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聖教騎士団を出奔してから幾日が経っただろう。数年は経っている。日記を見返せばわかるかもしれないが、あいにく私には日数にそこまでの興味は無かった。騎士団で磨き上げた剣の腕を活かして、私は旅人として諸国をめぐった。時に傭兵の真似事をして、時に悪党に騙されながら。
諸国を漫遊した私が、ある日立ち寄ったのは山奥にある寒村だった。私はこの村から続いているはずの道を利用して、少しばかり近道をしようと考えていたのだ。
しかし、どうも私の計画は間違っていたらしい。この村に辿り着くまでの道は悪路であり、踏破に時間がかかり、水と食料をかなり消費してしまっていたのだ。私の持っている地図の情報は正確なものではなかったようだ。
辿り着いた場所も村というのには鄙びすぎている。集落、あるいは寒村と呼ぶ方がふさわしいかもしれない。この寒村では満足な食料を得られるかは分からない。道を戻るにしろ進むにしろ水は必要だ。寒村だが、水だけでも分けてほしいものだ。
「騎士様。わざわざ斯様な場所によくいらしてくださいました」
村に入った私をわざわざ迎えてのは老爺だった。この老人は村の長だという。髪は白く、顔には年齢を重ねた証である深い皺が刻まれている。節々は骨が目立ち、手は巌のようにごつごつしている。
「ああ。わざわざ丁寧にありがとう」
「いえ、騎士様には礼を尽くすのが、私どものしきたりに御座いますので」
老人はやけに私を敬ってくる。田舎の人間は朴訥なものが多いと俗に言われてはいる。しかし、私はこれまでの経験で田舎の人間には特有の猜疑心が備わっていることを知っていた。この老人の私に対する態度は明らかに不審であり、何かを隠しているのではないかと私は疑った。
「村長殿、この村から先への道は有るかね?私の地図では山を越えられる道があるはずなのだが……」
「騎士様の地図は随分と古いようですな。この先へと道が続いていたのは何百年も前のことです」
この村に至るまでの道のりで、私はこのことを薄々悟っていたために衝撃は小さかった。しかし、予想できたとはいえ、私が費やした日数を考えると、このまま、のこのこと元の道に戻ることは考えられなかった。
「獣道であっても残ってはいないのかな?元の道に戻るのも何かに負けた気がしてな」
老人は私のかたくなな態度を解きほぐすべく、ゆっくりと言葉を重なてきた。
「魔物か。それも人の死体が魔物へと転じた亡者が出ると」
「はい。恐ろしい亡者がここいらでは湧くのです」
「私は腕に覚えがある。何、亡者を払ってやろう」
「騎士様の腕を貶すつもりはございませんが、勧めはしません。何度も、腕自慢が亡者を蹴散らさんとし、返り討ちにされてきたのです」
老人の説明に、私は疑問を覚えた。何人もの死者が出たというが、この村は地図の端に載るか載らないかという小さな寒村である。わざわざ、何人もの腕自慢がこの場所を訪れるようには、私には思えなかった。
「村長殿、このような村にどうして何人もの腕自慢が訪れたのかな?亡者狩りなど苦痛が大きいものだというのに……」
老人の顔色が変わった、自分の失言に気が付いたらしい。
「大方、宝が隠されているとの噂話が流れたのだろう。なに、私は死者たちから宝物を盗むほど路銀に困ってはいない。そして、この村の近くに宝が有るなどの噂を流しはしないさ」
老人の私を見る目には畏敬の念が混じっていた。私の簡単な推理は見事に正解だったらしい。
「騎士様。この村にあなたみたいな方が来てくれて本当に良かった。儂らの代でこの村は終わる。何もないが精一杯に持て成しますわい」
老人は私を信頼したのだろう。堅苦しさが多少は減った。老人が私に対して初対面にも関わらず、丁寧に接してくれたのは、この村の辿った歴史からなのだろう。宝に目が眩んだ者にこの村はよい印象を持っていないことくらいは、私にもわかった。
時刻はもう少しで昼になろう頃だった。私は老人に食事の席に誘われた。この寒村には老人の他には数人の人間が暮らしているだけだという。水と食料に関して頼むことを私はすっかり忘れていた。この村の状態を知ってしまったからには、水や食料に関して彼らが必要とする対価を払わなければならないだろう。
多少の金銭は果たして彼らにとっては十分な対価になるのだろうか。面倒な思考に私が陥ってしまうのは聖教騎士団にいたころの思考が抜けきっていないからだろう。
簡素だが堅牢なつくりの老人の家に私は案内された。所々に放し飼いにされている鶏や、風に揺られそよぐ麦畑。それらは昼食の材料になっているのだろう。昼食の卵を包んだガレットを食べながら私は、自分の素性を切り出すことにした。
「村長殿、私は実は水と食料に困っていましてね。水だけでもいいので分けてもらえれば幸いなのですが……」
「お安い御用です。なに、そんな顔をなさらなくても。老い先短い年寄りが食える程度の蓄えは有りますよ」
老人の顔が一瞬陰ったのを私は見逃すことはできなかった。過去との決別としてよっぽどのことが無ければ取り出さないロザリオ。それを私は懐から取り出し、老人に見せた。
「これは……騎士様は教会のもので?」
「教会とはしがらみがありましてね。こういうことからは身を引いた身です。しかし、私に出来ることはこれくらいです。もちろん代金も支払います」
老人は私に頭を下げた。私が頭を下げるように暗に強制したようで自己嫌悪に襲われる。しかし、実際はそうではないのだろう。私にも老人が純粋な思いから頭を下げたことくらいは分かった。
「頭をあげてください。私はあなたにそうさせるために、身分を明かしたわけではないのです」
老人は私の説得に応じて頭をあげた。私は、自分が彼らに尊敬されるために身分を明かしたような状況は嫌だったのだ。同じ人間であるのに、賞賛するように見られるのが嫌で騎士団を抜けたのだが、結局私は変わっていないのだ。
教会の人間がこの村から去ったのは一昔前のことのようで、残された老人たちはどうも教会の人間に飢えていたようだ。私は、村人が掃除をしていたのだろう、時が経っている割には姿を保っている教会で、村人に説教をしたり、聖句を読んだり、懺悔を聞いたりした。
私のやったことは逆効果のようで、村人たちは私の水と食料の求めに対して、この一連の行為を対価として求めたのだ。
私は彼らの求めに応じて、数日の間を村で過ごした。そして興味深い話を聞いたのだ。老人が話してくれたかつて流布したこの村の噂には、きちんとした根拠が有るらしい。古の王国の騎士がこの地に逃げ込み、金銀財宝を隠したという伝説がこの村に伝わっているそうだ。
私はその伝説に興味を惹かれた。この伝説の裏付けとして亡者が存在しているとは村長の弁だ。もとより、私は亡者を浄化するつもりだった。教会に居たものとして、亡者の浄化は当然の職務だったからだ。
亡者を浄化するとは村の人間には言っていない。彼らは亡者を大変に恐れているのだ。私がその亡者を浄化できるといっても、信じないだろうし、余計な心配をかけてしまうだろう。
村人の求めに応じ、数日間の説教などを終えた私は、村人から礼品として受け取った水と食料を持ち、村を出た。村に来る途中で見つけた、木のうろならば荷物を無事に置いておけるだろう。私の予想通り木のうろに荷物を置くことが出来た。
無事に戻るつもりだが、万が一ということもある。私は気合を入れ、村人から聞いた亡者が集う方角へ向かった。
「なるほど。低級のものがわんさか居る。人以外のものも多い」
腐臭が酷い。この亡者たちの中心となっている魔物はさぞかし強大な力を持っているのだろう。ロザリオを握りしめ、低級亡者の群れに向かって奇跡を放つ。予想通り奇跡を浴びた亡者たちは動かなくなった。低級亡者は楽な獲物だ。
亡者だった灰が舞う中、浄化されきれなかった亡者たちが私を襲う。私は腰の魔法金属製の細剣に魔力を乗せ、亡者を切り伏せる。そして、動けなくなった彼らに奇跡を浴びせ浄化する。何回もこの流れを繰り返し、辺りの低級亡者は一掃できた。
「数が数だ。これでは、聖騎士でも弱いやつは死ぬだろう」
私が切り伏せた亡者には、比較的新しい盗賊姿のものや、傭兵崩れのものもあった。宝の噂を嗅ぎ付けたのだろう彼らの冥福を、私は祈った。
感染するように増加するのは、亡者の厄介な性質の一つだ。亡者が忌み嫌われる理由の一つでもある。死臭や、人間の形をしていることも立派な理由になるのだが。
愛剣から伸ばした魔力刃で低級の亡者は倒せるのだが、中級はそうはいかない。低級よりは人数は少ないだろうが、低級の数を数えるとそれなりの数がいるのだろう。
私を待っていたのは、ボロボロの槍を構える数人の骸骨兵だった。生前に戦闘経験がある亡者は厄介なのだ。奴らは死人になっても生前の経験を活かして、戦うことが出来るのだ。
骸骨兵たちはどの個体にも傷があった。骸骨兵たちが古の王国の騎士なのかは分からない。しかし、彼らを殺したものがこの先にいるのだろう。
骸骨兵たちは、私を認識したようだ。お互い連携を取りながら、じりじりと私に近寄ってくる。私に対しての殺意は満々というわけだ。骸骨兵の連携は生前の技能を活かしたものだろう。亡者とはいえその連携は脅威であり、一対複数の戦闘に持ち込めば私は不利な戦いを強いられるだろう。
ではどうするか。簡単だ。一対複数という構図を崩せばいい。私は奇跡の矢を指揮官と思わしき骸骨兵に撃ち込んだ。骸骨兵は生前の記憶でも引きずったのだろう。一瞬の隙を見せた。その瞬間を突いて、私は一気に骸骨兵を魔力を纏わせた愛剣で斬り伏せていく。
骸骨兵たちの援護をしていたのだろう。矢が私の脳天をめがけて撃ちだされた。亡者にしては弓の腕がいい。矢を斬り落とし、私は射手の亡者を両断した。腐乱した肉がまとわりついており、この亡者は骸骨兵の仲間ではないようだ。新しい死体だ。
死体の状態からして、隠密行動で低級亡者の群れをかいくぐり、この骸骨兵に殺されたのだろう。直接の関係を持たない射手の亡者と、骸骨騎士の連携を見るに、この亡者たちの中核をなる亡者は魔物としての格が高いのだろう。
私は、愛剣に十分な魔力を纏わせ、奥へと進んだ。亡者たちは円形状に、ある一点を中心に広がっていたのだ。この奥に亡者たちの核となっている何者かが存在しているのだろう。
私の目に入ったものは洞窟だった。亡者たちの核となっている存在がこの洞窟にいるのだろう。私の魔力が洞窟に魔方陣が存在していることを告げた。この洞窟には人間の手が入っているということだ。
だが、洞窟の入り口は人工的に加工されているようには見えなかった。風化によって岩盤に穴が開き、自然にできたようだ。洞窟の入り口はそれなりに広かった。横は数人が並べる程度に。盾は二人分の背の高さくらいはあった。
「罠などは私には分からない。困ったな」
この洞窟には罠を仕掛けるに十分な広さがあった。この先が迷宮になっていないとも言い切れない。入り口に入った瞬間にどこかへ魔法で転移させる迷宮ではないとは言い切れないのだ。
「分からないな」
私には、この洞窟に罠が有るかも、迷宮に繋がっていないかも分からない。いや、わかるかもしれない。要は私に危害を加えるものが無ければいいのだ。私は愛剣を魔法杖代わりにして魔法弾を洞窟に撃ち込んだ。
魔力の燐光を帯びた魔法弾は、洞窟内を直進し、そのまま視界の奥に消え去った。どうやら、入り口に入ったら、転移魔法が発動するということはなさそうだ。最悪、即死の罠でなければ怪我は奇跡で癒せばいい。
虎穴に入らずんば虎子を得ずというのは、虎という生き物がいる国のことわざだ。魔物なのか動物なのか知らないが、要は勇気と思い切りが必要というわけだ。私は虎穴に飛び込む思いで洞窟に足を踏み入れた。
洞窟に入った瞬間、何も起きなかった。この洞窟は魔方陣が張られているだけのただの洞窟らしい。洞窟内には、閉所独特の冷たい空気が満ちている。床に人工物が転がっているわけでもなければ、壁に攻防の跡があるわけでもない。魔方陣が無ければ、自然の洞窟とも言えそうな場所だった。
入り口から、遠くなり光が失われた。私は魔力弾を松明代わりに浮かべた。しかし、この魔力弾の出番はもう来ないようだ。折れ曲がった洞窟の少し先からは、魔力の燐光が漏れていたのだ。
「これは、自然のものか。鉱石の光というものはなんとも神秘的だ」
鉱石に照らされた広間には、一体の死体があった。その死体は、私の愛剣と同じ魔法金属製の剣と盾を持っていた。よく見ると、鎧も魔法金属製だ。豪勢な装備の死体の周りには、死体の持ち物であろう椀や、生活に使っていたであろう持ち物が転がっている。
「動くのは分かっている。君がこの亡者たちの核だろう?」
私の声に反応し、死体はゆっくりと立ち上がった。赤く輝く瞳に、黒い骨。正統派の騎士鎧で隠された身体は、鎧の隙間から出た部位が骨であることに目を瞑れば、生者のそれと何ら遜色なかった。つまり、目の前の騎士は強敵だということだ。
「ヒメヲ……マモルゥゥゥ」
骸骨騎士は、剣と盾を構え私の攻撃に備えているようだ。重装備の騎士に斬りかかれば、その重装で威力を殺され、反撃されるのは目に見えていた。
「神よ。穿て」
短縮した詠唱で奇跡の矢を騎士の脳天に命中させる。しかし、騎士のヘルムが衝撃を減らしたのだろう。殺意を込めた赤い瞳に揺らぎは一抹もなかった。
騎士は、その重装備にも関わらず、敏捷な動きで私に剣戟を振るった。骨の身体な分、生前よりも敏捷性が上がっているのかもしれない。
愛剣で騎士の剣戟をいなすが、私の細剣に対して騎士の直剣では細剣のほうが分が悪いのは明白だった。受け流しそうとした斬撃は私の予想以上に鋭かった。その斬撃を私は愛剣でまともに受けてしまった。
魔力を纏わせ、強化しているにも関わらず、愛剣からはミシリと嫌な音がした。とっさに奇跡の矢を撃ち出して距離を取る。このまま持久戦に持ち込むのは良くない。愛剣はある程度自動修復はするが、ある程度までなのだ。折れてしまうのは避けたい。
短期決戦をしなければならないだろう。私は愛剣に魔力と奇跡を纏わせた。更に魔力弾と奇跡の矢を多重に展開する。数十発の奇跡の矢と魔力弾が私の周囲にふわふわと飛んでいる。
騎士は、私を明確な脅威だと感じたのだろう。全力で私を殺そうと猛突進を仕掛けてきた。だが、もう遅い。魔法杖代わりに愛剣を振り下ろす。突進している騎士に数十の矢と弾丸が雨あられと撃ち付けらっれる。
それでも、騎士の突進は止まらなかった。その狂気と殺意に私は敬意を抱き、彼を斬った。騎士は盾で私の斬撃を止めようとしたのだろう。しかし、私の剣は盾をバターのように切り裂きそのまま騎士を両断した。
「これでも消滅しないとは」
身体を両断されたにも関わらず騎士は消滅しなかった。だが、私に襲い掛かろうとはしない。あれだけの殺意を見せながら、動けるはずなのに微動だにしないのだ。
「私を討ち取った騎士よ。名はなんという」
高位の亡者は理性を持ち会話が出来るという。目の前の騎士も正気を取り戻したのかもしれない。私は自らの名を騎士に伝えた。
「感謝するぞ。姫様あなたを守り切れませなんだ……」
「意外と饒舌なんだね」
「ああ、何百年も人と話していないからな。教会の騎士よ、どうか愚かな俺の話を聞いてはくれまいか」
騎士は、私に自らの身の上を語った。古の王国リシヤ。彼は姫の近衛騎士としてかの国に仕えたそうだ。ある時、姫は全身が宝石に変わる呪いを掛けられてしまい、そこから内乱がはじまり国は滅びた。身体が宝石に変わる姫を伴い騎士は、この地に落ち延びたのだ。
「あんたに負けた俺が言うのもなんだが、俺は強かった。追っ手を殺し今まで姫を守ったのさ」
「さすがに俺も、寿命には勝てなかった。亡者になっての記憶はうっすらとしか残っていない。変わらない日々だった。お前と戦ったのは覚えているがな」
彼の死後、その強靭な肉体と思いが彼を骸骨騎士へと変えたのだろう。そして、その負のオーラに死体が蘇り亡者の群れが生まれたのだろう。結果としては死して尚、忠義を全うしたというわけだ。
「もう、俺に残された時間は長くない。お前を見込んで頼みがある。姫に伝言を頼みたい。愚かな騎士よりってな」
私は、彼の頼みを引き受けることにした。
「ああ助かる。私から貴女へ………………」
彼の伝言は間に合わなかった。灰と化していく彼の残した言葉で私が聞き取れたのは“私から貴女へ”という部分だけだった。彼は果たして何を伝えたかったのだろうか。私には分からない。
洞窟はまだ、奥に続いていた。彼が初めに坐していた場所から少し進んだ先に小部屋があった。少量の金貨と、少しの宝石に彩られ、服を着たまま身体を宝石に包まれた少女がいた。
薄紫色の宝石に包まれた少女は眠っているようだった。肌には生気があり、腐敗臭は全くしない。プラチナブロンドのウェーブを描く髪に、淡い朱色の口元は、まさに眠り姫といった様相だった。
「神よ、忠義を全うせし騎士と、宝石の姫に安息を」
私は彼に頼まれていた通り、壁に彼の遺言を残した。そして小部屋を後にし洞窟の出口に向かった。私にはこれ以上この場所に留まる理由は無かったからだ。死者の眠りを妨げるような真似はしたくなかった。
洞窟を出ると、入るときに感じた魔力が揺らいでいるのが分かった。魔方陣の核はあの騎士だったのだろう。振り返ると洞窟の入り口は影も形もなくなっていた。そこには岩壁が有るだけだった。
宝石の姫が目覚めれば、あの洞窟は姿を現すかもしれないし、そうではないかもしれない。いずれにせよ、私にはこのことを誰かに話すつもりは無かった。
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