベルに向かって飛んでいきました。
「あっ……」
弾丸はベルの心臓を貫きました。
ベルはうめき声を上げると、動かなくなりました。
「ベル……くん……?」
魔女の顔は真っ青になりました。
魔女はもう魔法を使うどころではありません。
町の火は消え、魔女は動かなくなったベルと一緒に下りてきました。
「ベルくん……?ねえ起きてよベルくん……」
魔女が何度も呼び掛けてもベルは返事をしません。
魔女が抱いているベルの体はどんどん冷たくなっていきました。
「あ、あ、」
いつも大事に懐に入れていたベルの心は、その時粉々に砕け散りました。
「あああああああああ!!!!!!」
魔女はベルの体を抱いて泣き崩れました。
兵士が魔女を取り囲んで捕まえます。
魔女はベルと引き離されてしまいました。
「ベルくん!!ベルくん!!」
兵士に連行される中、魔女はベルに必死に手を伸ばしながら叫び続けました。
数週間後
時刻は夜、魔女は檻の中で死んだように横たわっていました。
魔女は捕まってから今日までの間、食事もろくに取れず、あらゆる拷問を受けていました。
美しかったドレスは見る影もなく、魔女の体は生々しい傷で埋まっていました。
そんな時、檻の中が突然歪むと、老婆が姿を現しました。
「だから忠告したじゃないのさ。あんたともあろうものがなんて様だい。」
「何よ、私を笑いに来たの?」
檻の外には見張りの兵士がいましたが、老婆のことに気づいていません。老婆が姿と魔女との会話に気づかれないように魔法をかけているからです。
「そこまで暇じゃないさ。それよりあんた、なんでとっとと逃げないんだ。」
「ベルくんが死んだの。もう生きてたって仕方ないわ。」
「そんなもの死体を盗んで生き返らせればいいだろう。死者蘇生なんて下手をすれば自分の命が取られる上級魔法だが、あんたなら出来るはずだ。」
「生き返らせたって同じことよ。これから私といたらまた殺されるかもしれないし、そうじゃなくても寿命でベルくんの方が先に死ぬわ。寿命で死んだものを生き返らせる魔法はこの世にない。私はこれ以上、ベルくんが目の前で死ぬのは見たくないの」
「全く、ベルが殺されるまでそんなことにも気づかなかったのかい。」
「なんとでも言って。人間なんて弱い生き物に熱を上げた大馬鹿者よ。悪の魔女が聞いてあきれるわ。」
老婆が何を言っても魔女の瞳は何も映しません。
老婆にとって魔女がどんな最期を遂げようが勝手でしたが、あのわがままで欲しいものを手に入れなければ済まなかった傲慢な魔女のことは気に入っていました。
だからこんなで終わり方をして欲しくなかったのです。
「あんた、明日処刑されるんだろう?」
「そうよ。ベルくんの死体と一緒に火炙りにされるの」
「あんたはともかく、ベルまで魔女の手先として公衆の晒し者にされるんだ。あんたはそれでいいのかい?」
魔女のとがった耳はぴくりと動きました。
「私にどうしろって言うのよ。」
「それは自分で気づかなきゃ駄目さ。」
再び檻の中の空間がゆがむと、老婆は姿を消しました。
「ベルくん……」
魔女は今までの楽しかった日々を思い出していました。
ベルの笑顔、困った顔、泣きそうな顔
ベルの心を奪ってからもその前も、魔女にとってベルとの日々は生きてきた中で一番楽しかった時間でした。
だから終わるときも二人で、誰にも邪魔されないところがいい。
朝を迎える前に、魔女は動き出しました。
次の日の朝、牢獄は大騒ぎでした。
「檻の中の魔女が消えたぞー!!!」
「手先の死体もないぞ!!まさか生き返ったのか!?」
「探せ!!また被害が出るぞ!!」
兵士が必死に二人を探すなか、魔女はベルを抱いて海の見える崖へやってきました。
「綺麗だね」
朝日を浴びてキラキラ光る大海原を眺めながら、魔女は潮風を体いっぱいに吸い込みました。
「ベルくんと一回来たいと思ってたんだ。こんなことになった後で、ごめんね」
魔女はベルの体をぎゅっと抱き締めました。
「ベルくん。あなた心を奪っても、まだ心があるような感じだったよね。たまにあるんだ。心を奪った後に新しい心が生まれること。でもその場合大抵別人になっちゃうのにさ、ベルくんはベルくんのままだったよね」
魔女はベルに優しく語りかけます。
「ベルくん、もしかしたらあなたは、心を奪う前も後も、私のことを愛してくれたのかもしれない。でもね、たとえベルくんでも私は信じられないよ。私は悪の魔女よ。ベルくんに言えないことたくさんやってきたし、それはベルくんがいても止めなかったわ。そんなの知ったらベルくん、わたしのこと嫌いになるでしょう?それだけは絶対に嫌だったの。」
魔女は指先から火をつけました。。それを自分のドレスに燃え移らせるとベルの体と一緒に燃え始めました。
「火炙りで死ぬなんて、魔女にはお似合いの最期よね。でも、ここでベルくんと死にたかった。ベルくんと一緒に風になって、魔女も人間も関係なく自由になりたかったの。」
火はすでに魔女の体を包んでおり、熱と煙で次第に声も出せなくなりました。
このまま目を閉じようとしたその時
『ゼラさん!』
魔女の名を呼ぶベルの姿が見えました。
『ベルくん…?』
『一緒に行きましょう。ゼラさん』
『……うん!』
魔女はベルに手を伸ばしました。
しかしどうしたことでしょう。魔女の手はベルに一向に届きません。それどころかベルの手はどんどん遠ざかっていきます。
『ああ……結局、私はあなたを手に入れることが出来なかったのね……。ベルくん。』
ベルの体は灰になると、海の方へ飛んでいきました。
しかし魔女の体は灰にはならず、形を残したまま無惨に焼き焦げて、海の中へ落ちてしまいました。
昔々あるところに
悪い魔女がおりました。
魔法の腕は超一流
欲しいと思ったものはなんでも手に入りました。
しかし、好きになった人の心だけは手に入らないのでした。
何故なら、悪い魔女は愛を信じることが出来なかったからです。
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