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「咲来ー! 遅刻遅刻!」
「侑里ちゃん、待ってえ」
私は遥か前方を駆けていく侑里ちゃんの後ろから息も絶え絶え走っている。侑里ちゃんは短距離走も得意だけど、私は走るのは苦手。
ふらふらしながら校舎内に入ろうとした時、ドンと誰かにぶつかった。
「痛ったあ……」
私はその場に派手に転んで、右手をついた。
「大丈夫? 新入生?」
頭上から涼やかな声が降ってくる。
それは綺麗なテノールのハスキーボイス。
背が高い。多分、178㎝くらいはある。
それに細身で線が細い。でも、貧相な感じはしない。
知的なフェイスで黒縁眼鏡がよく似合っている。
「あ……、すみません」
三年生ということは制服のタイの色でわかった。
「擦りむいてるね」
その人は私の右手を見て言った。
「保健室はあっちの校舎。ちゃんと診てもらった方がいい」
「いえ、このくらい」
私は慌てて手を引っ込める。
「君は楽器は……」
「楽器……?」
「いや……。とにかく、女の子なんだから」
爽やかに笑んだ。
「咲来、大丈夫?」
「侑里ちゃん」
侑里ちゃんが近寄ってくると、
「じゃあ」
と、その人は校舎の中に消えていった。
「咲来? どしたの」
「え。うん」
侑里ちゃんの言葉にも私はあまり反応できなかった。
私の脳裏にはその人の姿が焼き付いて離れなかった。
◇◆◇
「ここだよね、入部案内のあるとこ」
「うん、この音楽室」
放課後、私と侑里ちゃんは北校舎の四階隅の広い音楽室を訪れていた。リコーダークラブの入部説明会があるのだ。
「多いね。みんな、入部希望?」
私と侑里ちゃんは並んで席に座って様子を伺っている。新入生が沢山詰めかけている。ほとんどが女子だが、ちらほら男子もいる。
楠城中学は一年生だけでも500名以上いるマンモス校。しかし、音楽系クラブはリコーダー部と合唱部しかない。私のようにブラバンに入りたかった新入生が皆、リコーダークラブに流れ込んできたのだろう。
「あ、あれ……あの人。咲来」
その時、侑里ちゃんの声に私は息を飲んだ。
朝、ぶつかった先輩が壇上に現れたのだ。
その人が教卓の前に立つと、ざわめいていた教室内はシンと静まりかえった。
「入部希望の皆さん、よく集まってくれました。僕は、三年、リコーダーアンサンブルクラブの部長の河合匠吾です」
よく通るあのテノールのハスキーボイスで、その人は挨拶した。
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